終
図書館を飛び出すと、みやこはすぐに見つかった。
「悪いね。手間かけさせて」
おれの言葉に、みやこは憮然として答えた。
「まったくだ。覚悟はできたか?」
「ああ。――あおちゃんの生贄はお前でもいいんだろ?」
「そうだ。勝ったやつがあおちゃんを満たし、心中する権利を得る」
「いちおう訊いておくが、おれは何人目だ?」
「三人目だな」
やはりそうか。拳を構え、小さく舌打ちをする。
目が違った。
過去の周回で見たみやこたちは、どいつもこいつもろくな目をしていなかったが、それでも、根本の色は同じだった。
こいつは違った。
人を殺した経験の有無は、どうやら人格を決定的に変えるらしい。
だが、引くわけにはいかない。あおちゃんを救うためには、まずこいつを退ける必要がある。
「ふぅ~~~~~~」
視線をそらさず、深く、深く息を吐く。こんなことならあおちゃんと一緒におれも空手をやっていればよかった。一瞬そう思ったが、敵も強くなるのだから意味はない。どう転んだところでミラー対戦となるのだ。
「しっ!」
先手必勝。アスファルトを蹴って距離を詰める。わずかに目を見開いたみやこが大きく避けた。
戦いの経験値はほぼ同じ。どんなゲームでもそうだが、素人同士の戦いにおいては、攻撃しているほうが圧倒的に有利。ならば受けに回るメリットはない。追撃、追撃と拳を振るう。
だが、逃げに徹され、当たらない。
「チッ」
このままではいたずらに体力を消費するだけだ。一度間合いを取り、短く呼吸をす――
「!?」
なにかが飛んできた。顔面に向けて。
反射的に身をよじる。が、間に合わない。右目の横、こめかみに鋭利な痛みが走る。
「くっ」
痛みと、しぶく鮮血。顔の血は止まりにくいと聞いたことがある。まずい。はやる動悸。狭まる視界。
当然、そんなでかい隙を見逃してくれるわけがない。
「ぐあっ!」
つま先が腹にもろに入った。うずくまる。
痛い。鈍痛がすべての思考を塗りつぶす。
だが、ダウンを取ってくれるレフェリーなどいない。
当然、
「がはっ」
追撃。
今度は脇腹だ。骨がきしむ。アスファルトに転げ、なんとか逃げなければとそのままゴロゴロと距離を取る。容赦なく追いかけてくる足音。
なんとか体勢を立て直し、二本足で立つ。
顔の右側にべったりと血がついているのがわかる。だが拭っている余裕などない。
どこから取り出したのか、ナイフを構えるみやこ。
視線をそらさず、周囲に気を張る。このままではジリ貧だろう。
武器も精神性も向こうが上。身体能力は同じ。なら、なにか外部の力を頼るしかない。さきほどこいつが投げたナイフは、と視野を広げるが、見当たらない。ほかに使えそうなものは……と考えたところで、ふたたびナイフが接近。反射的にのけぞり、ギリギリかわす。
「!?」
押し倒された。アスファルトにもろに頭蓋骨が激突し、脳内に鈍い音が響く。
反射的に顔面を両腕でガード。が、その上からタコ殴りにされた。
ダメージの蓄積。ドーパミンが痛みをやわらげてくれるが、それでも厳しい。歯を食いしばり、なんとか逆転の目を探す。
「……」
気づいた。
みやこの血走った瞳。音がしそうなほどに食いしばった歯。こいつもけっして余裕綽々というわけではない。慣れた手つきでもない。恐怖と戦いながら必死におれを殴りつけているのだ。
なるほど、つまり――
「今です先輩!」
みやこの奥へ叫ぶ。当然、誰もいない。
だが、一瞬。目を見開き、ほんのわずかの隙間、みやこがふりむく。
おれは腹筋を最大限稼働し、勢いよく上体を起こし、「おらぁ!」みやこの側頭部に額をおもくそ打ち付けた。
トンカチで叩いたような音が鳴り響いた。
いきおいみやこが倒れる。
血の吹き出す視界をそのままに乗り上げ、こんどはおれが拳を振り下ろした。
「あっ」
