異世界へ行く前に

かっしー

剣と勇者


 春はあたたかい。図書室の窓からは桜の花が揺れているのが見えていた。

 高校二年生にあがったばかりの私は友人と図書室で過ごしていた。時間を余しているのなら二人して通っている塾で自習でもすれば良いのだけれど、まじめに勉強する気が起きなくて、それでも遊び歩くほどのお小遣いも持っていなくて。勉強している気分になれる図書室で塾の講義が始まるまでぐだぐだしようとしたのだった。

 言っておくがいつもこうなわけではない。カラオケ行ったり、ちゃんと塾で自習したりすることの方が多い。今日はかなりレアなヒマつぶしだったのだ。

 図書室には誰もいなかった。当番の図書委員すらいないのはさすがにどうかと思うほどだった。

「りゅーちゃん、ちょっとちょっと」

「なになにー、れいちゃん」

「ちょっと来てきて、ちょっと」

 れいちゃんが本棚の影から手だけをひらひらさせていた。椅子に座っていた私はれいちゃんのところへ近づいた。

「ね、ね。ヤバくない?」

「ヤバい、まじヤバい」

 図書室の本棚が並ぶ誰でも来そうな場所に光り輝く剣が立っていた。RPGで勇者が持っているようながっしりと重そうなやつで、剣先が床に刺ささっていた。

 れいちゃんが人差し指でつつくように柄の部分に触れ、びくりとあとずさった。

「これまじでヤバいかも。なんかぞわぞわってしたんだけどまじで」

 私もおそるおそる人差し指の爪だけあたるような感覚で触れてみたが、確かにぞわぞわっとして吸い込まれるような不思議な感じがした。

「ね、勇者のやつだよねこれ」

 誰かのいたずらだとか思えるような剣の質感ではなかった。学芸会で見るものなんかと比べられない。

 直感的に本物だと思った。

「しかも連れてかれそうな感じじゃなかった?」

「わかる。なんか、ありえないけど、あれっぽすぎない?」

「ね。これ、あれだよね。異世界系のあれ」

「やっぱ? ……異世界行っちゃう系だよね」

 私たちは静かになり、それぞれいろんな事を考えた。

 なんでこんなところにそんなものがあるのか。ていうかマジなのか。マジだとして勇者っぽさがただよう空気からして危険じゃないのか。

 そして、異世界に行ったとき、行かなかったときの私たちのこれからのこと。

「受験するのと勇者するのだったら、絶対受験のが楽じゃない?」

 れいちゃんがあごに手を当てて考えこみながら話した。私はうなずいた。

「とりあえず私、告ってくるわ」

「え、まじ?」

「まじまじ」

 私の好きな人である芝里ヒロトくんは園芸部だ。今の時間ならばおそらく学校の花壇にいるだろう。

 異世界に行くかどうかは、私の恋を昇華、あるいは消化しなくてはとてもまともに考えられそうになかった。

「ちょっと花壇行ってくるけど、れいちゃんどうする?」

「えー、いま好きな人いないしなぁ。ここで待ってるよ」

「おっけ、ぱぱーんと行ってくるわ」

「いってらー」



【りゅーちゃん】



 小走りでむかった花壇ではジャージ姿の学生がしゃがみこんで草むしりをしていた。わたしは前髪をぱぱっとしてから彼の元へさりげなく近づいた。

「し、芝里くん、草むしり? えらいね」

 ちょっと声がうわずったもののなんとか話しかけられた。

 芝里くんは顔を上げてうっすらほほ笑む。かわいい。

「不知火さん、今日も自販機?」

「ああ! うん、うん、飲みたくなるよね! 放課後ってさ、コーヒーミルク!」

 芝里くんがくすくす笑いながら土まみれの軍手をしたまま鼻をかくので、鼻に土がついてしまう。それもかわいい。

 私は週に数回、放課後になると花壇を通った先にある自販機へ寄っていた。そしてコーヒーミルクを買うのだ。当然、芝里くんに会う口実なのだけど、彼はそうとは気付いていないみたいだった。

