第2話 冥界の神との契約
ーーー
これは、夢なのか...?昔のことを思い出してたみたいだ。…もしかして俺、意識があるのか?
俺は閉じていた瞼を静かに持ち上げ、目元を手で触れてみる。
俺は寝そべったまま、自分の指にその触れたものを見た。
「俺...泣いてたのか......。」
俺はすぐに涙を手で拭うと、起き上がって辺りを見渡す。目の前には地面とどこまでも続く薄暗い黒紫の闇が広がり、それ以外には何もない不思議な空間だった。
なんだ、ここは...。そうだ、俺は…!
俺はふと気になって、貫かれたはずの腹部を手で触れてみた。傷は塞がっているようで、痛みも、触れた感触でさえ感じない。
どうやら、身体の感覚はないみたいだ。
おかしい...腹を貫かれたはずなのに...。あぁ、そうか俺は…。
なるほど、絶望とはこういうことを言うのだろうな。俺は、自分の状況をなんとなく察し、自嘲するような薄笑いを浮かべた。
「…目覚めたようだな、舞葬の死神。」
そいつは闇の中から突如現れた。大きい耳が上にぴんと伸び、鋭い赤い瞳が暗闇の中で光っている。犬の獣族に似ているようで、違うとはっきりわかった。
身体は筋骨隆々で、闇に溶けるような漆黒。金の装飾と複雑な紋様が刻まれた衣類を身につけていて、禍々しくも幻想的な雰囲気が漂っている。
「その呼び方はやめろ。…というより、お前の方がよっぽど死神に見えるぜ。」
俺はそいつを睨みつけた後、嘲笑うかのように皮肉をこめて言ってやった。
俺は二つ名で呼ばれることが大嫌いだからだ。
「ふん…可愛げのないガキだ。私が誰か気にならないのか?」
「…どうでもいい。どうせ俺は死んだんだろ。…ここは冥界か、それとも地獄か。」
「正解はどちらでもない。ここは冥界と地上界との狭間。お前の力は使えそうだ…だから諸事情によって、この空間に留まってもらった。」
「なんで俺のことを知っている。」
「退屈凌ぎに冥界から地上界をよく覗いていたからな。お前ほどの戦士の戦いぶりを見るのは、中々面白かったぞ。」
「…そうかよ、俺はお前の見世物か。それで、その諸事情ってなんだよ。死んだならさっさと冥界に連れていけばいいだろ。」
俺はぶっきらぼうに言い放った。
もう俺は終わった人間なんだ。天才だのなんだのと周りから言われたこともあったが、結局はあの時何もできなかった。死後の世界でどうなろうだなんて、心底どうだっていい…。
「まぁ、そう言うな。これはお前にとっても、悪くない話だと思うんだがな。1つ取引をしないか?」
「…簡潔に言え。」
「お前、千年後の世界に生き返ってみるつもりはないか?やつが封印から解き放たれる、その時に。」
そう言って、そいつは口角をあげると、俺の方に向かってゆっくりと歩き始めた。
「…どう言うことだ…。そんなことできんのかよ?」
「できる。何故なら私は、死者の魂を導き、冥界の秩序と均衡を守る神であるのだからな。」
「お前が…?こんな胡散臭いのに?」
「…一言余計だ。」
俺は人差し指を口元に当て、ほんの数秒だけ考えた。
都合が良すぎる気もするが、それがもし本当にできるなら願ってもないチャンスだ。
もしかしたら、封印の維持のためやつと共に囚われることになったルシアを救えるかもしれない。封印が解かれた時、ルシアは再びやつの脅威に晒されることになるから…。
それに、死んだ以上俺に失うものなど何もない。
「その話受けた。千年後に生き返らせろ。」
「クックック、そういうと思ったよ。だが、大まかに3つの条件がある。今から言うからよく聞け。」
「わかった。」
沸き上がる衝動を抑え息を呑む。冥界の神は指を立てながら説明を始めた。
「一つ、ゼオリスを倒す約束をするのが復活の条件だ。これは俺の都合でもある。…二つ、再生した魂は輪廻転生の輪に戻れない。つまり、死後は永久に冥界を彷徨うことになる。」
息の早まりを整えながら黙って話を聞いていた。冥界の神は3本目の指を立てニヤリと笑う。
「そして三つ…再生の代償として記憶を失う。…とまあ、こんな感じだ。話を聞いて考え直す気になったか?」
どうやらゼオリス打倒がこいつの目的らしい。その意図は妙だが、興味ないし理由はなんだっていい…いずれにしたって俺の答えは変わらない。
俺は斜め上を見つめた視線を前へ戻す。少し顎を引いた。
「いいって言ってんだろ。さっさとしろ。」
すると、目を見開いて冥界の神は俺の顔を見た。
「お前…話を聞いていたのか?何故迷わない。死後の魂は悠久とも呼べる時間を冥界で彷徨い苦しみ続けるのだぞ?」
「別にいいさ。正直、こんなチャンス願ってもなかった。千年後の世界がどうなろうが俺には関係ない。けど彼女を…ルシアを救えるっていうなら…俺はなんだってやってやる!」
俺は冥界の神を睨みつけて言った。
これは俺の彼女への償い…いや、それだけじゃない。
ルシアは、俺にとって…大切だったから。
できることならもう一度、笑った顔が見たい。
「ほぅ…面白い。たかが1人の人間のために、躊躇わず決断するか。人間という生き物は実に興味深いな!」
