第27話 信念

ーーー(表アラン)



 紫を帯びた静かな空に、橙に輝く雲が浮かんでいる。その空の下、森が鬱蒼と広がり高い崖が聳え立つ。男は崖の先まで走りを止めたので、俺も足を緩めた。


 背中を向ける男の近くで、足音を立てて止まった。緩やかな風が横髪を前へ流す。


「……」


 男のマントが旗めくと、腰のホルスターが覗く。フードは外れ丸帽から黒髪が出ていた。


「……ここまでのようだな。観念して話す気になったか」

「…………」


 男の背中は風に晒されつつも暫く動かなかった。が、次の瞬間ー。俯き肩を震わせた。


「……くく、ふふふふふ……ははははは!」


 横に向いたマントが後ろに流れ、彼は両手を腰に当て空を仰ぐ。


「……!」


 俺は思わず肩を引いた。


「正直驚いたよ……」 


 男は目を伏せて脚をずらし、正面に直ると顔を上げた。


「たまたま教会で会ったガキに、ここまで見抜かれるとはな」


 冷たい目で俺を見下ろした。


「……やっぱり、やっとボロを出したか」

「勘違いするなよ。完璧な証拠がない以上、俺はシラを切ることも出来たはずだ」


 男の鋭い目が俺を射抜く。


「何故、あれで揺さぶれると思った」


 顎を引き睨みつける。


「……丁寧に偽装工作するってことは、その必要があったんだろ? 理由は知らないけど」


 目をきつく吊り上げる。


「……揺さぶれると思った」


 男は一瞬目を丸くし、俯いて笑い出す。


「くくくっ……面白いなお前! あまりにもギャンブルだ、しかし」

「……」


 垂れた頭を起こすのを、俺は立ちすくんで見た。


「……結果は正解だ! 俺は完璧主義でね……仕事は完璧じゃなきゃ許せない」


 輪郭の片側が陽光を透かしていた。


「へぇ……やっぱり暗殺者か」

「あぁ、邪魔立てされたが任務は偽装工作まで含まれていた。」


 彼は親指をベルトに掛け、楽しげに笑う。

 

「……なら、そのまま大人しく掴まれ。崖から落ちたくはないだろ?」


 俺は真剣に睨んだ。風に吹かれながら歩を進める。その時ー。


「……何言ってんだ……? お前」


 低い声に息を呑む。足を止めると、男は前傾し片足を引いた。目元の影から鋭い瞳が覗く。


「……なんでここまで連れてきたか、まだわからないのか?」

「……!」


 男が剣を抜き、ゆらりと動いた瞬間ー。そこから姿が消える。視線を左右に動かす、その時ー。


 背後から動く気配を感じる。柄に手を掛け、身を翻す。抜刀の余地無く刃が瞳に迫るー。

 血飛沫が砂利に飛んだ。剣先から血が滴る。


「……ここでお前を始末すれば、邪魔が消えるだろう?」

「……っ!」


 頬が浅く抉られ、顔が歪み震えた。男はニヤリと笑い、踏み込む。


「うあぁあぁっ!」


 仰け反って剣を抜き、横払いを弾く。斜め切りを手前で受け続け、後ろへふらついた。男が膝を落とし突きを放つ。


「……っ!」


 それを上へ払うと、背中が地を滑った。肘で身を起こす矢先、眼前へ刃が立つ。切先を向ける鋭い視線がこちらを貫く。


「あっ……」


 何かが後ろでぱらっと落ち、音の方を一瞥する。


「後ろは崖だぜ……終わりだな」

「……!」


 口が開いて上下し、息が乱れた。


 やばい、死ぬ……殺される…!


 男が口角を上げた。束の間の静寂……刹那、右手で剣を寄せる。


「……!」


 男の視線が動く、一瞬。歯噛みし、左へ跳ねて転がる。背中に激痛が走った。

 

「があぁぁぁあっ!!」


 鋭く叫ぶ。うずくまると、足音が背後から近づく。


「ううっ……!」


 もたつきながら起き、走る。何度かつんのめった。急峻を前に振り向くと、剣を手に歩く男がそこにいる。


「……!」


 前を向き、緑が覆う斜面を降りる。途中、緩勾配で砂利を滑らせ止まる。


「はぁっ、はあっ……!」


 膝に手をつくと汗が吹き出した。血がぽたぽた落ちる。唾を呑んで、再び下る。

 傾斜が終わると、日が差す茂りの奥へ進んでいった。




ーーー(男)




 斜面を滑り、緩やかになるところで止まる。無言で視線を落とした。


「……」


 血溜まりが鮮やかに光っている。先へ視線をずらすと、傾斜に血痕が散っていた。

 

「……楽しくなってきたな」

 

 笑いながら、ふと動く。俺は深まる茂りへ向かって降りた。風で音を立てた木々に横から日が差していた。




ーーー(表アラン)




 動かす足がもつれる。


「はあっ……、はあっ……!」


 息が上がり、瞼が下がる。視界が歪みぐらついた。


「うっ」


 ふらっと木の幹にもたれた。手をつき崩れる。


「はあっ……」


 肩で息をしながら座り、上を見上げた。日を遮る木の葉がざわつき、ぐるぐる回って見えた。


 ……意識がやばいな……。


 がくっと項垂れる。


 ……頭に血がいかねぇ。考えろ……やつは追ってくるぞ。

 

 手元で砂を握るように掴む。


 何が暴力を使いたくない、だ……こんなの、やらなきゃやられるじゃないか。


 手をつき膝を立てる。


「俺は馬鹿だ……。夢ばかり見て、現実から目を背けていた」


 重心を乗せると膝ががくつく。ゆらりと顔を上げ、歯を食いしばる。脳裏にふと記憶が蘇った。



ーー



『真犯人を見つけなきゃ収集つかねぇからな……頼んだぜ』

『アランならきっと大丈夫……私たち、信じてるから』



ーー



 ……ルーカス、リリアン。



ーー



『これからどうやって生きたら、いいんだろうな……』

『魔石の発掘は村に富をもたらすと同時に、不吉な風を運んできている……』



ーー



 ケルヴィン、エディス……。


 目をきつく瞑る。汗がぼたぼた落ち、足にぐっと力を込める。


「……っ」


 木の幹で身体を起こして立つ。


「……だけど、諦めない」


 視線上げ前を睨む。


「争いは必ず……俺が止める」


 片手でマントの留め具を外し、軽く引くとするりと取れた。手に持つそれを見つめる。


「こっちからも仕掛けてやる」


 そう言うと、顔を上げて周囲を見渡した。




ーーー(男)




 背が低い木々の下、緩やかに起伏する地に茂みや岩が露出した。そこを早足で通っていく。


 足先は血痕を辿るが、ピタリと止まった。視線を上げると木の幹からマントがチラついている。


 ……そこか。


 口角を上げると、ナイフを取り出し構える。音を消し徐々に近づいた。

 腰を落とし踏み込む。一瞬で背後をとった。


 風でマントが揺れるが……そこにやつの姿は無い。木の枝にマントが括ってある。俺は目を丸くする。ヒュンと、何かが風を切った。


「……!」


 咄嗟に振り向き肩を掠めた。一瞥すると、幹に短剣が刺さっている。  


「……やろう」


 思い切り顔を顰めた。ざわざわと音がし、視線を動かす。ホルスターからナイフを取り、茂みへ投げた……が、手応えがない。


 様々な方向から茂みが揺れ始める。


「……!」


 俺は周囲をぐるっと見渡す。


 ……なんだ、どんな仕掛けだ……?

 

 ザッと足をずらした時、ふと固まる。視線を下げると、足先がツルを引っ張っていた。


 周囲はツルが張り巡らされていることに気づく。


 なるほどな……小賢しい。

 

 足先を変えた。茂みが音を立てる中、ツルを避けて進む、その時ー。背後でざわっと音がした。


「……!」


 振り向きざまにナイフを払う。金属音が響く。


「はあっ……、はあっ!」


 ガキが息を切らして切り掛かっていた。瞬間、眉根の辺りが引き攣る。


「雑魚の癖に……」


 下がりつつ、ナイフを前へ投げた。鎖骨下へ刺さる。相手の顔が歪む隙に、抜刀し踏み込む。


「はっ、あっ……!」


 突きを連続で繰り出すが、相手は怯えながらも受けきる。俺は横払いを弾くと、回って横一閃。相手がふらつく。開いた胴へ飛び蹴り。


「うぁあっ!!」


 後方へ飛び、岩に直撃。身体を弾ませ、剣を離す。崩れ落ちて動かなくなった。


「……手間かけさせやがって」


 吐き捨てると、ゆっくり近づく。項垂れ血溜まりを作るそいつの前で足を止める。


「…………」


 見下ろすそいつはぴくりともしない。


「……意識はあるか? 殺す前に一つ聞きたい」

「……」


 しゃがみ、顔を覗き込む。


「……お前は村の人間じゃないだろ。何故そこまで関わる?」

「……」


 俯いたままだ。


 気を失ったか?なら……。


 静かに剣を持ち上げた、その時ー。


「……そう、だな……何故だろう……。自分でも、不思議だ……」


 掠れた声が聞こえ、剣を下ろす。


「けど……仲間や……村で関わった人の、顔が浮かんだ。だから……」


 静かに言葉を待つ。そいつが少し笑った気がした。


「……ただ、俺がそうしたかった……」

「馬鹿なのか……? それだけで、ここまで命をかけるのか?」


 思わず目を見開く。 


「……あぁ」


 少しして、吹き出した。


「くくく……ふははは! 最高に狂ってるな! 殺すのが惜しいよ!」


 笑いながら剣を手に持ち、その場で立ち上がる。


「だが、悪いな。俺は必要な殺しで手は抜かないんだ……」

「……」


 切先をやつの頭へ向ける。俺は顔に笑みが張り付き、暫く取れそうになかった。



 

ーーー(エディス)




 動く木々の隙間から緋色が覗き、光が溢れている。歩く影は横へ長く伸びていた。


「……」


 私は首を振り、森の小道を歩いている。

 

「そろそろ、引き返した方がいいかな……」


 その時ー。ばたばたと頭上で音が鳴り、びくつき見上げる。鳥が茂みから飛び出していた。


「……びっくりした」


 肩を抱きながら、夕陽へ顔を向ける。道の脇へ寄り、その輝きを見つめた。


 アランさんの様子が気になって、ここまで来ちゃったけど……。


 籠バックのストラップを両手で握る。


 私は彼が謎の男を追っている場面を思い出していた。ふらつきながらも走る、必死な表情をした彼の顔ー。


 ……彼、どうしたんだろう……何か危ないことに、巻き込まれてるんじゃ……。


 眩しさで目を細めた、その時ー。

 微かに金属音が聞こえた。はっとすると、眉を寄せゆっくり視線を動かす。


「……まさか」


 顔を上げ、走り出した。影に染まる木々の間を抜けていく。


「……っ!」


 私は浅く呼吸し、腕を振る。枯れ葉をくしゃっと踏みつけた。茂みや草の中を押し通っていく、その時ー。立ち止まり、目を凝らした。


 人の声……?


 身体を縮ませると、茂みに沿って歩く。

 

「……何故そこまで関わる?」


 周りを警戒しながら、忍足で進む。 


「……そう、だな……何故だろう……」


 あ、この声……。


 茂みの隙間から覗く。葉が遮る視界に、アランさんが岩にもたれているのが見えた。胸あたりにナイフが刺さり、下に血溜まりが出来ている。視界がぐらつく。


「……っ!」


 その場に座り込み、両手で口を押さえる。


 どうして……?え、うそ……。


 茂みの隙間を通して、アランさんの前でしゃがむ影が見えた。


 まさか……殺されるんじゃ!


 声に耳を澄まし、足をずらしてしゃがむ。茂みへ近づいた。


「くくく……ふははは! 最高に狂ってるな! 殺すのが惜しいよ!」


 顔が歪んでいく。


 殺す……?やっぱり、アランさん……。


 私は片手をつく。男がふらっと立つのが見えた。


「……俺は必要な殺しで手は抜かないんだ……」


 男が彼へ刃を向けた。


「……だめ、それは……!」


 思わず声が漏れる。視界が揺らぐ。


「……」


 男の足先がこちらへ向いた。


「……?」


 次の瞬間ー。顔のすぐそばを何かが横切った。後ろへ手をつく。震える手で頬に触れ、手についたものを見た。赤いものが滴っている。


「あ、あぁっ……!」


 涙が溢れ、そのまま後ずさる。男がこちらへ歩くのが見えた。私は這いつくばって茂みから出た。身体を起こそうとするが、つまずき転ぶ。足音が大きくなる。


「はぁっ、はあっ……!」


 私は仰向けになる。男が真っ直ぐこちらに向かっていた。


「……っ!」


 息を思い切り吸い込み、止めた。




ーーー(表アラン)



 

 ぼやける視界で、男が足先を変えるのが見えた。


「ちっ……また邪魔が入ったな」


 視界から足が動いて消える。


 ……なんの、ことだ……?


 僅かに視線を上げた。誰かの荒い息遣いが聞こえる。茂みから女の子が飛び出し、転ぶ。その横顔は涙が滲んでいた。


 ……エディス?


 男の姿が彼女の前に立った。揺れる視界で、剣がきらりと光る。


 やめろ……。


 手元の剣を探ろうとしたが、指先がぴくりとしか動かない。


「あぁぁあぁっ!」


 彼女は手で身体を覆う。男が剣を振り上げた。


「……!」


 瞳に彼らの姿がゆっくりと映った。それは鮮明になり、目が見開かれる。

 景色が夕焼け色に染まった瞬間ー……。

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