第8話
「……ぅ……ぅ……ぅう……」
ダメだったらしい。
途中で転びでもしたのか、うつ伏せになってすすり泣く四谷の腰回りには、大きな水たまりが出来ていた。
「まぁ、予想はしていたが」
俺の呟きに、四谷は何の反応も示さなかった。
示せないと言うべきか。
叶う事ならそのまま消えてなくなりたいと願う様に、ギュッと身体を丸めて泣き声を大きくした。
当たり前だが、そんな事をしても四谷は消えてなくなったりはしなかった。
俺は念の為に用意していたバケツの水をザブンと四谷にぶっかけた。
「ぶはぁ!? な、なにするんですか!?」
「なかった事にしているんだ」
「えぇ……」
「どうやら俺は、少しだけ人とは違う所があるらしい。そのせいで他人から嫌われて、友達が出来たことがなかった。そんな俺に初めて出来た友達が四谷、お前だ」
「……廻間さん」
漏らした事など分からない程ずぶ濡れになった四谷が、前髪をベッタリ張り付かせて上半身を起き上がらせる。
「俺はそういう奴だから、初めての友達ともいきなり上手く行くことはないだろう。だからこの通り喧嘩して、逃げるお前を追い回し、転んだ所にバケツの水をぶちまけた。そういう事にしておこう」
「……その言い訳は、ちょっと厳しくないですか?」
「俺もそう思うが、俺に対する周りの評価を客観的に評価すると、疑う者はいないだろう。あとは四谷次第だ。悪かったな。必死になるのが遅かった。もっと早く本気になっていれば、こんな事にはならなかっただろう。それに関しては俺の落ち度だ。四谷は何も悪くないし、その事で自分を卑下する必要もない。そう思えないと言うのなら仕方ないが……。一応俺は、明日も部室で待っている」
四谷はなにも喋らない。
どんな顔をしているのかも、前髪のせいで分からない。
言うべき事は言ったので、俺は一人で荷物を取りに部室に戻った。
正確には、戻ろうとした時だった。
「廻間さん!? なにやってるんですか!?」
たまたま通りかかったのか、互井先生に見つかった。
「見ての通りです。四谷さんと喧嘩して、頭に来てバケツの水をぶっかけました」
「はぁぁあああああ!? なんでそんな事を!? 変人だとは思ってましたけど、そういう事はしない子だと思ってたのに!? 四谷さん、本当ですか!?」
「え、えっと……」
「本当ですよ。嘘は嫌いだ。先生は、俺の事を疑うんですか?」
ゴチンと互井先生の拳骨が俺の脳天を直撃する。
「女の子をイジメておいてなに偉そうにしてるんですか! 全くもう! 廻間さんには失望しました! 罰として、あなたはここを綺麗に掃除しておいてください! 終わったら職員室に来るように! ごめんね四谷さん! うちのクラスの生徒が酷い事して!」
「ぇ、ぁ、その……」
四谷の頭が俺と先生の顔色を伺う様に左右に揺れた。
俺は声を出さずに「裏切ったら殺す」と告げた。
四谷はなにかを言ったのかもしれないが、声が小さすぎて俺には聞こえなかったし、前髪のせいで唇の動きも読めなかった。
互井先生に見つかったのは幸運だった。
騒ぎを聞きつけ、他の同好会の連中も顔を出していた。
この様子なら、俺の嘘を疑う者はいないだろう。
俺も自然に証拠を隠滅できる。
バケツ一杯の水程度では、完全に痕跡を誤魔化す事は出来ないからな。
念入りに掃除を終わらせると、俺は職員室に向かった。
あとは互井先生に小言を貰えばミッション終了だ。
そこまでしても、明日四谷が部室に来るかは未知数だったが。
互井先生の説教は30分程で終わった。
あんなに怒った先生を見るのは初めてだったが、別に俺は驚かなかった。
むしろ、あれくらい怒ってくれなければ、俺は先生を軽蔑していただろう。
「最後にこれだけは言っておきます!」
そう言って、先生は俺に耳打ちした。
「先生は廻間さんの味方ですよ。女の子の為に泥を被るなんて、かっこいい所あるんですねぇ。うふふ」
「……バレてたんですか」
「全部見てましたから。クラスの子達から二人がなにか企んでるから様子を見てきて欲しいと頼まれて。そしたら走ってきた四谷さんがすってんころりんじょろじょろぶっしゃ~。気まずくて隠れてたら廻間さんのイケメンムーブでしょう? 先生、ドキドキしちゃいました」
「よくわかりませんが、別に女の子の為ってわけじゃありません。先生の為ですよ」
