十一
タイムマシンを乗り継ぎ、昼前に戻った。
カプセルを出て深く息を吸う。この瞬間が一番、生きているという気持ちになる。
「今度こそ、さようなら」
「うむ。また来てくれたまえ」
若桜の軽口を無視し、研究所を出る。
瞬間。
「よお」
声をかけられた。
初めてのパターンだ。
驚いて振り向くと、やつれた顔のみやこが力なく手を挙げていた。
思わず尋ねる。
「何周目だ?」
「忘れた。それより、」
みやこはおれをにらむようにして言った。
「あおちゃんを救う。力を貸せ」
「……状況のすり合わせをしよう。お前は今どこまで知ってる」
はいともいいえとも答えず問う。
「まず前提だが、あおちゃんの死は運命なんかじゃなく、自殺だ。これはいいか?」
「ああ」
「おれは今朝あおちゃんと接触して、自殺をやめるよう説得した。今のところ落ち着いてはいる」
「今は授業受けてるのか?」
「いや、廃病院にいる」
「はいびょ……なんで?」
「それは、見てもらったほうがはやいな」
そう言って歩き出そうとするみやこ。
「待て待て。お前はおれになにをさせたいんだ。協力の具体的な内容を教えてくれ」
「警戒心が強いな。自分自身を疑うのか?」
「そういうわけじゃ……。心構えくらいはしておきたいだろ」
半分本心、半分言い訳だ。当然警戒心はある。
こいつはたしかにおれ自身だが、生きてきた世界線が違うのだ。
それに、もとが同じ人間だとしても、何度もタイムマシンに乗ってやり直している間に性格が変容するに決まっている。
おれ自身、最初と比べるとずいぶんスレたなと感じる。
「まあいいか。説明してやるよ。今あおちゃんは、殺人衝動が極端に強くなってる。それこそ、自分自身を殺してしまいかねないほどに」
「自殺の原因は警察に捕まりたくないからだって聞いたけど」
「常陸にだろ? あおちゃんがそう言ったのか?」
「いや……」
口ごもってしまう。
たしかにそうだ。あんな得体のしれない初対面の音楽家よりは、あおちゃんを救うべく何周もしているおれのほうが信用度は高い。
納得するおれに、みやこは続けた。
「おれは、あおちゃんが一番好きだ。この世で一番。世界中を敵に回してでも、あおちゃんの一番の味方であると誓った。だから、あおちゃんの苦しみを埋めることを選んだ」
「……どういうことだよ」
イヤな予感。悪寒が背中を這う。
「簡単な話だ。あおちゃんは人を殺したくてたまらない。だからおれは、生贄を持っていくことにした」
「……正気か?」
「正気なわけないだろ」
みやこは即答した。
「正気で生きていけるほど、あおちゃんの隣の席はぬるくねえんだよ」
「……今まで、なんとかなってただろ。今回も嵐が過ぎるのを待てないのか?」
「見れば、お前のその考えの甘さがわかるよ。生贄探しに協力するかは、それから決めればいい」
「わかった」
数瞬の逡巡を経て、首肯する。
あおちゃんの自殺を防ぐという目的自体は一致している。それに、どっちみちあおちゃんに会いにいくしかないのだ。ド級の犯罪行為に手をかすかはともかくとして、ここでつおていかなければ、むしろ、なんのためにタイムマシンに乗ったのかわからなくなる。
十五分ほど歩いて廃病院にたどり着いた。
怪しい雰囲気の空間をずんずん進む。
錆びた金属の扉。みやこは軋む音をたてて開けた。
そろりと足を踏み入れる。
「みゃーくん」
制服姿のあおちゃんがコンクリートに座ったまま、顔を上げておれを呼んだ。
ほこりっぽい。血のにおいはしない。すこし安堵する。
あおちゃんのいつもの柔和な笑み。
おれの前でだけ披露する表情。
おれの前でだけは、素の姿をさらけ出せるのだと思っていた。
「あおちゃん。なんで常陸や山崎さんに頼ったの。おれがいるじゃん」
信じたかった顔が、途端、歪んだ。