 そんな鈍いところもかわいくて大好きだ。

「あのさ、芝里くん、あ、えと、あのねぇ」

「うん」

「へへ、あの、今日は、天気、天気すごく良いじゃない? だからさぁ」

「そうだね、めっちゃ青空だね」

「ふへへ、そう、そうなの、それでね、その……」

 どうしたの? と芝里くんが首を傾げる。その角度がかわいくて私の頬は緩みっぱなしだ。

 一方、伝えたい言葉がうまく出てこない。いっそこのままいつものように自販機に逃げてしまいたい。

 けれど今日は逃げるわけに行かなかった。もしも異世界に行くことになったとして、告白しないままなんて後悔しか残らないのだ。一生に悔いあり、なのだ。

 両手の拳をぎゅっと握りしめて、芝里くんの目を見つめた。わたしの手汗がすごくて頬が暑い。

「好き、しぃ、芝里くんが、好きです」

 芝里くんの目が太陽の光を反射して、きらきらひかった。真面目な顔で私の言葉を受け止めてくれただけで幸せだった。

 芝里くんも頬を赤らめて、まっすぐに私に答えてくれた。

「ありがとう。その、不知火さんの、気持ち、気付いていなくて、びっくりしてる」

「ううん、いいんだ。私がどうしても言いたくて、だから、聞いてくれてありがとう」

「……僕が同じ気持ちだって言うには、その、まだ、わからなくて。だけど、今、うれしくて舞いあがってるのは本当」

 芝里くんが舞いあがることがあるんだ、それも私の一言で、と胸のときめきが止まらない。

 沈黙が生まれて、このままじゃダメだと笑顔で立ち去る覚悟を決める。

「返事はね、いつでも大丈夫だから。えと、またここに来てもいいかな」

「もちろん! あ、大きい声になっちゃったな」

 照れ笑いをする芝里くんの可愛さに私はものすごく癒された。また来なくっちゃ。そう思えるものが出来ただけで私は勇気が持てた気がした。

 

【れいちゃん】


 図書室に残った私は鈍く光る勇者の剣をみつめていた。

 これに特別な力があることは間違いがない。考えておくべき点を列挙するなら次のようなものだろうか。

①飛ばされる先の危険性

②こちらへ戻れるか

③移動できる人数

 危険性に関しては剣がこうして目の前にある以上、飛ばされる異世界が安全とは言い難いだろう。問題を抱えているから外の人間を求めているはずだ。こんな剣を見てしまうと、異世界によくある中世的な世界観の可能性が高い。

 危険ならば武器を持ち込みたいところだが、女子高生が用意できるのは包丁で精いっぱいだ。実際持ち込んでしまえば異世界の人々に危険人物だと認識されて話がこじれる気がする。

 だれを求めているのか。成人していないけれどそれなりに成長した人間が欲しくて高校という場所に剣があらわれたのだとしたら、無防備であることが正解ではないか。

 そして、あちらに行ってからこの世界に戻ることができるか、という疑問にはなんとも言えない。たいていの異世界ものフィクションでは戻ってこられないものだが、本当にそうだろうか。あちらの世界からこの剣が送り込まれ、私たち人間も剣を通じてあちらに行けるのだと仮定する。あちらにも同じ剣があり、つまり各世界に今一本ずつ存在するなら、あちらからこちらに人が転移してくることが出来ないんだろうか。考慮の余地はある。転移させるために何かすごくパワーが必要だと言われることは気を付けたい。

 あと気になるのは一度に転移できる人数だ。一人転移したらしばらく次の人が行けないとかになるなら、りゅーちゃんと私のどちらが行くか決めなくてはならない。私としてはりゅーちゃんの告白が上手くいくと確信があるので、どちらか一人なら私だ。もちろんできることならあちらの世界に行って話を聞いてから留まるか帰ってくるか選べたら嬉しいのだけれど、そんなに親切な異世界人などいるんだろうか。

