第3話 目覚め

ーーー・


指先が僅かにぴくりと跳ねた。


冷んやりと湿った感触が背に広がり、咽せるような腐敗土や草木の匂いが鼻を刺す。


瞼の裏で意識がだんだんと降りてきて、感覚が鮮明になっていくのを感じる…。


ゆっくりと瞼を持ち上げ瞬きすると、上空は木々の茂みに覆われていた。驚きで勢いよく身体を起こし、首を振ってあたりを見渡す。


「え…ここは、どこだ...?!」

 

景色は真っ直ぐに伸びた高い樹木が何処までも鬱蒼とし、葉の隙間から白い陽光を落としている。地面には短い草がびっしりと生え、穏やかに流れる風が時折揺らした。


俺は片膝を立てると素早く立ち上がる。状況に理解が追いつかず、混乱しながら周囲を見渡し続けていた。


「なんで俺はこんな所に…うっ…!」


一瞬、頭にずきんとした鈍い痛みが走った。俺は顔をしかめ側頭部を手で押さえる。


なんだ...頭でも打ったのかな...。でも、痛みはすぐに引いてきた。...そうだ、何か思い出さなきゃ!


俺は頭を押さえた手を少しずらしながら、必死に思考を巡らせる...が、何もイメージが浮かんでこない。例えるなら、空っぽの箱に手を突っ込んでまさぐるが何も掴めない、そんな感覚。


...えっと…やばくない?...なんでっ!?


胸が冷水をかけられたようにヒヤッとした。

俺は両手で頭を押さえ、周囲をうろうろと行ったり来たりし始める。


どうしようどうしようどうしよう…!


次第に呼吸が荒くなり、頭はどんどん真っ白になっていく。


「…俺は、どうすれば…!」


震える声で呟くと、俺は足を止めその場にしゃがみ込んだ。


なんで何も思い出せない、そんなことってあるのか?頭打ったから?いや...痛かったのは一瞬だ。そもそもなんでこんな森の中に...俺はここで何をしていた?誰かと争った形跡もないようだし...。


焦点が定まらず、次々と浮かび上がる疑問に頭を抱えていた、その時。ふと、背中に何かがよじ登り、それが勢いよく肩まで這い上がってくる感触に襲われる。


俺は突然のことに恐怖で固まり息を呑んだ。

片手を頭から離し、重みが乗った自分の肩を横目でゆっくりと見る。


すると、俺の肩の上で茶色い毛並みの小さな生物がもぞもぞと動いているのが見えた。


「う、うわぁあぁあぁぁぁぁぁぁぁっ!!!」


思いっきり叫んで勢いよく立ち上がると、肩からその生物を思い切り手で払い抜けた。


「ききぃっ!!」


小さな生物が鋭く鳴き、目の前の地面に着地すると素早く逃げて行った。あ…なんだ、小動物か…。


一気に身体中の力が抜ける。俺は小動物が逃げて行った方向をみながら、肩を落として呆気に取られていた。


「......あ...俺も。いつまでもこんなところに、居られないよな...。」


ポツリと呟き、目を見開いて呆然としたまま、ふらふらとその場を散策し始めた。




ーーー




俺は何処までも続く変わらない景色を歩きながら、自分の置かれた状況について整理していた。


まず前提として、どうやら俺は記憶喪失のようだ。それも部分的ではなく生い立ちから今に至るまでの一切の記憶が無くなっている。…これは非常に絶望的だ。


次に、自分の名前や年齢、言語を始めとした一般知識は幸い失われていないと感じる…と言っても、自分目線だから確実性は無いんだけど。


「はぁ~…。」


大きなため息をつき、近くの木に手をついて屈んだ。さて、これからどうしようかな…。

今後について考え始めようとした、その時。


「ーーーーー!!」


遠くから、何か叫んでいるような声が微かに聞こえた。俺は瞬時に顔を上げ、声がした方向を目を細めて見つめる。


…誰かいる。とりあえず行ってみよう。


心の中でそう呟くと、俺は地面を蹴って走り出した。木々の隙間を掻い潜り、風を切ってなだらかな斜面を下る。するとー。


「...うわぁぁっ!!」

「やりやがったな!!」


徐々に金属が激しくぶつかる音と、大勢の男達の叫び声が聞こえ始めた。俺はそれを聞くなり走るのをやめて立ち止まり、思い切り眉を顰めた。


…嫌な予感がする…戦闘している…。


顔を歪ませ少しずつ後退り始める。


何か情報が得られると思って来たのに…こんなのに巻き込まれるなんてごめんだ。俺には関係ない、ここを離れよう…。


口を結んで踵を返し2、3歩走り出すが…。


「…やめてっっ!!」


女の子の悲痛な叫び声が聞こえた。俺はその声にはっとしてまた立ち止まり、半身だけ振り返る。


なんだ…何が起こっている。もしかして野盗か?誰かが襲われているのか??