眉をひそめ、顔をしかめ、昆虫でも眺めるような目でおれを見つめ、小さく息をついた。
「つまらないこと言うね」
あおちゃんはそう言って、そっぽを向いた。
怖い。
たぶん、おれの今の感情はそれが一番近い。
なにが怖いのかは判然としない。あおちゃんそのものをおそれているのか、嫌われることなのか、逆鱗に触れることなのか。
「みゃーくん何周目? どこまで知ってるの?」
「常陸に知ってる範囲のことは教えてもらった。警察に捕まるよりマシだから自殺を選ぶってアイツは言ってたけど、実際のところどうなの」
「それを知ってどうするの」
「……自殺を止めたい」
数瞬迷って、でもほかに言いかたを思いつかなくて、結局まっすぐに伝えた。
あおちゃんはふてくされたように言った。
「どうだっていいでしょ。あたしが死んでみゃーくんになんの影響があるの」
「あるに決まってるじゃん。あおちゃん、警察に自首しよう。おれたちはまだ少年法で守られてるし、きっとすぐにやり直せるよ」
「無理だよ」
あおちゃんはどこか嘲るように、あるいは儚げに、口端を上げて言った。
「あたしはやり直せない。たとえ執行猶予がついても、無罪放免になっても、あたしはもう終わってるの」
「そんなことないって。おれもできるかぎり協力するし」
「ふぅん」
あおちゃんは品定めすようにおれを見た。
「みゃーくんになにができるの?」
「えっ」
おもわず固まる。
「それは、その、首を絞めたり……」
「ああ、今までみたいにね」
「うん、そう、そういうかんじで、」
「みゃーくんがしてほしいだけでしょ」
おれの言葉をさえぎって、あおちゃんが冷たく言いはなった。
声が出なくなった。
あおちゃんは侮蔑の色を目に浮かべる。
「あたし知ってたよ。みゃーくんがあたしに首を絞められて興奮してるって。気持ち悪かったな。それに腹立たしかった。『あおちゃんのため』なんて責任を押しつけて、自分だけいいとこ取りしようっていう卑しさが」
乾いた空気に乗って、彼女の冷たい声が心臓を刺す。
「ちが」「ちがわない」
斬り捨てられる。
「みゃーくん、自分を優しい人だって思ってるでしょ。だから、あたしもみゃーくんをそういう人だって扱ってた。みゃーくんに気持ちよくなってもらうために我慢してた」
吐き捨てるような声色。
「あたしは、みゃーくんが嫌いだよ。自己中で、思いやりなんてなくて、想像力も足りない。自分が間違っているかもって不安を抱くこともない。あたしは、みゃーくんに助けられたことなんて一度もないよ」
舌が痺れる。身体中から水分が抜けていくような錯覚。足元がぐらつく。
これまでのすべてを否定され、それでも、かろうじて反論を口にした。
「教えてくれれば良かったのに」
「言えるわけないじゃん。みゃーくんの機嫌を損ねたら、お父さんが今度こそどうなるかわかんないんだから」
「……どういうこと?」
「昔、旅行先で遭難したことあったでしょ? みゃーくんが良い思い出に美化してるやつ。あれのせいで、お父さん降格人事を食らったの。社長様が怒って。うちの家は、その日からおかしくなっちゃった」
「…………」
父は感情的な人だ。あの日も相当こっぴどく怒られた。とはいえ、そんな仕事とは関係のない個人的感情で会社の人事を決定する人間だとは思っていなかった。
今度こそ返す言葉を見つけられず、押し黙る。
あおちゃんは構わず吐露した。
「あたしはずっと殺人衝動が苦しかった。人を殺したいのに殺しちゃいけなくて。そもそもそんな欲望があるだけで社会不適合者の烙印を押される世界で。家族はおかしくなって、唯一信頼できるかもって思った幼馴染には裏切られた」
泣きそうな顔だった。
「だから、常陸のことも山崎のことも話さなかった。どうせ、みゃーくんは嫉妬するだけで、その感情はあたしにとってはどうでもいいことだから」
