第2章 昏き黎明のエクソダス

第18話 エクソダス


 魔法世紀116年4月 ニューキャメロット


 恰幅のいい髭の男がワイングラス片手に、高層ビル上階のガラス張りの部屋から眼下の街並みを見下ろしていた。夜空の星の光を霞ませてまで煌めく街の電灯は、労働者たちの命を薪として燃える炎だ。


 大国『ヴェスピア合衆国』の商業の中心地『ニューキャメロット』。鉄の塔の建ち並ぶこの街では、日夜様々な人種、職種の人々が働き、暮らし、膨大な金が動いていた。


 その金の最大の恩恵を受けるのは労働者ではなく、資本家たちである。この男もまたその富の恩恵を受ける大富豪だった。


 男の名はグーフ・ポーカー。大富豪ポーカー家に生まれ、何不自由なく四十年間生きてきた。金の動きに敏感で勘が良い男はテーブルゲーム感覚で、金を動かしては増やしていた。男の気まぐれで職を失う人々もいたが、気にかけたことは一度もない。


 何の苦労もせずに金を儲けられる男は眼下の夜景を嘲笑いながら俯瞰する。


「猿に火は起こせんが、燃料にはなる」


 猿とは魔法弱者の蔑称の一つだ。人間は魔法を使えるようになったのだから、それができない者は人ではないという意味である。


 大昔の生き物の死骸───化石すらも燃料となるように、創造的な能力を持たず、生産性が低い、死骸となんら変わらない魔法弱者でも、使いようによっては役に立つ。

 命を削りながらも、生きるために働く民衆たちを男は社会を回すための燃料として見下していた。


「この街は眠らない。照明に騙された花が夜に開花するように、ネオンが人を夜の間も働かせる金の農園だ」


 男の周りには露出の多いドレスで着飾った女性たちが控えており、酒を注いだり、媚び諂ったり、扇情的なダンスをしている。


「旦那様のお話は難しくてわかりませんわ」


 男の隣に座る娼婦が可愛子ぶった声で惚ける。


「だろうな。お前たちのような男に媚びることしか能のない情婦には関係のないことだ」


 男の傲慢な態度にも、女たちは微笑んで肯定する。それが賢いお金の稼ぎ方で、生き残り方だ。

 

「さて、今日はどれにしようかな」


 まるで値踏みするように、並んだ女性たちを見る。女たちは商品だ。煌びやかなネオンに照らされて、夜に咲く花。自分を騙してでも、花を咲かさなければ、間引かれてしまう。全ての人類が魔法を使えるこの世界で、魔法能力の低い女が大金を稼ぐには身体を売るしかない。


「お前と、そこのお前だ」


 二人の女を指名し、ベッドに呼ぶ。欲望を隠さない下衆な表情で女を組み伏せた。膨大な富を得たとしても、人間の欲望と快楽は変わらない。哀れ、この男は金の生かし方を知らない。


 突然、部屋の照明が落ちた。娼婦たちは怖がって反射的に小さな悲鳴を漏らす。


「なんだ、これからいいところだというのに」


 照明のスイッチを何度も押すが部屋が明るくなることはない。ビルのスタッフに電話するが繋がらない。


「管理人は何をやっている。後でクビにしてやる」


 男は光魔法で丸い光の玉を作り出し、簡易的な照明とした。


「どうだ、明るくなっただろう」


「流石ですわ旦那様!」


 女たちは小さく手を叩いて喜ぶ。全ての人に魔力が与えられ、魔法を使うことができるようになったこの世界でも、魔法教育が行き届いていないため、限られた人間にしか魔法は使いこなせなかった。庶民の人々には魔法で明かりをつけることすら難しい。

 魔法教育が庶民の人々に行き届かないのは、上流階級の魔法至上主義者が世の中を支配したいからに他ならない。


 ポーン。


 男のいるフロアにエレベーターが止まった。


「やれやれ、やっときたか」


 管理人を叱りつけてやろうと男はエレベーターが開くのを仁王立ちで待つ。

 扉が開かれる。エレベーターの中には、黒い装備で武装した兵士たちが銃を構えていた。全員覆面を被っており、その正体はわからない。


「な、なんだ貴様ら!?」


 後退りする男に向けて銃から青いエネルギーが放たれる。それを浴びた男は一瞬で気を失ってしまった。


 目が覚めると男は全裸で椅子に括り付けられていた。部屋の中にはマスクで顔を隠した黒い装備の兵士たちが大勢おり、娼婦たちはいない。


 腹部には縫合跡があり、ジリジリと焼けるような痛みと圧迫感があった。さらに、古い疫病に見られる症状と同じ赤い膿疱が身体中にできており、足下の床面にはエネアド王国の『聖牛アピス』と『女神ハトホル』を象った雌雄の牛が刻まれた魔法陣が敷かれていた。


「どういうことだ!? この俺が誰かわかってやっているのか!」


 男は威張るように大声で怒鳴る。これまでは自分の名前を出せば相手は謙り、自分が大声で怒れば全て思い通りになった。


 兵士たちが道を作るように脇へ退き、仮面の人物がグーフ・ポーカーの前に現れた。蠅を模した仮面を被り、聖者のように白いローブを纏うその人物の右手には蛇の装飾が施された杖が握られている。


「おはよう、グーフ・ポーカー。安心したまえ、女性たちは無事だ」


 仮面の人物の声は隠蔽魔法によって、羽虫の羽音のように不気味に変声されていた。


「私はアロン。魔法平等主義団体エクソダスを率いる指導者である」


 近年、富豪や権力者を狙ったテロが世界中で発生している。そのテロ組織こそが『エクソダス』だった。


『エクソダス』は魔法が万人に平等のものであると魔法平等主義、反魔法至上主義を掲げており、魔法至上主義者や富豪を殺している。その実態は謎に包まれており、どんなに強固な結界の中にも侵入する神出鬼没の組織だった。


「俺にこんなことして、ただで済むと思うなよ! お前ら全員一族皆殺しだ!」


 相手がエクソダスだとわかってなお、男は威勢よく吠える。傲慢な男の人生はこれまであらゆる物事が上手くいっていたがために、己の命の危機に対する反応が鈍い。下手に出て相手の機嫌を取ったり、反抗の意思がないことを示したりして、自分の命を守ろうとする術が身についていない。


 グーフ・ポーカーは子供のように喚き続ける。やれやれと呆れるように、飽きたかのように、指導者アロンはポーカーを無視し、兵士に目配せした。

 なんの躊躇いもなく、兵士がナイフでポーカーの股間を突き刺した。


「あぎゃああぁぁぁあ!!??」


 豚の鳴き声じみた悲鳴。椅子に縛り付けられたままのたうち回る。股間からは血が吹き出し、止まらない。


 部屋の中央にはテレビの撮影機材が用意されていた。アロンがカメラの前に立つとその姿が元々この部屋にあったテレビの画面に映し出される。

 エクソダスは世界各地のテレビ局の電波を魔法でジャックしており、今この瞬間、世界中のテレビが不気味な蠅の仮面を映していた。


「私は世界魔法平等団体エクソダスの指導者アロン。この魔法至上主義社会を平等な世界へと変革する者だ」


 突然テレビ画面に蠅の仮面の人物が映し出され、不気味な声で話し始めたこの光景を見た人々は恐怖するだろう。


「これからニューキャメロットの富豪グーフ・ポーカー氏の粛清を行う」


 エクソダスは各地で富豪を殺害する際その映像を公開している。その残虐な光景は人々を恐怖させ、そして同時に支持を集めた。

 現在の魔法至上主義社会に不満を持つ者は世の中に大勢いて、彼らは魔法至上主義の金持ちが殺されるのを喜んでいた。中にはエクソダスを英雄視する者たちもいる。人殺しは肯定できない行為だが、彼らが殺している金持ちたちは、大勢の人々の人生を狂わせ、間接的に命を奪っている。罪人や悪人を成敗する義賊としてエクソダスは庶民から人気だった。


