第22話 司祭とミルフィ

ーーー(表アラン)



 眠たげに目を細める猫を抱えている。薄暗く涼しい教会の脇を通り過ぎると、陽光が一気に広がった。首を振ってリリアンとルーカスの姿を探す。


「あっ……」


 リリアンが後ろで手を組み、教会の窓ガラス見つめていた。俺は笑みを浮かべて駆け出す。


「リリアン!」


 駆け寄ると、リリアンは振り向き目を見開いた。


「アラン……! あ、猫!!」

「そう、さっき捕まえた!」

「すごーい、やるじゃない!」


 リリアンは拳を振って飛び跳ねた。


「実は私、一回猫を見つけたけど見失っちゃって……それっきりだったんだ」


 彼女は苦笑いする。


「そうか……俺も一回逃げられたけど、次はたまたま大人しいところを捕まえたんだ」


 腕でそっと抱え直し、猫の顔を覗き込む。猫は目を瞑り、頬を横に膨らませている。自然と笑みが溢れた。その時ー。


「おぉ、アラン。捕まえたんだな!」


 顔を上げると、ルーカスが歩いてくるのが見えた。


「ルーカス……! あぁ、運良くね」

「やるな」


 ルーカスもマントで包まれた猫の顔を覗き込んだ。彼は顔を上げると、気まずそうに笑った。


「実は俺……探し回ったけど一回も会えなかったんだよな」

「あ、ほんと?」

「探すとこ悪かったんじゃ?」


 リリアンが悪戯っぽく聞く。


「……こればっかりは運だろ」


 少しむすっとしてルーカスが言った。


「ふふっ、そう言うことにしてあげる」

「んだよリリアン…」

「まぁまぁ、いいだろ。無事に猫は捕まえたし」


 2人は俺の方を見る。ルーカスは少し照れ臭そうだ。


「まぁ……そうだな」

「ちょっと揶揄っただけ、ルーカス」

「……」


 リリアンが肘でつつくと、ルーカスは目を逸らした。


「よし……じゃあ早速、教会に届けようぜ。今なら猫も大人しい」

「あぁ」

「うん」


 俺は目の前に建つ教会を見上げる。大きな窓ガラスと三角屋根が視界一杯に広がった。



 

ーーー



 アーチ型の天井を石壁が支える。ずらっと並ぶ窓ガラスから陽光が柔らかく刺しこんでいた。扉を抑えるルーカスの横を通ると、そんな空間が目に飛び込む。

 

「……」


 見渡しながら、一歩踏み込む。タン、と足音が静かに響いた。 


「なんだろう、廊下みたいな場所だね」

「……そうだな」


 リリアンが不思議そうに見上げている。俺は彼女を一瞥して返事した。前には古びた木の扉がある。


「入るか?」


 俺たちは扉まで歩く。


「待った、声が聴こえる」


 ルーカスが顔を扉に近づけた。俺は扉に手を触れ、耳をすれすれまで寄せる。


「……我が心、我が魂、汝の元へと昇らん。無垢なる光……」


 何度か瞬きしながら、穏やかな響きを聞いていた。


 これは、一体……?


 その時、リリアンの肩が視界を遮る。彼女は扉を押し隙間から覗いた。


「リ、リリアン……?!」


 跳ねるように後ずさった。


「静かに」


 彼女はこちらをチラッと見ると、声を顰めて言った。

 固まったまま、ルーカスの方を向く。彼と目が合った。ルーカスは眉を吊り上げると扉を指差し覗き始めた。俺は開いた口を紡いで俯く。

 

「……」


 目だけで見上げ、眉根を力ませる。

 慎重に扉に近づくと、二人が横にずれた。真ん中に屈んで立つと、扉から溢れた光が真っ直ぐ顔にかかる。


「慈悲深き神エリシアよ、暗き闇に包まれし我らの道を……」


 ぼやけた視界に焦点が合っていく。長椅子が整然と通路の両脇に並ぶ。その奥で祭壇前で文言を唱える聖職者の背中が見えた。

 俺は目を見開く。顔が扉の隙間にさらに近づいた。


「神聖なるその力によりて、我らに救いを与えん……」


 彼が足が開くと、漆黒のローブが揺れた。紙が擦れる音が響き、片手に持つ茶色い本がチラッと見える。


「我が祈りを聞き届けよ、我が願いに応えよ。世界に光をもたらし給え……」


 パタンと、本を閉じる音がした。彼は祭壇の上に本を置き、前で手を合わせるような仕草をする。


 祈り、なのか……?