冷たい目で。声に怒りを乗せて。
でも、たぶん内側には絶望が詰まっていた。
「わかる? わからないよね。あたしにとってこの世界は地獄なの。救いのない拷問。たとえ執行猶予で出られても、無罪放免になっても、あたしの内側からわき出る殺人衝動は止まらない。首をかき切りたい。脳みそを叩き割りたい。ミキサーでかき混ぜたい。なんでもいい。どんな手段でもいいから、生命を終わらせたい」
「山崎さんを殺しても、まだ?」
おれの問いかけに、あおちゃんはちいさく首を振った。
「たったひとかけらのパンじゃ空腹は癒せないよ」
扉の閉まる音が背後から聞こえた。
思わず振り向く。みやこがじぃっとこちらを見つめていた。
「だからね、」
あおちゃんはゆるりと立ち上がり、おれのもとへ歩み、皮肉っぽく言った。
「みゃーくん。……愛してるよ」
瞳の先数センチ。包丁をつきつけてきた。
ここにきて、ようやく理解した。
みやこのいう生贄は、おれだったのだ。
震えた。
恐怖。
ほんとうに、心の底から恥ずかしい話だ。
こんなこと、絶対に口にはできない。顔から火が出て焼死してしまう。それくらい、おれという人間の尊厳を折る話。
あおちゃんが世界一好きだと。あおちゃんのためならなんでもできると。そう豪語していたくせに。
おれは、殺されるのが怖くて怖くて震えたのだ。
いざ死が現実味を帯びたら本能が理性を押しのけてしまった。
「うわああえあ!!」
一目散に出口に向かった。確保してこようとするみやこの顔面を殴り、扉を開ける。
部屋を出て、走りながら振り返る。
あおちゃんの失望した顔。
を上書きするように、みやこが追いかけてきていた。
「ひぃっ」
血の気が引き、おもわず声がもれる。
情けない。みっともない。理性が自嘲しつつ、泥水をすすってでも生きたいと本能が脚を動かした。
廃病院を出て、ひたすら走る。脇腹が痛くて、心臓が悲鳴を上げて、脳が酸素をよこせと怒る。運動不足がたたってすぐに息が切れた。
胸を、脇腹を殴り、走り続ける。振り返る。距離が取れない。
どうする。どう逃げる。アイツはおれ自身だ。並の発想は読まれる。が、裏をかこうとしたところで、それを読まれる可能性もある。
なにか、おれの意思の介在しないものが必要だ。
ならば。
行き先はひとつしかない。このへんで、平日昼間でも人のいる場所へ――
ドタバタと駆けこむ。
カウンターから向けられる白い目。苦笑いでごまかす。
慣れたにおいを肺に取りこむ。
図書館。
これがおれの選択だった。
さすがに中に逃げこめば、無理に追ってはこないだろう。ちらりとうしろへ視線をやり、正解だったことに安堵する。
もちろん、ずっとここに籠城するわけにはいかない。それに、なにかの拍子に突入してくる可能性もある。気を抜くべきではないだろう。
とりあえず奥へ歩を進める。読書スペースが目につき、鉛のような身体を椅子に落とした。一瞬、本に目を落としていた老女がこちらに視線を向けてくる。申し訳ない。そう思いつつ、気づいたらおおきなため息が出ていた。
『みゃーくん、自分を優しい人だと思ってるでしょ』
あおちゃんの言葉が頭の中でリフレインする。
心臓のあたり。針で刺されたように痛む。
両手で顔を覆う。世界が暗闇に落ちる。
恥ずかしい。誰にもみられたくない。世界中の人の知らない空間で死んでしまいたい。
こんなに。こんなにおれはダサかったのか。突きつけられてようやっと気づいた。優しい人だと思われたい。まったくそのとおりだ。おれは優しい人なんだと自認していた。ほんとうは、そう見られたくて表面上優しそうな言動をしていただけだった。
恥ずかしい。恥ずかしすぎる。あまりにみっともない。救いがない。
こんなおれでは、あおちゃんに嫌われても文句など言えるはずもない。常陸や山崎さんに嫉妬する資格すらない。
