第7話

「はぁぁぁぁぁぁぁぁ!? なんですかそれ!? ただの変態怪異じゃないですか!?」


 憤怒の前の深呼吸だったらしい。


 クソデカ大声で四谷がキレ散らかした。


「俺に言われても困るんだが。多分あれだろ。コックリさんの最中に漏らした事を苦にして自殺した生徒の霊がどうたらとか、そんな設定なんじゃないか?」


 それならば、先程からソックリさんが執拗に四谷を失禁させようとしている事にも頷ける。


『はい』


「ほら」

「八つ当たりにも程がある!? そんなの私関係ないんですけど!?」

「心霊現象なんか大体そんなものだろう」

「そうですけど、そうですけど……。それじゃあ私、漏らすしかなくなっちゃうじゃないですか!?」

「まぁそうだが。長い人生、誰しも一度や二度、そういう目に遭うんじゃないか? 知らんけど」

「適当! 他人事だと思って!」

「実際他人事だしな」

「鬼! 悪魔! 人でなしの異常者! あ、あ、あぁ……」

「出るか? 安心しろ。俺の方は既に覚悟を済ませてある」

「私は、まだですよぉおおおおお……」


 地の底から響くような声で四谷が唸る。


「過ぎた我慢は身体に毒だぞ。何度も言うが、俺なら気にしない。誰にも言わないし、お前が漏らした事は記憶から抹消する」

「そんなの……無理でしょう!?」

「まぁ無理だろうが。努力はしよう。少なくとも、四谷の前ではそのように振る舞うつもりだ」

「絶対、いやぁ! ぁ、あぐぅううう……」


 ガタンガタンと身体を揺らし、四谷は全力で前を押さえていた。


 前髪で見えないが、額には大粒の脂汗が浮かんでいる事だろう。


「どうしてそこまで我慢する。恥ずかしがる気持ちは理解出来るが、四谷の過失じゃないだろ。同じ状況に陥れば誰だってそうなる筈だ。俺だってきっと漏らすだろう。ならそれは、恥ずかしい行為とは言えないはずだ」


 苦しそうな四谷の姿は哀れだった。


 流石の俺でも見ていられない。


 だから俺は、早くこいつを楽にしてやりたかった。


 その為に事実を告げた。


「いやなものはいやなんです! 折角できたお友達の前で、お漏らしなんかしたくない! そんなの情けないし恥ずかしいです!」

「俺は気にしないと言っている」

「私が気にするんです! そんな事になっちゃったら私、恥ずかしくて情けなくて、この先ずっと、廻間さんに対して負い目を感じてしまいます! 私、この人の前でお漏らししちゃったんだって! そうなったら、対等な友達になんかなれません!」

「別にいいだろ。対等じゃなくても」

「ダメですよ!? 対等な関係じゃなかったら、友達じゃないんです! 廻間さんは、そんな事も分からないんですか!?」

「分からない。俺には友達がいなかったからな」

「そうでしょうね! 廻間さんみたいな人と友達になりたがる人なんか、私以外いませんよ!」

「そんな事はないと思うが。四谷が俺と友達でいる為に必死で頑張っているという事は理解出来た。何故それを早く言わないんだ? それならば、俺ももっと必死になった。そうでなければ対等じゃない。対等でなければ、四谷と友達でいられなくなる。それは困る。だから四谷。あと少しだけ、我慢してくれ」


 本気になった俺を見て、四谷は言った。


「は、廻間さん? なにする気ですか?」

「決まってる。四谷が俺と対等でいられるように、俺と四谷が友達でいられるように。それを邪魔する変態怪異を退散させる」

「出来るんですか!?」

「出来るかどうかは問題じゃない。やらなければいけない事をやるだけだ」


 そして俺は考えた。


 考えて、考えて、考えた。


「は、廻間さん!? なんか鼻血出てるんですけど!?」

「本気で考えてるからな。邪魔をしてくれるな」


 頭の血管が千切れるほどに考えて、俺は一つの仮説にたどり着く。


 ならばあとは、行動に移すだけだ。


「ソックリさん。まったくお前は、救いようのないゴミクズだな」

「は、廻間さん!? なに言ってるんですか? きゃっ!?」


 ソックリさんの操るコインが猛スピードで反応する。


『お』

『こ』

『ら』

『せ』

『て』

『も』

『む』

『だ』


「俺の作戦はお見通しだと言いたいのか? 俺は事実を言っているだけだ。だってそうだろう? お前は、ソックリさんは、コックリさんをしている最中におしっこを我慢できなくなり、友達の前で盛大に漏らしたんだ。それだけならまだいい。失敗は誰にでもある。だがお前は、その程度の事を苦にして自殺した。たかだか、友人の前で、おしっこを漏らした程度の事で! メンタルが弱すぎるだろ! 豆腐よりも柔らかい! 赤ちゃんよりも情けないぞ! ソックリさんなんて名乗るのはやめて、バブちゃんとかオモラシさんに改名したらどうだ?」