冥界の神とやらは嘲笑うかのように高らかに笑っていた。俺はその様子を静かな怒りを込めて見つめる。
「…あぁ、わかったわかった。そう睨むな。なら取引は成立だ。契約の刻印をお前の肩に刻もう。」
そういって、冥界の神は俺の肩に触れた。
すると、俺の視線からは見えにくいが、肩のあたりが光り、何か紋様が刻まれているようだった。
「その刻印がある限り、お前は契約に縛られる。契約は果たせばそれは消えるが…だからと言って死ぬことはないから安心しろ。」
「わかった。この後は俺はどうしたらいい?」
「そうだな…。」
そういって、冥界の神は杖をトンっと地面に叩きつけると、何もない真っ暗な空間の中に、厳かで禍々しい装飾の巨大な扉が現れた。
「この扉を潜って歩いて行け。そうすれば、お前は約千年後…やつの復活の少し前あたりの時代に出るはずだ。復活までに記憶を取り戻し、倒してみせろ。」
「...あぁ。別にお前のためじゃないけどな。」
巨大な扉は徐々に開かれていく。
中は真っ白で僅かに光が滲み出ていた。俺は扉に向かって歩いたが途中で立ち止まる。少し振り向き冥界の神に話しかけた。
「…それと最後に。ありがとうなんて言わないからな。全部上手くいったら言うかどうか考えてやる。」
そう言い捨て、前をまっすぐと睨む。扉の中へと入った。
ーーー•
「最後まで可愛げがないガキだったな...。まあいい。お前の行く末がどうなるのか、この目でしっかりと見届けてやろう。」
扉の向こうへ消えていく背中を見て、冥界の神は笑った。
ーーー•
中の空間は相変わらず真っ白だった。
俺はどこへ向かっているのだろう…。
方向もわからずただ彷徨うように歩く。ひたすらに歩く。
…考えるのが億劫になってきた。
進む度に、視界がぼやけ意識が遠のいてき無になっていく。暫くして、俺の意識は完全に途絶えた。
ーーー
どれだけの時間が経ったのだろうか。星空が巡る夜空のような、抽象的で不思議な夢を長いこと見ていた…。だが、それを夢だと自覚できる程度には意識がはっきりとし始めているようだ。
...そうだ、あの後俺は一体...!?
勢いよく目を開く。天はどこまでも深い紺青色が広がっている。俺は呆然としながら、ゆっくり半身を起こす。
ピチャッ…!
なんだこの音…。足元を見ると波紋が広がっている。乱れた茶髪から覗く朱の瞳が微かに揺れた。波打つものを手で掬ってみる。これは、水…?膝下くらいの深さか。
顔を上げ辺りを見渡す。自分をぐるっと囲むように12個の青白く光る柱が建っている。驚きで跳ねるように立ち上がった。
「なんだ、これ…どこだ、ここは…。この状況は…っ?!」
剣の柄に手をかけながら、目の前の柱に駆け寄る。手で触れながら柱を観察し調べた。
柱には数字が刻まれている。この柱は…6。その隣は…。
手当たり次第柱の数字を調べて歩きながら、俺は思考を巡らせた。…わかったことが2つ。一つは、この柱は左回りで順に数字が並んでいるようだ。これは一般的な右から順の表記とは逆だ。
もう一つは、全部で柱の数が12個だということ。12は、俺の故郷では昼夜それぞれの時間を分割する数字だ。
つまりこれら2つから考えると、この柱は時間の逆行、あるいは過去の象徴を意味していそうだ。ふっ...これから失う記憶を取り戻せってか。
近くの12と書かれた柱に手をつくと、目を細め天井を見上げる。
「にしても、ここは現実の世界とは思えないな。まだ再生の途中なのか、或いは…。」
すると唐突に、頭の中にぼんやりと何かの景色が見え始めた。俺は思わず頭を抑える。
「なっ…なんだ?!」
これは…青空、それと森の中。この視界は…まるで誰かの視点を共有しているような…。なんだ…なにが起こっている…?
その時、ふと頭に触れる手の感触に違和感を感じた。頭から手を離すと掌を見つめる。大腿ホルスターから短剣を抜くと、自分の人差し指を切りつけた。
「...痛くない...。やっぱりそもそも感触がないのか...。」
切り口からは血が流れず、みるみると傷が塞がった。なるほど、つまりこの世界は現実じゃない。俺自身も実体がない存在といえるだろう。
俺は瞳を閉じ、頭にぼんやりと浮かぶイメージに意識を集中させた。
視界の中では、誰かが森の中を進んでいく視界がぼんやりと見えた。意識を研ぎ澄ませると、風が肌を撫でる感触、草木の匂い、葉が擦れる音までなんとなく感じられるようだった。
「何故こんなものが見える...?それにただのイメージにしては生々しすぎる。間接的に誰かと感覚を共有しているような...まさかっ!」
目を見開き少し後ずさった。
異次元的空間、実体のない身体、そして感覚の共有…根拠はまだ薄いが、これらから一つの仮説が立てられそうだ…!
「俺は誰かの中にいるのかもしれない。その誰かはおそらく、再生したもう1人の...!くそっ!」
強く歯を食いしばると、近くの柱に拳を振り下ろす。拳は少しも痛まなかった。
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