それが、みやこの最後の声だった。
殴り、殴り、殴り、殴り、殴り、殴った。噴き出る血がおれのものなのか、みやこのなのか、それすらもわからない。ぬるぬるとすべった。構わず殴り続けた。途中何度かイヤな音がして、感触も変わって、たぶん骨までいったんだろうと察して、それでも殴った。
陥没して、ようやくおれは呼吸を取り戻した。
ふらふらと立ち上がる。拳に付着した血をズボンで拭う。裂傷になっているようで、激しく痛んだ。
研究所へ向かわなければ。そう思っておぼつかない足を動かす。
「出井くん」
声をかけられた。振り向く。
先輩が、引きつった顔でアクエリアスを差し出してきた。
「……」
おれは無言で受けとり、喉奥に流し込んだ。
「出井くん。君、正気?」
「正気なわけないですよ。あおちゃんと対峙するなら、正気でなんていられませんから」
「そ」
それだけ言って、彼女は、背を向けた。
おれも彼女に背を向けて、研究所へと歩き出した。
「おかえりぃ」
若桜がいつものニヤけづらで出迎えた。
「今度は早かったねぇ」
「タイムマシンじゃないから。もっといいものを貰いに来た」
「ほう、なにをだい?」
「こないだみせてくれただろ? 自殺薬だよ」
「私は見せていないんだがねえ。まあ、いいよ。好きにしたまえ」
扉を開けると、あおちゃんはいつもどおりの顔でおれを出迎えた。
「みゃーくん。……おみやげは?」
「ごめん、おれが殺した。だから、かわりを持ってきたよ」
「なに?」
「さっきの質問への答え」
おれになにができるのか。
あおちゃんは何度も自殺した。タイムマシンで何回やりなおしても、地獄の生に縛られるより死という解放を選んだ。
でも、死を喜んでいたわけではない。死ぬ直前、あおちゃんの顔はいつも恐怖に染まっていた。
生きるのが苦しいことは、死にたいということではない。
死にたいからといって、死ぬのが怖くないわけがない。
自殺を止めることも、止めないことも、あちゃんのためにはならない。
だから、おれは決めた。
「恐怖も苦痛もなく、あおちゃんを殺す」
きっとそれが、あおちゃんにとって一番マシだから。
あおちゃんは一瞬目を丸くし、口の端を吊り上げた。
「いいね。みゃーくんから今まで聞いた言葉で、一番嬉しい」
今まで見たことのない表情。
これまで見た中で、一番美しい笑顔だった。
「あたしを殺して。この、どうしようもなくズレてしまった脳を破壊して、潰して。……みゃーくんを殺してしまう前に」
「うん。あおちゃん。――愛してるよ」
駆けたのは、同時。
一瞬で距離が詰まる。
あおちゃんの包丁が一直線におれの顔面に迫る。
鬼気迫る顔。空手の大会でもここまでの顔はしない。本気だ。あおちゃんは殺してと言いながら、本気でおれを殺そうとしている。
縮みそうになる心臓を叩き、膝を折る。頭上に包丁をかわし、そのままあおちゃんに組み付いた。空手のことはわからないが、組み技がないことは知っている。柔道なら体育の授業でやったし、体格差もあるし、まったく不利とは言えない。
勢いにまかせてあおちゃんを押し倒す。
はずだった。
のしかかるはずの体重が、ない。
一瞬遅れて気づいた。
あおちゃんは片足を引いて、タックルをすかしたのだ。
勢い余って倒れこむ。
コンクリートに手をつきそうになった瞬間、下から強烈に蹴り上げられた。
「がはっ!」
声とともに胃液が飛ぶ。受け身も取れず落ちる。だがうずくまる時間はない。右も左もなく暴れ、なんとかあおちゃんの照準を定めさせないように――
「っっっ〜〜〜!!」
背中に焼けるような痛みが走った。
刺されたらしい。一瞬遅れて理解した。
なんとか逃れようともがくその隙に包丁を抜かれ、また鋭利な痛みが脳を焼いた。
脂汗がぶわっと吹き出る。
手足がしびれ、血の気が引く。
だが、それがどうした!