 彼は腕を下ろし、祭壇を見上げていた。俺は視線が揺らぎ、口が開く。猫を抱える腕の力が弱まった、その時ー。


「ニャオォ!」


 突然、腕の中で猫が動いた。包んだマントから抜け腕から落ちる。


「あっ!」


 身を翻し着地する。猫のお腹に両手を伸ばすが、するりと腕から滑る。扉の隙間を潜り抜けた。


「アラン!?」

「おま……!」

「……っ!」


 眉を寄せ、勢いよく扉を開ける。そのまま中へ少し入った。


「ニャアァァ」


 猫が鳴きながら光刺す通路を走り、聖職者が振り返る。猫はローブの裾を引っ張り、見上げた。


「なんと! ミルフィ……!」


 彼はミルフィと呼ばれた猫を両手で持つ。頭上に掲げた。 


「ウニャ?」

「ミルフィ! あぁ、戻ってきてくれたのか……!」


 ミルフィを顔に近づけ、彼は涙ぐみながら頬に擦り寄せた。ミルフィは若干嫌そうに顔を背けている。


「なんてよき日だ! これもきっと神のご加護か私の祈り、が……」


 唖然として立っていると目があった。彼は目を見開き、口を大きく開けた。正面から見た彼は、短い白髪で長い顎髭を生やしている。


「あなたは、あの時の……!」

「えっと……」


 俺は頭をかく。視線を逸らし苦笑いした。昨日の一件で、もう一人の俺が聖職者たちと会話している場面が頭に浮かぶ。


 ……この人は若い聖職者の隣にいた、中年の聖職者だな。

 