 さて、ショーが始まった。

 カメラは全裸で血まみれのグーフ・ポーカーを撮影し始める。アロンはゆっくりと彼の背後に立ちその両肩に手を置いた。流血の痛みと、仮面の人物の纏う禍々しい暗黒の魔力に、漸くポーカーは恐怖を覚え、身体が震え始めた。


「彼の犯した罪を告発する」


 それからアロンはグーフ・ポーカーが犯した罪をいくつも発表した。

 ポーカーは自分が出資する会社で働く庶民たちを軽んじて賃金を安くしたり、契約を無視して解雇し、路頭に迷わせた。それなのに自身は毎日のように豪邸で夜会を開き、豪遊の限りを尽くした。

 エクレシア教の国であるヴェスピア合衆国において、裕福なのにも関わらず、貧しい者の支援をせず、私欲を満たし続けるポーカーは罪人に等しい。

 更にポーカーは未成年の少女を金で買い、性的な行為をさせたことがある。司法とマスメディアに対して大きな影響力を持つポーカーはこのことを揉み消し、罰を受けていない。


「この国の法が裁かないのならば、私が神に変わってこの男を裁こう」


 仰々しく、演劇のように大袈裟な所作で両手を広げるアロンの演説が、後ろめたい過去を持つ人間を恐怖させ、貧しい人々たちを歓喜させる。


「判決を下す。───死刑だ」


 夜に聳える摩天楼の上から、声高らかに指導者は宣言した。いつのまにか、高層ビルの近くに集まっていた野次馬やエクソダスの信奉者が歓声を上がる。


 その光景を魔法騎士団は高層ビルの下からは歯痒そうに眺めていた。エクソダスが高層ビルに展開した結界を破れず、見ていることしかできなかったのだ。


 円卓の騎士を招集したが、州ごとに転移魔法の規制が異なるヴェスピア合衆国では転移魔法での移動が滞り、時間がかかりすぎる。海外の騎士を呼ぼうにも、海路か空路を用いないといけないためこちらも時間がかかる。


 テロリスト対策に世界中で転移魔法の規制が厳しくなったのだが、却って自分たちの首を絞めることになった。

 結界をすり抜けて転移し、強固な結界に籠城するエクソダスの戦法に魔法騎士団は後手に回っていた。

 

 高層ビル上階の窓ガラスが割れ、アロンが姿を現した。椅子に縛り付けられたポーカーを今にもビル外に突き落とそうとしている。


「やめてくれ! なんでもするから、命だけは助けてくれ! そうだ、金をやる。俺の金を全部やるから!」


 無様に命乞いをする。しかし、アロンは聞く耳を持たず、椅子ごとポーカーを蹴り落とした。


「ああっ、どうか神様、お助けくださいっ!!」


 悲鳴を上げて落ちていく小太りの男。これまで信じることのなかった神に縋る。その願いが届いたのか、落下するポーカーの体が空中で停止した。


「……ああ、神様」


 涙を流しながら安堵する。ポーカーを止めたのは神ではなく、アロンだった。ポーカーにはアロンが神に見えたのかもしれない。


「平等な世界を築くための燃料となれ」


 ポーカーの腹が裂け、爆発した。ニューキャメロットの夜空に血と肉と爆炎が飛び散る。腹に仕込まれていた魔力爆弾をアロンが起爆させたのだ。

 その残酷な光景は世界中に放送され、悲鳴と歓声が各地から沸き立つ。


「エクソダス! エクソダス!」


 ビルの下に集った観衆の一部がエクソダスを賞賛し声を上げた。アロンはその声に応えるように身を乗り出し、両手を広げる。恐怖という名の火が灯り、狂った平等に向かって燃え上がった。

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ヤンデレ女神の巫女 〜前世で助けたヤンデレ女神に取り憑かれましたが、使い魔にして魔法学校に通います〜 雲湖淵虚無蔵 @jsnpiy

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