第9話

 背格好は似ていたが、全くの別人だった。


 同じように艶やかな黒髪を腰まで伸ばしていたが、四谷のように顔面を覆ってはいなかった。


 自分の顔の作りにすら無頓着な俺だ。


 他人の顏なら言わずもがな。


 そんな俺でも分かるくらい、女の容姿は整っていた。


 化粧気などまるでなかったが、その必要もない程に女の容姿は整っていた。


 透けるような肌は青く見える程に白く、頭部は同じ人間とは思えない程ちんまりしていた。


 眉や輪郭、彼女の顔面を構成する全ての曲線が、有名建築家が雲定規で引いたみたいに優雅なカーブを描いていた。


 小さな鼻も、大きな目も、血を飲んだような赤を自然に宿した唇も、なに一つとして優雅ではない部位など存在しなかった。


 多分それは、俺以外の誰もが心を奪われて、思わずドキッとするような美少女なのだろう。


 それでもあえてケチをつけるなら、女の表情には難があった。


 その美しさの代償に、自信という自信、自尊心という自尊心の全てを奪われたような、おどおどした表情をしていた。


 まるで俺の前に晒す顔など見つからないというように、申し訳なさそうな表情をしていた。


 あるいはだ。


 これは仮定の話なのだが、生まれて初めて人前に自分の顔を晒す時、人はこんな表情になるのかもしれない。


 何故だかわからないが、不意に俺はそんな事を思いついた。


 何故だかわからないが、不意に俺はどうにかなった。


 吸い込んだ息の中に拳大の綿毛の妖怪が隠れていて、そいつが胸の中でダンスを踊っているような、そんな奇妙な感覚だった。


 気のせいだろう。


 俺は女に挨拶をした。


「ようこそ友達同好会へ。二年一組、部長の廻間最孤だ。君の入部を歓迎する。今この瞬間から、俺達は友達だ」


 女は返事をしなかった。


 その代わり、バカを見るような目で俺を見た。


 そして次にムッとして、言ったのだ。


「いいえ。違います」

「なにが違う」

「わかりませんか」

「わからないな」

「それは酷い。信じ難い裏切り行為です。でも、昨日の雄姿に免じて今回だけは許してあげます」

「どういう事だ? 君とは初対面だと思うのだが」

「いいえ。まさか! 私達は友達です。今の所はお互いに、たった一人の友達のはずです! 廻間さんがまだ、私の事をそのように思ってくれているならですけど……ぃ、いひひ……」


 女は怒り、次に恥じらい、最後には卑屈に笑った。


 どれ一つとっても見覚えのない顔だった。


 だが、その笑い声には。


 気持ち悪い陰気な愛想笑いには。


 忘れようがない程に、確かに俺には覚えがあった。


「その笑い方!? まさか、四谷か!?」

「ぃ、ひひ……。や、やっと気付きましたか……。そ、そうです……。廻間さんの友達の、四谷麗子です……」


 熟れ過ぎたトマトを踏んずけたように、女の美貌がグチャリと崩れた。


 今やその片鱗も思い出せない程に、俺のイメージする薄気味悪い陰気女の、四谷麗子のそれになっている。


 ……まぁ、それは少し言い過ぎだが。


 こっちの方がらしい事には違いない。


「どうしたんだその顔は。初めて見たぞ! だから分らなかったんだ!」

「う、ひひ……。わ、私も、初めて見せましたから……。恥ずかしいので、本当は人には見られたくないし、見せたくもないんですけど……。た、互井先生が、その、この方が絶対に良いと言うので……ひひっ」


 俺が四谷の失態を掃除している間、二人でそんな事を話していたらしい。


 本当に恥ずかしいのだろう。


 元々の肌の白さも相まって、四谷の頬はリンゴみたいに赤くなっていた。


 両手で左右の髪をぎゅっと握り、それを鼻の辺りに持って来てもじもじと顔の半分を隠そうとしている。


「そ、それで……。どうでしょうか?」

「なにがだ」

「その……。私の顔を見た感想とか……」

「驚いた。四谷にも顔がついていたんだな」

「当たり前です!? 私にだって、顔くらいついています! バケモノじゃないですから! そ、そうじゃなくてその、もっと他にはありませんか? なにかこう、アドバイスとか……」


 チラチラと、物欲し気な目をして四谷は言う。


「アドバイスか……」


 特にない。


 俺がアドバイスをするまでもなく、四谷の容姿は整っている。


 そんな事は本人が一番分かっていると思うのだが。


「そんなに恥ずかしいのなら、その顔は隠しておいた方がいいんじゃないか」


 ピシリと、四谷の顔面からヒビが入ったような音がした。


 そんなわけはないのだが、なぜだか俺はそんな気がした。


「それだけですか?」


 ヒクヒクと、口元を震わせながら四谷が言う。


「それだけだ。他に言う事など一つもない」

「……そーですか。あぁ、そーですか! 別に期待なんかしてませんけど!」


 拳を握ってブルブル震えると、四谷はアドバイス通り、整えた黒髪をぐしゃぐしゃに崩し、眩しい程の顔面を以前のように黒髪のカーテンで覆い隠した。


「うむ。それでこそ四谷という感じがするな」

「知りません! 廻間さんとは今日この瞬間をもって絶交です!」


 ぷいっと背を向け、肩を怒らせて四谷が出ていく。


 わけが分からず、俺は暫しの間茫然とした。


「……何故だ!?」


 どうやら俺は四谷を怒らせたらしい。


 理由は分からないが、俺にとってはよくある事だ。


 なぜかは知らないが、俺は昔から他人を怒らせやすいタチなのだ。


 だから仕方ない。


 俺という人間はそういう存在、性質の持ち主なのだ。


 赤の他人ならばそれで諦めもつく。


 だが、今回ばかりはそういうわけにはいかない。


 なぜなら四谷は、俺にとってただ一人の友達なのだから。


「待て四谷! なにを怒っているんだ? 俺に非があるのなら教えてくれ。言ってくれれば学習し、反省し、謝罪しよう! お前に絶交されたら、俺は友達がいなくなってしまう! それでは互井先生との約束を違えることになる! 嘘つきになってしまうじゃないか!」


