第17話
小窓にさしこむわずかな陽光に、ルエル・アータの鍵をかざしてみる。
眠れぬ夜にみる星のように、銀色にキラキラと反射している。
ぎゅうとにぎりしめ、ちいさいな小箱にしまっておく。
未来が眠っているのか、停滞が閉じこめられているのか、まだわからない。
そもそもなにも閉じこめられていないのかもしれない。
夜、眠る前、最近は竜の鳴き声に耳をすましている。
目をつむれば、竜のすがたがうかびあがる。
彼は、どこか遠い雪原の上空を、しずかに羽ばたいている。
――もうすぐミサイルがくるんだって。
――この凍りついた空は、炎に染まるかもしれない。
――君は熱いのが苦手だから、こわいかもね。
私のテレパシスに応じることもなく、優雅に羽ばたきつづける。
彼の眼下の雪原は、どこまでもどこまでもつづき、時々、雪で葉を真っ白にした樹が、立っている。――その先には、青く凍てついた氷河。
時々、竜の喉が、きゅうきゅうと鳴る。ちいさな鳴き声は、解読できないけれど、私への慈しみをかかえている気がする。
(――百年か)
人間の寿命はそんなに長くない。書物を読んだ限りでは、竜は寿命は二千年にもおよぶ。もしも冷凍睡眠をしたら、もう私のしっている人はいないだろうけど、心に棲む竜はまだ生きているはずだ。
(長い付き合いになるね……)
別の非番の日(※1)私は黒騎士との約束通り、城下町に遊びにいくことになった。「黒騎士様より、白亜様の子守りを任されました」「は?」定刻に、迎えの兵士が三人、部屋におとずれる。「子守り? 白亜、子供じゃないし~」「えぇ……」「黙りなさい。口ごたえするなら、罰をあたえます」
見下ろされるのが気に入らない。私は彼らを土下座させて、その頭を踏みつけてあげた。兵士たちは、なぜかこうするとよろこぶ。
まぁいいや。今日はコイツらに足蹴にして、荷物持ちから財布係まで、全部任せちゃお。
「せっかくなので花白もさそってあげよう」
おなじく休みであった花白の部屋にいくと、彼女はおしゃれな服を身にまとっていた。「花白、いっしょに買い物にいこー」「え、姉さん、外出できるの」「黒騎士にお願いしたらできるようになった」「そう。よかったじゃない」
花白はかんがえこむそぶりをみせた。
「ごめんね、今日はお友達とでかける用事があるの」
「そう……」
「でも、姉さん外でたことないのにだいじょうぶ?」
「ホラ、みなさい。召使がいっぱいいるでしょ?」私は胸をはりながら、兵士たちにむけて手をさしだした。兵士たちをみて、花白はペコリと頭をさげた。「姉さんがお世話になります」「私がお世話するの! コイツらをこきつかってやる! 道案内から荷物持ち、お財布係にお使い係、全部やらせる。それで、等身大パンダのぬいぐるみをお迎えいたします!」
「フフ……姉さん、ずっとほしいっていってたものね」
空から灰と雪がふりつづいている。
「お~城の外だ~」この通りを歩くのは、帝国兵に捕虜としてつれられた時以来だ。しかし、「ずいぶん汚いな……。清掃員はうまく機能していないのか?」町は灰でよごれていた。すこし、グレー色のガスもただよっている。
「白亜様……肺がよごれてしまいます。防塵マスクをおつけください」
「む~……」冷域で肺を保護できるからそんな物いらないけれど、花白と黒騎士以外は、私に竜の力が備わっていることをしらない。もしも竜の力が露見すれば、迫害されるおそれがある。兵士からわたされた防塵マスクを私はおとなしく装着した。
(重い……)
地面にふりつもる塵をひとつまみひろった。
冷風にふかれ、すぐにどこかへきえた。
鳥の死骸が道ばたにおちていた。
馬車にのり、店をまわる。
灰に包まれた町は、スローモーションに、後ろに流れていく。
軍事飛行機の起動音が、時々、空に響く。
ミルクプリンをたべた。
パンケーキもたべた。
クレープもたべた。
アイスキャンディーもたべた。
ほしかったぬいぐるみも買ってもらった。
たしかにおいしかったし、ぬいぐるみもかわいかった。
だけど、町は沈痛にしずんでいた。
灰にうもれながら町人たちは、それでも懸命に生きていたが、その顔に絶望をいだいていた。戦争と灰、それから低気温と雪の影響で、人々の血族は次々と死に至っている。彼らの心は、氷竜の力をあびずとも、凍結に近づいている。
私は公園のベンチで灰色の空をみあげた。(私たちは、座標か……。流れに対して、なにもできない。ボードゲームの駒のようなもの)お遣いに出していた兵士が、ストロータイプのオレンジジュースを買ってくる。「ご苦労」
一口飲み、今の時間軸と未来の時間軸について、想いを馳せる。
(こんな時間軸だからな。未来? 彼らはそこに希望をいだいているのか?)ルエル・アータの鍵を、エレベータの先の空間を、青色のカプセルを、おもいだす。小型のクマのぬいぐるみをだきしめる。ビーズでつくられた、黒色の無垢な瞳に、雪がおちた……とおもったけど、とけなかったから、灰だ。 私はそれをふりはらった。
噴水に一組のカップルがとおりかかる。
(手をつないでいる。幸せそう。そう……本当は、絶望を空想する必要はないんだ。今の快楽を追い求めること。それが座標の務めでもある)
アイスクリームをたべるため、彼らはマスクをとった。
女性のほうにはみおぼえがあった。
(花白……)
花白は、いままで私にみせたことのない、蠱惑な笑みをうかべながら、男と話している。
黒騎士が戦死したのは、それから数日後のことだった。
※1 白亜より伝言
コイツ休んでばかりだなとおもったそこのあなた。
すなおに手を挙げなさい。
よろしい。
すなおに白状したご褒美に、名誉棄損で訴えます。私の心は、氷の竜と共存してますが、ヤツなんかすぐににげだすほどに、炎上寸前です。今すぐあなたの心を凍結しにうかがいますので、住所氏名年齢、へそくりの場所を明記した書類をまとめ、当座振り込み小切手を同封し(依頼料、慰謝料、および交通費として徴収いたします)、白亜のところまで郵送しなさい。いっておきますが、私は帝国の裁判所長官の心を凍結、および掌握完了しています。裁判で戦うのなら、徹底抗戦の用意がありますので、ご留意を。尻の毛までむしりとってさしあげましょう。
まちがっても花白に送らないこと。怒られるから。
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