俺は自分の腰にぶら下がっている剣の柄を一瞥すると、辺りを警戒しながら傾斜が増していく斜面を滑りながら下った。


...段々と視界に悲惨な光景が広がり始める。俺は木の幹に背を預け身体を隠すと、剣の柄に手をかけた。


平坦な場所で数十人の盗賊が2人の旅人を囲んで戦闘になっていて、盗賊の何人かは気を失って倒れている。

旅人の2人はそれぞれ女の子と男の子だ。2人とも負傷していて、特に男の子は右肩からの出血が酷い。彼は右肩を左手で押さえ、苦痛に歪んだ表情を浮かべていた。


「よくも…よくもルーカスを!!アネモスヴェロス!!」


彼女は激昂して声を震わせ、魔法で鋭利な風を作り盗賊へ飛ばした。


「うわぁあぁっ!!」

「こいつッ!!」


盗賊たちは一瞬怯むが、2人に向かって飛び込んでいく。2人は背中を合わせ、迫り来る盗賊たちを次々と相手にしていた。女の子は風魔法で敵を後方へ吹き飛ばしつつ体術を使いこなし、男の子はふらつきながらも必死に剣で相手の斬撃を捌いている。


俺は彼らの戦いを見ながら心臓が激しく鼓動を刻むのを感じ取っていた。


…助けてあげたいけど、俺は…自分が上手く戦えるかわからない。ここで出ていっても、何も出来ずに死ぬ可能性だってある…。


俺が柄を握る手は小刻みに震えていた。


「ぐっ……!」

「ルーカスッ!!」


男の子は脚ががくついて片膝をつき、女の子が風魔法で咄嗟に援助した。


「...大丈夫!?」

「あぁ...まだ、やれる…!!」


彼は歯を食いしばって立ち上がり、剣を強く握り締めると再び戦い始めた。だが...これ以上は持ちそうにない。


まずい、彼らはもう限界だ。俺が動かなきゃ…俺が…俺が…!!


喉の奥が渇き呼吸が浅くなる。足の位置をジリジリとずらしていくが、身体が固まってうまく動かせない。だが不思議と、その場に引き込まれるかのように極限まで集中が高まっていくのを感じていた。


「はははっ!!もらったぁっ!!」

「…っ!!」

「リリアンッッ!!!」


戦いの一つ一つの動作がゆっくりに見える。

1人の盗賊が女の子の死角から頭上に斧を振りかざした。男の子は振り向いて必死に彼女を守ろうと駆け寄るが…間に合わない!!


…この一瞬、俺は恐怖を忘れた。


反射的な無の状態で、俺は太腿に装着したホルスターから短剣を瞬時に左手で抜き取ると、そのまま盗賊に目掛けて投げつけた。


「ぐあぁぁぁぁぁっっ!!!」


短剣は手の甲に命中し、盗賊は痛みでその場にうずくまる。


「誰だっ!?新手かっ!?」

「これは…ジャンビーヤ!?」

「あそこにいたぞっ!!」

「これでも食いやがれ!!」


盗賊の1人が俺に向かって何発か水弾を打ち込んだ。俺は反射的に腰のホルダーから剣を抜くと、その水弾を奇跡的に全て捌ききった。


なんだか…自分の身体なのに自分で動かしている感じがしない…奇妙な感覚だ。


「なっ…やりやがったな!!」

「調子に乗るなよ、ぶっ殺してやる!!」


盗賊たちが怒りに身を任せ、一斉に俺の方に向かってきた。俺はその様子を見てはっとし、旅人に向かって大声で叫んだ。


「今だっ!!2人とも逃げろーっ!!!」


2人はビクッとして驚いて俺の方を見ていた。

俺はすぐに盗賊たちに意識を向けると、彼らに向かいながら弧を描いて走り出す。これは囲まれないようにしつつ十分に敵を引きつけるためだ。


ここまで来たら戦うしかない…やってやる!


走りながら俺は自分に言い聞かせた。

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