「う、うわぁ……」


 四谷はドン引きの様子だ。


 それならば、俺は上手くやれているのだろう。


 その証拠に。


『や』

『め』

『ろ』

『や』

『め』

『ろ』


 荒ぶるコインが凄まじい速度で三つの文字の間を行き来している。


「いややめないね。やめてたまるか。俺の前に姿を現したお前が悪い。俺の友達を困らせたお前が悪い。全部なにもかも、お前が悪いんだ! そうだろうソックリさん。いや、もうお前なんかオモラシさんでいい。漏らすのは仕方ない。それを理由に自殺するのだって百歩譲って同情してやろう。だが、そんな下らない理由で怪異化し、あの有名なコックリさんの名前を語って人前に現れて、お漏らしするまで居座るとはどいう了見だ? 全部お前が悪いの、なにからなにまでオモラシさんの自業自得なのに、どの面を下げて四谷のトイレを邪魔するんだ? お前は親に言われなかったのか? 自分がされて嫌な事は他人にしてはいいけないと。言われなかったんだろうな。お漏らし程度で自殺するオモラシさんの親だ。お漏らし程度で自殺した上に逆恨みで化けて出るオモラシさんの親だ。そういうお前の親ならば、きっとその程度の親なんだろう。きっとお前にお似合いの、醜く愚かなしょ~もない親だったんだろう!」

「ひぃいいい!? き、聞きたくない! 聞きたくない!? どうしてそんなひどい事を!? 流石に親はライン越えでしょう!?」


 前を押さえるのも忘れ、四谷は必死に耳を抑えて悶えている。


『や』『め』『ろ』『や』『め』『ろ』『や』『め』『ろ』『や』『め』『ろ』

『や』『め』『ろ』『や』『め』『ろ』『や』『め』『ろ』『や』『め』『ろ』

『や』『め』『ろ』『や』『め』『ろ』『や』『め』『ろ』『や』『め』『ろ』


 コインの速度は凄まじく、紙が焦げ、指が振り落とされそうな程に加速している。


「俺だってこんな事は言いたくない。言いたいわけがない! 誰が言わせているんだ? お前だオモラシさん! お前が、俺に、言わせているんだ! お前のやっている事はそういう事だ。そう言われても仕方のない事をしているんだ。お前の行動を知れば誰だってそう思う。バカな理由で無駄死にし、八つ当たりで有名怪異の名を借りて化けて出たしょうもないクソ怪異! それがお前だオモラシさん! 恥ずかしくないのかオモラシさん? 親もあの世で泣いてるぞオモラシさん! お前を見たら、親だって他人の振りをするだろうなオモラシさん! お前なんか知らないと、お前なんか産むんじゃなかったと、そう後悔して泣くだろうなオモラシさん! 俺だったらそうする。誰だってそうする! それ程の醜態を晒している事にも気づかないお前は何だ? ゴミだ。ゴミ以下のカスだ。カスを名乗るのもおこがましい矮小なクズだ! それすらも勿体ないが、生憎この世にはお前みたいなゴミのカスのクズを表す言葉がない! それがお前だオモラシさん!」


『や』『め』『て』

『ゆ』『る』『し』

『ご』『め』『ん』『な』『さ』『い』


「そう思うなら今すぐ帰れ! 俺の前から消え失せろ! そして二度と姿を見せるな! 自分だけじゃなく親の顔にまで泥を塗るような馬鹿げた行為を反省して、もっとマシな事をしろ! さもなく、俺はお前を罵倒し続けるぞ! 未来永劫罵って、お前の事を発狂させてやる! それが嫌なら、とっとと帰れ!』


『はい』


 へろへろと、死にかけて脚を引きずる野生動物みたいにコインが動く。


「のろのろするな! この程度で凹むなら最初から他人様に迷惑をかけるんじゃない!」


 ビクリとして、コインは今日一番のスピードで鳥居に戻った。


「よし。戻ったな。戻ったんだな? 戻ったと見なすぞ!」


 俺の呼びかけにコインは答えない。


 それで俺はようやくホッと息をついた。


「待たせたな。ソックリさんは帰ったようだ」

「……しゅごい。あんな方法でソックリさんを退散させちゃうなんて……」

「口裂け女を思い出したんだ。時代によってルーツは変わるが、現代では美容整形に失敗した女の怪異という事になっている。だからポマードと唱えると撃退できる。口裂け女にとって、それはトラウマを呼び起こす禁句だからな。同じ手がソックリさんにも効くと思った。あとは気合と物量だ。オカルトでは言霊と言って、心を込めて放った言葉に力が宿ると言うし――御託はいいな。限界なんだろ? 漏らす前にトイレに行け」

「そ、そうでしたぁ!?」


 思い出したようにコインから手を離すと、四谷は両手で前を押さえ、大慌てで駆けだした。


「ドア! ドア! 空けてください!」

「それはいいが……」


 ドアを開けると、四谷はそれこそ妖怪みたいな速度ですっ飛んでいった。


「……そんなんで間に合うのか?」


 友達同好会の部室は廊下の端にある。


 トイレとは、真逆の位置だ。


 念のために後を追うと、あと少しの所で四谷が床に倒れているのを発見した。

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