殺されてしまえばよかった。こんな醜態をさらして生きるくらいなら、おとなしく包丁で殺されていればよかったのだ。
「っっっあ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜」
ダメだとわかっていても、溢れ出てくる感情をこらえきれなかった。
「出井くん」
声をかけられた。
口を閉じ、手のひらをはずして振り返る。
「大丈夫?」
小さな身長。栗色に染めた短い髪の毛。短いスカート。
結局名前を聞く機会のなかったあおちゃんのクラスメート女子が、心配そうな顔でおれを覗きこんでいた。
「すみません、わがまま言って」
老女の視線に耐えかね、場所を移動した。ロビーで、と最初は外に連れ出されそうになったが、断固拒否して、結果、絵本コーナーにふたりで腰を下ろした。
未就学児を脇目に、先輩は気にしないでと手を振った。
「それより大丈夫? すごい疲れた顔してるよ」
「…………先輩、すこしだけ、聞いてもらっていいですか?」
尋ねると、先輩はきょとんと目を丸くして答えた。
「いいよ」
「その、たとえば。たとえばの話なんですけど、……好きな人に、あなたを殺したいって言われたとして、断ったら、ほんとうの意味での好きではなかった……んでしょうか」
たとえば、と言いながら、思いつかず、直接的な問いになってしまった。
「それはまた、極端な話ね」
多少面食らったようで、しかし彼女は淀みなく答えた。
「好きってだけなら、いいんじゃないの? すべてを捧げることが好きの定義じゃないでしょ」
「でも、ほんとうに好きなら、できることはなんでもするべきじゃないですか? 相手の欲望と自分の欲望を天秤にかけて自分に傾くなら、それは、一番ではないってことですよね。『殺したくて殺したくて仕方ない。あなたを殺すことがわたしの一番の幸福なの。それができなければ地獄の苦しみにのたうつことになるの』って言われたとして、それでも殺されたくないって拒絶をするのって、やっぱ好きとは言えないんじゃないかという気がして」
「出井くんそんなに恨み買ったの?」
「ちがいますちがいます。たとえ話です」
あわてて首を振って否定する。
「まあ、いいけど。物事には例外がつきものだから、そういう端っこの話はあんまり気にしなくていいと思うのだけど。それはそれとして、そもそも、それを言われた時点で好きじゃなくなるでしょ。ふつう。なんでそんなこと言われて好きであり続けなきゃいけないの」
「……わかんないですよ」
「好きなんじゃなくて、好きであり続けようって思ってるんでしょ」
「ちが、ちがいます」
遮って否定する。
おれはあおちゃんが好きだ。はじめて会った日から。あの瞳に吸い込まれた瞬間から。
「好きだっていう情報をアイデンティティにしてしまってるんだよ。だからそんな矛盾したことを平気で言えるの。出井くんは、仁本のことを好きでもなんでもない。なんならうっすら嫌い。でもそうだと認められるほどの強さもなく、矛盾に向き合う事もできず、なあなあで済ませてきたツケが、殺したい宣言なんじゃない?」
……なにもしらないくせに好き勝手言うな。心のなかで拒絶の言葉を並べて、しかし口には出せない。
「……でも。だとして。見捨てることできないです。地獄の苦しみから救いたい。そう思うのはおかしいですか?」
「いや? 美しいとおもうよ?」
あまりに平然と答える先輩。
おれはその言葉をゆっくり、ゆっくりと咀嚼し、飲みこみ、それから、言った。
「ありがとうございます。おれ、行きます」
「がんばってね」
彼女の声はそっけないようで、どこか、不思議な暖かさがあった気がした。
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