【短編】知識の姫と“賛美”の騎士

ミダ ワタル

【短編】知識の姫と“賛美”の騎士

「君が今度のお目付け役か、少年」


 高みから降ってきた声に、彼は、天窓からの午後の光に照らされる一階の床の中央から上を見上げた。

 筒のような吹き抜けの塔の壁を巡る階段と、書架で埋めつくされた周歩廊。

 人の気はなくがらんとした内部に、やや低めの涼やかな声はよく響いた。

 彼は、王家の可憐なる聖女から“賛美”の称号を賜った騎士のはずだった。

 それなのに、王城の隅に建てられた書物の塔へと追いやられた。

 塔にはもう一人の王家の姫がいる。その護衛として彼は赴いたのであった。


「どうせ王女の護衛になるのなら、妹の方がよかっただろうに君も災難だな」


 王家の可憐なる聖女と違い、見上げた彼の目に映った塔にいる姫君はお世辞にも可憐とは言い難かった。

 王女であるのにドレスではなく、まるで近衛騎士のような格好でいる。

 逆光にその顔は影になっていたが、その格好に似合う凛々しい趣の容貌だろうことは声から察せられた。

 三階の書架にかけた梯子はしごに腰掛け、二本の細く長い足を組み、灰色の長い髪を馬の尻尾のようにひと束にしている。

 細めた目に確認できたのはそれだけで、着任初日に仕えるべき主の姿を彼はそれ以上確認できなかった。

 なぜならそれきり彼はその場に放置された。

 挨拶も儀礼も無視した顔合わせとも言えない顔合わせ、彼はただただ呆気に取られて半日を過ごした。

 夜になって塔に明かりが灯った頃に、またも塔の上階から降ってきた声で、一階の片隅にある、彼が寝起きし食事が運ばれる部屋を教えられた。


「まあ、そうだな。妹のいる神殿と違って、ここは気楽な場所だからそう悪いことばかりでもないよ」


 あははっ、と姿は見えず聞こえる快活な笑い声は、彼をむっと不機嫌にさせるには十分だった。

 男装の王女は齢二十五であるという。

 彼は六つ年下であるから、なるほど王女からすれば少年扱いになるのかもしれない。しかし、名誉ある称号を授かった騎士である彼の自負は大いに傷ついた。

 来て早々に小僧扱いされた上に、ろくな挨拶の機会もなく放置されたのだから当然である。

 結局、彼が王女に己の名を伝えることができたのは着任して三日目のことであった。丸二日放置され、一階をぐるぐると間抜けに巡回して時を過ごした。

 塔の王女は、読んだ書物の内容を忘れないことから「知識の姫」の二つ名で呼ばれ、その名を彼女自身の口から教えられたのも同じ三日目だった。


「あ、塔内は好きな場所にいて構わないぞ。同じ場所をぐるぐると回るばかりでは暇だろ、少年」


 思い出したように、一階を巡回しているだけでは退屈だろうと上階へ登る許可を与えられてようやく挨拶らしい挨拶を交わすことができた。

 なにしろ放置されていたので、側に近づいて守護していいかもわからなかった。

 一介の騎士が、王女に尋ねかけるわけにもいかない。


「ご覧の通り、この塔ならどこにいようと私の姿は目視できるだろう? 侵入口も限られている。側に控えるなとは言わないけれど、別にそうする必要もないよ」


 実際、塔の内部へ侵入できそうな場所は一階の出入口だけである。そこさえ守っていれば問題なく、出入口の外には三人の衛兵が立っている。

 護衛として派遣されたものの、彼の仕事はないも同然であった。

 王女の言葉どおりに気楽な護衛であった。

 気楽すぎた。

 七日も経たずして嫌気がさし、いよいよ退屈の極みと逃げ出したくなった十日目。

 彼は、自分という護衛騎士が動くより先に、侵入者を床にねじ伏せる王女というものを見ることになった。

 騎士としては大失態である。


「まあほら、ここで剣なんて振り回されても困るから」

「一体、どこから……」

「ん? 塔の出入口からだろう?」

「外に三人も衛兵がいて?」

「あれはただ立っているだけだ」


 なにが、「気楽な場所」だ。大嘘だった。

 その後も、たびたび手を変え品を変えて王女は狙われた。

 時に「知識の姫」の知恵を借りたい相談者が刺客のこともあれば、まさかの食事に毒物が混ぜて運ばれてくることもあった。

 出入口を守っていると彼が思った三人の衛兵は、王女の言葉通りにただ立っているも同然でどのような者も塔の内部へ通す。

 彼が、護衛騎士として王女の側に張り付くのに時間は掛からなかった。


「何故、これほど狙われる……」

「ん? んー皆、私の“奇跡”を恐れているからな」


 手に持った書物のぺージりながら、彼の問いかけともぼやきともつかない言葉に王女は気のない調子で応じる。

 この王女は、なにが起きてもまるで安穏とした日々に退屈しているかのような様子で、気の向いた場所で、気の向いた書架にかけた梯子はしごに腰掛け、気の向いた書物を気の向くままに読んでいる。


「奇跡。たしかに読んだ書物の内容を忘れないことは脅威に思う者もいるでしょうが」

「違う。私の“奇跡”はそういうものじゃない」


 ぺらりと紙の音を立てながら、束ねた灰色の長い髪が書物に俯けた頭から落ちてくるのを首を動かして払いながら、王女は呟いた。


「では、一体どういった」

「秘密。一介の護衛騎士に教えられる訳がないだろう?」


 ぱたんと、両手を合わせるように本を閉じて王女は顔をあげ、その右足下の床に立って、彼女を仰ぎ見ていた彼の顔へと目を向けると少しばかり意地の悪い笑みを浮かべる。

 

「まあでも、私より強い騎士であれば教えてもいいかな」


 とても仕える者と思えない仏頂面を見せてしまっただろう彼に、王女は苦笑した。

 どこまでもふざけた王女だ。

 彼は内心憤っていた。

 実際、彼が守ろうとするより先に侵入者をねじ伏せ、訪問者の正体を見抜き、毒だと気が付くのは王女だ。


「どうして、貴女の護衛など命じられたのか……護衛騎士などいらないでしょう」

「君はいるだけで立派に役目を果たしているよ、少年。そう嘆くものじゃないさ」


 彼は護衛騎士としてまるで役立たずな有様でいる悔しさと己自身への憤りを持て余し、年若い未熟さゆえについ不機嫌を王女に向けてしまう。

 塔の中には彼と王女の二人しかいないから仕方がないといえば仕方がなく、それすらも不条理に思えてしまう彼の心持ちを王女は承知しているようだった。

 塔に来て三ヶ月が過ぎ、半年が過ぎ……季節が巡るにつれて、だんだんと彼はわかってきた。

 ここは王女の監獄だ。

 衣食住に不自由はなく、新しい書物は送られてくるが、どれほど狙われようと彼以外に護衛騎士が追加されることはなく、衛兵はその役目を果たさず刺客は後を立たない。


「そうだな……体面は王女の扱いでも、実態は誰かに殺されてくれないかなーって、他力本願な死刑を宣告されているってところかな」

「本当に、護衛騎士など無意味じゃないですか」


 一年が過ぎ、それなりに互いに気心も知れた主従として過ごすようになった頃、ようやく王女の口から真実がこぼれでた。

 その真実は彼の騎士としての自尊心を大いに挫くものだが、もはやそんなことは彼はどうでもよくなっていた。


「んー、君は、王家はちゃんと守っていましたって言い訳? 聖女で有名な妹も認める最年少で“賛美”の称号持ちとなった騎士。ま、ちょっと最年少過ぎたかな?」

「使い途に困って、ここへ追いやられたと……」

「体面的には王女の護衛としては十分だろう? いるだけで役目を果たしていると言わなかったか?」


 彼は、腹が立った。

 初めてこの塔に来た時よりも、頭が熱くなり、怒りを顔に出してしまうほどに。


「それだけ君が脅威だったということだ、嘆くことじゃない。君なかなか見目も良いし……妹が気に入って、おまけに強いとなれば不都合と思う者もいるだろう」

「嘆いてなどいません」

「最初は私も懐柔しようとされたものだけどね、思う通りにならぬとなれば殺意へと変わるものらしい。とはいえ、私もただ殺される気はないから抵抗はする」

「そして、いまに至ると」

「そう」


 相変わらず、本に視線を落としながらの気のない調子の言葉だった。


「馬鹿馬鹿しい、嫌だと思うなら出ていって構わないよ、少年」

「……」


 彼は、ここが嫌だと言いたくなくなっていた。

 まったく王女らしくない王女。しかも、護衛騎士である自分より強く、鋭い。

 

「お目付け役とも、貴女は言った」


 書架に掛けた梯子はしごに腰掛け、書物を読み耽っている様は妙に神々しく、それにこの王女は少しずつ自分の手の者を密かに増やしている。

 大抵は元侵入者。捕らえようとする彼を止めて、逃す。

 侵入者達の耳元で、なにか囁いて。


「なにを企んでいるのですか」 

「別に国を転覆させようなんて考えていないから」


 ただ他の書庫や図書館を訪ね歩く旅に出たい。

 そんな言葉を聞く頃にはもう、彼にとって王女はただの護衛対象ではなくなっていた。

 “賛美”の称号を捧げる王女。

 しかし、自分より強い騎士であれば、命を狙われる元凶となった彼女の“奇跡”を教えるといった王女を、いまだ彼は制することができないでいた。

 幾度となく王女に挑むも、床に組み伏せられるのは彼であった。


「まったく……王女を組み伏せようと挑んでくるとは不届き者だねえ、少年」


 季節が一巡しても少年のままなのが悔しい。

 月日は流れ、彼が王女の“奇跡”を知ったのは塔に来て三年が過ぎた時だった。

 だが、王女に勝ったからではない。

 王女の“奇跡”はあらゆる書物や書類から、一つの事柄を書き換えること。

 それを知る人の記憶すらも。

 ただし、それには最初にその事柄を記述した原典がいる。

 王女はようやく手に入れた。

 彼女自身の出生証明書。

 王家の記録保管庫の奥深くに保管されていたそれを、彼女は書き換えた。

 こうして「知識の姫」と呼ばれた王女は、王女ではなくなり、同時に倒れた。

 王女の“奇跡”はその対価に、彼女の生命を徐々に失わせていくものだった。


「とうとう組み伏せられてしまったね――」


 ははっ、と笑って。

 いつの間にか弱りきっていた王女を抱え、床に休ませた彼の名を初めて彼女は口にした。

 王女は少しずつ自分の手の者を密かに増やしていた。

 大抵は元侵入者。捕らえようとする彼を止めて、逃す。

 侵入者達の耳元で、なにか囁いて――それは王女の“奇跡”を用いた取引きだった。相手を選んで取引する度に、王女は少しずつ己を削っていた。


「言っただろう? ただ殺される気はないって」


 彼の頬に触れる、手の温もりがあまりに儚い。彼はその手を掴んだ。


「……なに?」

「王女でなくなったのなら貰って構わないですよね」


 塔に来て初めて名前を呼ばれた日、彼は何者でもなくなった王女と共に塔を出た。

 ただ立っているだけの衛兵達など、出入口の守りにもならない。

 彼らの行方は誰も知らず、追う者もいなかった。

 「知識の姫」と呼ばれた王女は、その誕生を記した原典の記述ごと、王女を知る人々の記憶からも消えてしまったのだから。


 ――ただ他の書庫や図書館を訪ね歩く旅に出たい。


 しばらくして、恐ろしく博識な灰色の髪の賢女と腕の立つ従者の噂が一部の学者の間で話題になったが、それもやがて消えてしまった。

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