 慌てて追いかけ謝るのだが。


「怒ってませんし、そんなの私の知った事じゃありません! なんですか! 互井先生互井先生って! 確かにあの先生は若くて美人でオッパイも大きいですけど! ふんだふんだ! 廻間さんも所詮は男なんですね! ええどうぞ。どうぞうどうぞ! そんなに互井先生がいいのなら、私じゃなくてあの人と友達になったらいいじゃないですか!」

「なにを言っているんだ? 明らかに怒っているし! 先生と生徒じゃ友達にはなれないだろ!」

「じゃあ、互井先生が先生じゃなかったら友達になるんですね? 別に私じゃなくてもいいって事ですよね! 廻間さんは別に、友達になってくれる人なら誰だっていいんでしょう!?」

「それはそうだ」

「うううううう! そう言うと思いましたけど! 廻間さんならそう言うに違いないと思っていましたけど! だからって、本当に言う事ないじゃないですか!? 本当に廻間さんって、人の心が分からないんですか!?」

「わかるか! 俺はエスパーじゃない。他人の心なんか読めるわけないだろ!」

「それでも普通はなんとなくこんな風に思ってるんだろうな~くらいの事は分かるんですよ!」

「それなら俺にも分かる。多分だが四谷。お前は今怒っている。しかもかなり。ブチ切れていると言ってもいいくらいだ。当たってるだろ?」

「バカにしてるんですか!?」


 なぜだ……。


 口を開く程、事態をどうにかしようとするほど、火に油を注ぐような状況になってしまう……。


「あぁもう! 昨日はあんなに格好よく見えたのに! どうして私はこんな人に……」

「こんなに人に、なんだというんだ?」

「なんでもないし、廻間さんには関係ありません! ていうか私には、あなたがなにを考えているのかさっぱりわかりませんよ! どうして昨日はあんなに必死に助けてくれたんですか! そんな義理ないのに! 悪者になってまで、みんなの前で先生にも怒られて! 他人なんかどうでもいいみたいな顔をしてる癖に、どうして助けてくれたんですか!」

「決まってる。それは四谷が友達だからだ。まだお前と友達でいたいと、そう思ったからやったんだ。お前こそ、そんな事も分からないのか?」


 当たり前の事を言っただけなのに、四谷は「うっ」と言葉を飲んだ。


「今だって思ってる。だからこうして謝ってるだろ。絶交なんて言わないで、仲直りしてくれ。俺に落ち度があったなら、可能な限り改善するよう努力をするから。それではだめか?」

「……だ、駄目じゃないですけど。それならまぁ、いいですけど……」


 急に怒りを萎ませると、もそもそと四谷は言った。


 そしてまた怒りだした。


「もう! 廻間さんはズルいです! ズルい男です!」

「なにがだ? ズルなんかしてないだろ。普通に真面目に謝っただけだと思うんだが」

「もういいです! 言った所で分かりませんから!」


 くるりとキビを返し、四谷が部室に戻っていく。


「良くないだろ。言ってくれなければわからないぞ俺は!」

「言いません。言うもんですか! 女の子には、言わなくても察して欲しい事があるんです!」

「無茶を言うなよ……」


 とは言え、機嫌が直ったようなのでホッとした。


 そして俺は気が付いた。


 柱の影から互井先生が、気持ちの悪いニヤニヤ笑いで一部始終を見ていた事に。


「くぅ~。甘ずっぺぇ~」

「なにやってるんですかそんな所で……」

「とある女生徒に恋のアドバイスをしたので、その結果がどうなったのか見届けに来たんです」

「意味が分かりません」

「でしょうね。本当、そう言う所ですよ? 勿体ない! あの顔を出させるのに私がどれだけ苦労したと思ってるんですか? それとも、ヒロインの素顔を知るのは自分一人で良い的な? それなら別にいいんですけど」

「なに一つとして意味がわからないんですが」

「そうじゃなければ言いませんよ。それよりいいんですか? お友達が怖い顔で見てますよ~?」

「なっ!?」


 振り返った所で、四谷の怖い顔なんか見えなかった。


 その代わり、例の俺を模した藁人形を、金槌と釘でガツンガツンと廊下の柱に打ち付けている姿が目に入った。


「信じられない! ちょっと目を離した隙にもう互井先生とイチャイチャしてる! 裏切り者! 廻間さんの裏切り者! 呪ってやる! 呪ってやるううう!」

「なんでそうなる!? 普通に話してただけだろうが!?」


 さっぱりわけがわからない。


 それでも一つ。


 ただ一つだけ、俺にも分かる事はある。


 友達とは、なんと面倒な事か!


 だがその価値はあるらしい。


 そうでなければ俺だって、こんな女に構いはしない。

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無自覚異常者の俺にラブコメを求められても困るんだが……この貞子みたいなのがヒロインなのか? A.もちろん美少女です! 斜偲泳(ななしの えい) @74NOA

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