心の内で叫ぶ。
ふたたび刺される包丁。痛い。構わない。穴だらけにしたらいい。
タイムマシンに比べれば、こんなのは屁でもない。
死ぬほど痛い。が、溶かされるほどじゃない。こんな地獄はとうに超えてきた!
「ぐああああ!!」
歯を食いしばり、震える足に活を入れ、立ち上がった。
包丁を引っこ抜き、放り捨てる。
「……みゃーくん、そんなに強かったんだ」
相対したあおちゃんが、半ば呆然とした声でそう言った。
走馬灯のようによぎる、長い、長い一日。
「強くなったんだよ。今日」
「そっか」
すこしだけ、ほんのわずかにあおちゃんの口元が緩んだ。
たぶん、おれの気のせいなんだけど。
「あおちゃん、終わりにしよう」
「うん」
平静を装ってはいるが、満身創痍だ。宣言するまでもなく、次が最後の攻防となる。
地面を蹴って、再度のタックル。
あおちゃんは、今度はかわすことなく正面から受け止めた。
「っ!」
同時、背中に打撃が打ちこまれた。おそらく肘だろう。傷口をえぐられ、身体に電流が走る。
一瞬、力が抜け、倒れそうになる。が、あおちゃんの腰に回した両腕に力をこめ、歯を食いしばり、すんでのところで踏ん張った。
たとえ全身麻痺しようと四肢をもがれようと、あおちゃんを押し倒す。ただそれだけのために、耐える。
二度、三度、四度。あおちゃんはなにも口にせず、無言でおれの背中を殴打する。鈍い音が脳に響く。肺から空気が漏れ、視界がチカチカ点滅する。
一瞬、あおちゃんの攻撃がやんだ。かすかに聞こえる、息を吐く音。
このときを待っていた。
「おおおおおお!!」
叫び声を上げながら、おれはあおちゃんごと、思い切り横に倒れた。
仰向けに押し倒されると思っていたのだろう。あおちゃんはわずかに困惑の声を上げた。しかしそこはさすが何年も空手を続けている武闘派。たたらふみつつ、強靭な体幹でもってギリギリのところをこらえた。
はずだった。
幸か不幸か、踏みなおした足が、血と汗の水たまりにとられた。
まともに受け身も取れず、ふたりそろってコンクリートに叩きつけられる。
もろに頭を打ち、痛みにうめくあおちゃん。
おれはかまわず、ポケットから瓶を取り出した。
若桜からもらった自殺薬――凝縮した高濃度硫化水素のフタを開けた。こいつを一息吸えば、どんな人間も一瞬で気を失い、苦痛も恐怖も感じる間もなく死ぬ。
あおちゃんの首に左腕を回し、口元へ瓶を持ってゆく。
あおちゃんの目が見開かれる。毒ガスであることを察したのか、単なる直感か、無我夢中に暴れ出した。
まずい。このままでは濃度が薄くなる。無駄な苦痛を与えるわけにはいかない。
迷ってる時間はない。
おれは、一瞬の逡巡を捨てて、叫んだ。
「あおちゃん! ポケットに同じのあるから!」
フタの空いた瓶を、おれの口元にもってくる。
勢いよく、すべての気体を吸った。
おれは、死んだ。
ポケットにもうひとつある硫化水素の瓶をあおちゃんが使ったかどうかは、知らない。
使ってくれていたらいいな、と思う。
みやこおち しーえー @CA2424
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
近況ノート
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます