第23話 無情な導き

ーーー(表アラン)


 

 廊下の分厚い窓ガラスは格子状の枠がはまり、陽光がじんわり滲んでいた。鳥が羽ばたく音が響き、床に影を落とし突き抜けていく。


 司祭が万年筆で依頼書にサインをする。彼が親指を滑らせると、依頼書の下でお札が顔を出した。


「では、こちらが七万ミラゴの報酬と、サインした依頼書です」


 司祭は紙の上にお札を乗せる。向きを整えこちらに一式手渡した。


「ありがとうございます」


 リリアンは両手で受け取り、引き寄せる。

 俺とルーカスは彼女の手元を覗いた。依頼書の上で、緑のお札が重なっていた。


「それにしても……猫ちゃん見つかって本当によかっですね」


 リリアンは顔を上げて微笑んだ。


「ええ……これもあなた方のおかげです」


 ミルフィが司祭の足元に擦り寄っている。


「もう決して……」


 司祭はミルフィのお腹に手を入れた。


「この子を手放したりはしませんよ」

「ニャア」

「……」


 抱き上げると、彼は綻びミルフィと見つめ合う。俺はその様子に眉を下げて微笑んだ。


「……それじゃあ、俺たちはこれで失礼します」


 ルーカスは穏やかに言うと後ろへ離れる。


「貴重なお話、ありがとうございました!」


 リリアンは前を向いてお辞儀する。ミルフィへ近づき、頭を撫でた。


「じゃあね、ミルフィ……」


 ミルフィに触れる彼女の横顔は緩んでいる。俺は司祭の方を見た。


「……俺のことも、気にかけていただきありがとうございました。どうか、お元気で」


 司祭は俺を見て目を細める。


「ふふふ、また機会があればお寄りくださいね。今度は依頼ではなく、客人として……」

「……はい!」


 俺は小さく頷いた。リリアンがミルフィから離れると、俺はミルフィへ近づく。そっと頭を撫でた。


「……またな」

「ニャオ」


 小さな口を広げて鳴いた。俺は口元を緩ませると、手を離し後ずさった。背中で光を感じ、首だけ振り向くとルーカスが扉を開けている。リリアンが外へ出た。


「……」


 2人が待つ外へ出る。白く眩い陽光が広がり、思わず顔を顰めた。振り返ると、司祭はミルフィを抱き穏やかに笑っている。その姿をじっと見つめ前のめりになる。

 キィ……と音が響き、扉が閉まっていく。そしてー司祭の姿は影の中で細く消えた。


「……」

「どうした、なんか気になるのか?」

「……いや、別に」


 ルーカスが横切ったところで、苦笑して返事した。俺たちは横に並び、広場の石畳を軽快に鳴らす。


「…そういや腹減ったよな。俺、昼食べたい」

「だよね、アラン! 私もそれ思ってた! ねぇルーカス、お店探そ?」

「あぁ、そうだな。確かあの辺で……」


 賑やかな通りに向かって歩きだす。灰色の三角屋根が並ぶ上で、青空に浮かぶ雲が少しずつ風に流れていた。




ーーー(全知)

 


 光に包まれる三人の背が扉で閉ざされてく。司祭の横顔は笑みを湛え、その様子を眺めた。


「ふふ……彼らとまた会えるといいですね」


 目を細め呟いた。  


 聖堂の扉が開くと、猫を抱え背で扉を押す司祭が姿を見せる。足元にミルフィをそっと下ろした。

 ミルフィは身廊を真っ直ぐに駆け、祭壇へ向かう。


「あっ…こら、ミルフィ!」


 司祭は慌てて後を追う。祭壇への段差をミルフィが登り、追いついた司祭に抱えられる。


「ウニャァァ」


 掲げるとミルフィは不満そうに鳴き、司祭は困った顔をした。


「すまんな……祭壇に登るのはダメなんだ。他の場所で遊びなさい」


 そういって司祭は屈む。ミルフィを窓側の方へ向かって離すと、窓辺へ向かって走って行く。

 ミルフィは両手を使い、石壁を引っ掻いている。


「……やれやれ、手のかかる子だ」


 愛おしむように司祭は微笑んだ。その時ー。司祭の後ろを横切るように、丸帽の男が静かに現れる。


「大切なんですね」


 司祭はビクッとし、咄嗟に振り返った。目を見開き男を見つめている。


「……どうされたんですか?」


 男は口角を上げ、深く被った帽子を上にずらした。穏やかに細められた目元が露わになる。


「あっ、いえ……。なんでも」


 司祭は目を泳がせた後、男から視線を逸らす。男は一瞬、口の端をぴくりと動かした。


「本当ですか? その様子、大丈夫そうに見えません。何かお困りごとでも……?」

「いや……」


 男は司祭へ歩み寄る。司祭は少し後ずさった。


「私は思うのです……あなたは信者を教え導きますが、あなた自身を導いてくれる人はいるのかと」

「し、しかし…それが私の役目ですから」


 司祭の近くで足を止めた。切なそうに目を伏せる。


「役目ですか……献身的ですね。ですがー」


 男は踏み出した。足音を鳴らして司祭の横に立つ。流し目で揺れる瞳を覗く。


「女神エリシアの名の下、全ての命は皆等しい。……この教義に基づくなら、あなたにだって教え導かれる権利があるはず」

「あっ……」

「無理にとは言いません」


 男らはさらに歩を進める。女神と人々が描かれるステンドグラスを見上げた。


「私が旅人だからこそ……あなたは役目に縛られずに済むと思うのです」


 司祭は男の方を振り向く。


「もし…話せないというのが嘘なら、話してみませんか」


 男は足の向きを変え、笑みを浮かべた。


「……きっと心が楽になりますよ」


 男は淡い逆光に照らされる。司祭は呆然としていた。彼は目を伏せ、口を固く結ぶ。


「……わかりました。そうですね」


 顔を上げ、渋い表情を見せた。司祭は男の隣まで歩くと、視線を斜め奥に動かす。

 聖堂の隅に位置するその場所は、木製の燻んだ扉が佇んでいる。


「……私の仕事部屋で、少し話しましょう」


 二人はその扉をじっと見つめた。



ーーー



 小窓から日が差し扉の色を明るく見せた。それが司祭の手で押し開かれ、男が通ると後ろで閉められた。

 通路は一直線に伸び、脇に二つ、奥に一つ扉が見える。


「この奥です」


 司祭が男を見て言った。二人は石床を踏み歩き出す。石床は暖かな光を受けていた。


 小さな丸いテーブルの中央で、黄や橙に色づく花が花瓶から顔を出している。

 そこへ湯気が立つ紅茶がコトッと置かれた。


「どうぞお召し上がりください」

「……ありがとうございます」


 司祭は切なげに笑うと、男は満面の笑みを返した。紅茶を置くと、椅子を軽く引いた。


「女神エリシアが説いた三大教義はご存知ですね?」


 言いながら、司祭は腰掛けた。


「……はい、もちろん」


 男は柔らかく微笑み、組んだ指に顎を乗せる。


「その一、慈愛の心を忘れるべからず。そのニ、エリシアの名の下、全ての命は皆等価」


 部屋の大きな本棚に神学や教義に関する本が並んでいる。窓際の机には書類や帳簿などが高く積まれていた。


「……その三、祈り捧げよ、さすれば汝の魂天界に導かれん。……ですよね?」


 男は鋭い目を細めた。司祭は束の間呆気に取られる。


「その通りです……よく勉強されてますね」

「いえ、それほどでも。その教義が何か?」

「……」


 司祭はカップに手を添える。


「……三大教義の教えに基づき、この村は天理正教の中でも独自の解釈を加えました」


 そしてカップを持ち上げた。赤い紅茶が光を通す。


「それが、この村の伝統と強く結びついているのです」

「教義そのニ、平等の精神を指していますよね?」

「はい……。平等の精神を実現するため、他者への尊重……即ち礼儀作法がこの村に強く根付いたのです。これは、村の地理的な影響も大きいでしょう」

「国に属さない、街道沿いの村ですもんね」


 司祭が紅茶を飲むと、男は組んだ指を解き足を組む。


「そしてそのうち、世界一礼儀正しい村と呼ばれるようになりました。ですが……」

 

 カップを置く指に力が籠り、紅茶が少し跳ねた。


「今や、その伝統が揺らいでいるのです。何代にも渡って続いた、秩序正しきこの伝統が……!」


 男は前のめりで司祭を見つめていた。


「これは全て、魔石の発掘が始まりでした。他国の商人が押し寄せ、交易や拠点の交渉を何度も要求するのです…!」


 司祭は顔を歪め、頭を抱えた。


「もう、うんざりだ……! 若者たちは目先の欲に駆られ信仰を忘れる始末。自由を盾に伝統など馬鹿馬鹿しいという」

「なるほど……つまりあなたは、変化を恐れているのですね」


 男の口から淡々と言葉を紡いだ。司祭ははっとして頭から手を離すと、苦しげな顔を持ち上げる。

 男は柔らかく微笑み、足を組み直す。


「変化は何も、良いことばかりじゃないですよね」 


 それが不敵な笑みへと変わった。


「……!」


 司祭は咄嗟に目を逸らすと、席から立って離れた。男はそれを目で追う。司祭は窓へ近寄った。


「そうだ、私は怖いのだ……! この村が変わり果てるのではないかと思うと。私の力不足で、この村が……!」 


 司祭は強く目を瞑る。拳を握り、背中を振るわせた。


「……」


 男は無言で立ち上がる。


「……商人の交渉にしろ、この村を食い潰す意図が透けるのだ。だから……村を守らねばと思ったのです」


 男は司祭の背後へ近づく。震える背に優しく手を添えた。


「それは……さぞお辛かったでしょう。一人で、誰にも相談できずに、抱え込んで……」

「うっ……うぅ……」


 司祭は手で目元を押さえた。その背をさすりながら、男は口の端を上げる。


「……ですが、安心してください。あなたの行動はきっと神が見ています。今に必ず救われますよ……」


 男は微笑み司祭の顔を覗き込む。


「……そうでしょうか。……神は、私を見捨てずにいてくれるのでしょうか……?」


 司祭は声を振るわせながら男を見た。


「ええ……必ず楽になれますよ」


 男は細長い目を少し開いた。


「……ですよね……きっとそうですよね……! 神は、私を……」


 司祭は顔を歪ませ、男へすがろうとする。その時ー。男の大腿ホルスターから、キラリと光るものが見えた。

 次の瞬間、司祭の目が大きく見開かれる。


「かっ……はっ、ぁ……!」


 男は穏やかに笑っている。司祭の腹部にナイフが食い込んでいた。血が脈打って溢れ出る。


「ごぁっ……!」


 勢いよく吐血する。ナイフが引き抜かれ、司祭は壁に身を打ちつけた。


「……」


 司祭は空な目で男を見る。男は相変わらず微笑んでいた。




ーーー(司祭)




 私は一体……なぜ……?


 腹から温かいものが広がっていく気がした。


「……っ」


 口を開けたが、声にならない。視界の男の姿が霞んだ。


「もう、あなたは苦しまなくていい……。」


 男は屈み、私の顎に手を添えた。


「あなたは神に導かれた……救われたのですよ」


 男は首を傾けて目を細める。視界が闇に呑まれていく。


 救われ、た……そう、なのか……?


 その時ー。脳裏に次々と記憶が駆け巡った。

 神学を学び、信仰に励む私。村人から司祭に任命される私。村人たちに教えを解き、感謝される私ー。


 何かが、頬を伝った気がした。


 あぁ、そうか。私は……変わらないこの景色が……この村のことが……。


 風がそっと吹き、目を開ける。両親や先代の司祭、村人たちが微笑んでいた。

 私は笑みを浮かべ、彼らの方へ歩き出す。

 

 私の意識は途切れていった……。




ーーー(男)




 司祭は涙を浮かべ安らかに微笑んでいた。俺はそれをニヤついて眺めていた。


「……くっ、ふふふ……ははははは! これは傑作だ!」


 思わず頭を抑えて笑った。


「本当に馬鹿だな……騙されているとも気づかずに……」


 笑いながら、ナイフの血を払う。司祭に背を向けた。


「だからあんたは……死んだんだよ」


 帽子を手で深く被せ直した。


 ……しかし、司祭がそんな問題を抱えていたとはな。なるほど、依頼人の意図はおそらく……。


 扉へ近づき、内から鍵をかける。


 さて……これから、次の段階へ踏み込まなきゃな……。


 前を睨むように笑ってみせた。



ーーー(全知)


 

 聖堂の中央で、ミルフィは祭壇を見上げていた。祭壇奥のステンドグラスは、天界を模した幾何学模様が描かれている。


 ミルフィの瞳にその光が映り込む。


「……」


 その小さな背中はぴくりとも動かなかった。

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