「私の為? どういう事ですか?」
「言ったでしょう。友達を作れって。だから努力してるんです。それだけですよ」
「あ~……」
呆れた顔をすると、互井先生はハッとして俺に言った。
「先生だって女の子なんですけども!?」
「女の子って歳じゃないでしょう」
「まだピッチピチの24歳ですぅ!?」
「24歳は女の子ではないでしょう」
「女の子は何歳になっても女の子なんですぅ! もう! 廻間さんはもうちょっとデリカシーというものを学んでください! せっかくのイケメンさんなのに、そんなんじゃモテませんよ!」
「別にモテたいとも思ってませんが」
自分の顔なんか気にした事もないし。
「あんなイケメンムーブしておいてよく言いますよ! 全く、四谷さんは苦労しそうですね」
「なにがですか」
「こっちの話です」
なにがおかしいのか、互井先生は気味が悪いくらいニヤニヤしていた。
なんにしろ、小言はもう終わりらしい。
「帰っていいですか」
「どうぞどうぞ」
俺は帰宅した。
眠り際、ベッドの中で一日の事を思い返す。
「……オカルトなんか信じていなかったが。中には本当の事もあるんだな」
ソックリさん。
ふざけた怪異だったが、紛う事なき本物だった。
一応、全てが四谷の自作自演という可能性も残ってはいたが。
流石にそれはないだろうし、そこまでする異常者だと言うのなら、それはそれで興味がある。
どちらに転んでも、四谷と友達になったのはそう悪い事ではなさそうだ。
「その友情も、いつまで続くか怪しいがな」
大口を叩いておいて、結局俺は約束を違えてしまった。
あと一歩力及ばず、四谷に恥をかかせてしまった。
ベストを尽くしたのは間違いないが、結果はあの通りだ。
俺の言葉は嘘になった。
悪足掻きをしてはみたが、実際の所、起きてしまった事実が消えるわけではない。
全ては四谷の気持ち次第。
駄目なら駄目で仕方ないが……。
もう少しだけ、あいつとは友達でいたいと俺は思った。
そんな事を思うのは初めてだが、事実なのだから仕方ない。
自分に嘘をついても仕方がないし、どうにも出来ない事についてくよくよ悩んでも仕方ない。
だから俺は考える事をやめにして、潔く眠りについた。
いつも通りに朝が来て、いつも通りに学校に行き、いつも通りに放課後が来る。
なにもかもがいつも通り。
予定調和の一日だった。
約束通り、俺は友達同好会の部室で四谷を待った。
存在しない世界の奇祭についての本は読み終えたので、その日は別の本を読んでいた。
仰天日本の都市伝説というタイトルで、どれもこれもどこかで見聞きしたような内容の薄っぺらなコンビニ本だ。
四谷の持ってきた本の中にあったから、暇つぶしに手に取っただけだ。
それ以上の意味はないし、そうでなければ手に取る事もなかっただろう。
一時間が経った頃、俺は四谷とはもう友達ではなくなったのだと悟った。
そうでなければ、とっくに顔を出している筈だ。
四谷が言っていた通り、醜態を晒した事で俺と対等ではいれなくなったと判断したのだろう。
あるいは別の理由があるのか。
今となっては分からないし、確かめる術はない。
残念だが、それも過ぎた事だった。
あの時、ほんの少しだけ早く本気になっていればと悔やまないでもないが。
それこそ、今更悔やんでも後の祭りだ。
いつだって、人は手遅れになってから悔やむのだ。
そういう感情を人は悔やむと呼ぶのだろう。
退屈な本から顔をあげると、小窓に人の影が映っていた。
四谷ではない事は一目でわかった。
擦りガラスに肌色が映っていたからだ。
顔面を黒髪のカーテンで覆った四谷なら、あんな風には絶対ならない。
俺は少しだけがっかりし、新たな出会いに気持ちを切り替えた。
何故ならそれは、友達を求めてやってきた入部希望者のはずである。
「鍵はついてない。用があるなら入ってこい」
いつかに言った言葉を告げると、影はビクリとして姿を消した。
冷やかしか。
そう思って訝しんでいると。
キィィィィ……。
建付けの悪くなった扉がか細い悲鳴をあげた。
真綿でゆっくり首を絞めるような、長く苦し気な悲鳴だった。
現れたのは四谷ではない女だった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。