「すみません、驚かせてしまって。実は俺たち……」 


 ルーカスとリリアンが前へ出た。


「掲示板で依頼を見かけたんです」


 リリアンはポシェットから依頼書を取り出す。


「もしかして、この猫がお探しの猫ですか?」


 指差しながら、聖職者へ見せた。


「あぁ、はい」


 彼は眉尻を下げる。猫を見ながらそっと抱き直した。ミルフィは頭を撫でられると、気持ちよさそうに目を瞑っている。


「そうか、そういうことですか……」


 彼は切なそうな笑みを浮かべた。頭上から降る光がその姿を柔らかく包む。

 聖職者が猫を抱えている視界の端で、一人の男が静かに座っているのが見えた。


「……」


 男は指を前で組んで垂らし、俯いている。茶色い丸帽を深く被る目元には影が落ちていた。



ーーー



 簡素な祭壇の上には茶色い本と長い蝋が置かれていた。その正面には、幾何学模様に装飾された窓ガラスが高く伸びている。


「へぇ、この村の司祭様だったんですね!」

「はい。先ほどは、日課の祈りを捧げていたんです」

「え、へへ。つい覗いちゃいました……」


 上でアーチを作る柱の奥で、抽象画が描かれた窓ガラスから光が落とされる。


「いいんですよ、立入は自由ですから。それに……飼い猫を届けてくださり、本当にありがとうございました」

「俺たちは依頼をこなしただけです」


 その光の下で、ミルフィが気持ちよさそうに背伸びした。


「……あの子は、家族のようなものですから。」


 司祭は微笑みながらその様子を見つめた。彼は真ん中の通路に立ち、俺たちは長椅子に並んで座っている。


「素敵ですね……。でも、どうして脱走しちゃったんですか?」


 リリアンは微笑み、司祭へ視線を戻す。


「それは……」


 司祭はこちらを向き、苦笑いを浮かべた。


「ミルフィに手作りの服を着せようとしたんです。そしたら嫌がられてしまい……。換気のため扉を開けていたので脱走し、そのまま1週間ほど行方不明に……」


 彼は苦虫を噛み潰したような顔をした。


「そんなことが……大変でしたね。」


 俺も苦笑する。 


「……」


 司祭はそんな俺を不思議そうに見つめた。


「ところで……君は昨日の少年、ですよね?」   


 俺は眉を寄せ目を逸らした。


「はい……そうですけど」

「……今日は、昨日よりも柔らかい印象ですね」


 腿の上で拳を作る。


「……実は、俺の中にはもう一人の俺がいるんです。何を言ってるか、わからないかもしれないですけど……」

「なんと」

「だから俺は、あんな暴力的な行動を取ったんです。どうかしてますよね……」


 俯くと束の間、沈黙が流れる。


「……確かに、私も初めはそう思いました。けど、ふと考えたんです」


 穏やかな司祭の声が聖堂を包む。


「昨日の一件で、副司祭が何のつもりか問い詰めた時、あなたは自分の身を守るためだ、これ以上関わるつもりはないと言いました。ですが……」


 足元の石床が、陽光を照り返し輝いている。俺はその場面を思い返し始めた。

 

「にも関わらず、あなたは青年ケルヴィンの暴走を止め、彼を私に引き渡しました。あのまま立ち去ることもできたのに……」


 目を見開いて司祭を見ると、優しく微笑んでいた。


「これは推測ですが…あの時あなたは、秩序を守ろうとしたのでは? 暴力こそ使いましたが、最小限の被害で済んだのですから」


 顔が歪み、頭を抱えた。


「……だけど、あんなの納得できない! もっといい方法があったはずです! それは、えっと……」


 頭から手が滑り落ちる。


「なんだろ……」


 その時ー、肩にポンと触れられた。見上げると、司祭がそばに立っていた。


「……答えは焦らずとも良いのです。それをこれから見つけていければ」

「……」


 口を開きかけ、飲み込む。咄嗟に目を逸らした。


「……司祭様が言うように、気負いすぎるなよ」

「うん……そうだね」


 ルーカスの手が背に触れ、リリアンが相槌を打った。


「それとは別に……一つ気になったことが。司祭様、よろしいですか?」  


 ルーカスの声が上から聞こえる。


「……何か?」

「若者があれだけ反発する厳しい伝統を、変えることはできないのでしょうか?」


 俺ははっとして顔を上げる。司祭は目を見開いていた。


「そ、それは……」


 彼は口を濁すと、目を泳がせた。俺はその異様な様子に目を留める。

 その時ー、タン……と静かに冷たい響きが近づいてきた。


「それは、僕も興味がありますね。是非お聞かせ願いたい」


 男は緑のチェニック、茶色い丸帽を身につけていた。黒い瞳が鋭く覗いている。


 なんだ、この男……。


「ううっ……」


 司祭の呻き声に、思わずその場で立ち上がった。司祭は俺たちと男を見比べると、目を伏せて息を詰めた。一拍置いて呟く。


「……すみません。それは、事情があって外部の方にお話しできないのです……どうか、ご理解を」

「そうですか、それは残念です」  


 司祭は歯切れの悪い顔で立ち尽くすと、拳を作って振るわせた。そして歯噛みして背を向ける。

 すると、ミルフィが彼の足元へ駆け寄り、ニャアと小さく鳴いた。


「……」


 司祭の背中を見ていた俺は、ふと視線を動かし、目を見開いた。口の端が綺麗に上がった男の横顔は、作り物のように無機質だった。彼の瞳は黒々として光がない。

 

「……!」


 一瞬身震いし、咄嗟に目を逸らす。彼のその冷たい横顔が、しばらく頭にこびりついて離れなかった。


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