 わからないことばかりだ。決められない。



「告ったよ、れいちゃん!」

「おかえり、りゅーちゃん」

 私がぐだぐだと悩んでいる間にれいちゃんは満面の笑みで帰ってきた。

「返事はあとでってしたんだけど、芝里くんめちゃかわいかったわ」

「そっか、まじ楽しみじゃんそれ」

「ほんとまじそう。芝里くんってまじ天国住んでると思う」

「うける。りゅーちゃん、がんばったね」

「うん、ありがと」

 そんじゃ、とりゅーちゃんが勇者の剣に近づくのを肩をつかんで全力で止めに入った。

「いや待って待って! だめでしょ!」

「だけどわたしはさ、れいちゃんに一人で違う世界に行って欲しくないもん。れいちゃん優しいから、私のことも、知らない世界のことも考えて一人で解決しちゃおうとしてたんじゃない?」

 そんなことはない。決意できなくて悩んでいたんだ。

 第一、優しいのはりゅーちゃんだ。優しいから私一人に選択させないようにしてくれる。

「わたしね、芝里くんにフラれたら、れいちゃんが異世界に行くっていうなら着いて行こうと思ってたの。でも、フラれなかったし、この世界にれいちゃんと芝里くんがいるから、ここにいたい」

 誰も知り合いがいない高校に入学してはじめて出来た友達がりゅーちゃんだった。明るくて優しくて、いつの間にか塾も一緒に通っていた。塾までの待ち時間は今日みたいに図書室へ来たり、月に一回くらいマックでポテトをつまんだりすることもあった。

 お弁当を食べるのもりゅーちゃんと一緒だった。

 りゅーちゃんと話をすることで周りの子とも少しずつ話せるようになって、クラスに居場所ができた。

 それでも一番の友達はりゅーちゃんだったのだ。

 床に突き刺さっている大きな剣は異質な空気をずっと漂わせている。

 私じゃなきゃだめだろうか。りゅーちゃんでなきゃ、だめなんだろうか。きっと異世界を救うのは誰でもできる。

 でも異世界人は私の世界を救ってはくれない。

「りゅーちゃん、今日は塾行って帰ろう」

「賛成」

「告白の話、もっとちゃんと聞かせて」

「むしろ聞いてほしいし」

 私たちはカバンを抱えて図書室を出た。



【***】



 わたしは学校が嫌いだ。

 群れる生徒も、生徒に媚び売る先生も、クソ生意気な子供を作りあげた親も、その中で息をひそめてかろうじて生きているわたしも、すべて嫌い。

 美濃部礼もわたしと同じかと思っていた。4月のはじめ、同じクラスにいた彼女は自分の席でじっと座り文庫本を読んでいた。

 移動教室のときに声をかけようと思ったけれど、名前を呼べなくてそのまま一人で移動した。いや、これが正解だったんだ。わたしたちはつるみたいわけじゃないし。一人と一人で正解、そう思っていた。

 綾川柳が美濃部礼の席に近づいた時も冷めた目で見ていた。それなのに二人はお昼になると一緒にお弁当を食べた。美濃部礼は笑っていた。なんだ、こいつも嫌いな方のやつじゃん。気にして損した気分だった。

 今日図書室で本をさがしていたら美濃部礼と綾川柳が入ってきた。この二人に顔を合わせたくはなくて、わたしは誰も寄りつかないような奥の奥の本棚にひそんだ。しばらく静かにしていると誰もいないと思ったらしい二人は話をし始めた。何かを見つけたらしく声が大きくなっていく。

 異世界へ行くだとか、勇者だとか、ファンタジー小説かネット小説の文庫版でもあったのか。

 床に座ってスマホをいじっていると気付けば時間が経っていて、なんだか仲の良さをみせつけるような会話が繰り広げられたかと思えば帰って行ったみたいだった。

 ああ、なんてもったいない時間の使い方しちゃったんだろ。

 立ち上がって制服のスカートを直し、スマホをカバンに放り込む。時間の無駄ついでに二人の騒いでいたらしい本をチラ見しに行くと、とにかく大きな剣が床に突き刺さっていた。

 理解が及ばずに身動きが取れなくなる。

 そして鳥肌におそわれた。

 これだ。わたしのこれまでの無意味でくだらない人生はここから変わるんだ。

 剣に伸ばす手が震える。それでも止める気はない。

 柄に触れるとゾワゾワした感覚が手から腕に伝わる。そのままぎゅっと剣の柄を握る。吸い込まれる、と思った瞬間わたしは目を閉じていた。

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異世界へ行く前に かっしー @kssy

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