第16話
竜殺しの銀刃で作られた矢を脳髄にうけ、異端竜は海におちた。
ながれでた血が海面に浮上していく。
同胞の力尽きた竜たちが、海底にしずむ光景が、ゆっくりとながれていく。
記憶が脳内をかけめぐる。
戦いの記憶と、血の匂い。
故郷の空の色、母の腹の下で眠った記憶をおもいだす。
すれちがった海竜が交信をよびかけている。
どのように応答したかは、おぼえていない。
気づけば、浜にうちあげられていた。どうやらちいさな孤島にながれついたらしい。さわやかな風と共に、波の音がひびいていた。
浜には、海の戦いの死傷者の躯がならんでいた。
そのうちのひとつ、脳をえぐられた人間は、瀕死ではあるが、まだ息があった。
己とおなじように、脳を破壊され、息絶えようとする生命をみた異端竜は――
肉体を捨て、その心に浸蝕することを選択した。
「竜の治癒力を用いてある程度の修復をおこなったが、この仮面の下は、ほぼ当時のままだ。みるか?」
「いや、いい」私は首をふった。
「竜には、人に住み着けるヤツもいた。おもには、お前のような、交戦を好まない異端な竜がもつ習性だが、俺様は生きるのに必死だったからな。藁にもすがる思いでこの体への浸蝕を試みた」
「……戦いを好まない。前にもいわれた。竜というのは、そんなに毎日、戦っている生き物なのか」
「血がそうさせる。逆に、氷竜は山と氷河の守り神として動物たちの信仰の対象だった。心当たりはあるだろう?」
白オオカミの躯をおもいだし、私はうなずいた。
「何年も氷につつまれた山があると報告をうけた時は、生き残りの竜がいるのだと胸が高まった」
「ごめんね、戦力にならなくて」
「いいさ。生き残りが一匹いる。帰る場所がある。それだけで、いい」
「……だから『保護』か?」フンと私は鼻をならした。「異端を騙るにしては女々しいね」
「うるせーな」
人体を手に入れた異端竜は、その脳につまった膨大な知識量に圧倒された。
今までは目の前の敵を倒すことだけがすべてであったが、「生存」のための上策が、湯水のようにあふれかえる。
人々のほの暗い情念の影もよこぎっていく。
朽ち行く肉体の裏に、家族との愛が潜んでいることに気づく。
貴族たちの打算的な笑みが、戦いの無意味さとむなしさを色づけていく。
そして、昔、死に際の貴族が召使に怒鳴っていた、ことばの意味を理解する。
――避難用シェルター。
財をかかえて、国を逃げる途中、異端竜にみつかった貴族は「避難用シェルター」にいそげと馬車を繰る召使に叫んでいた。
異端竜は、砲撃をうけながらも、その一団を壊滅させた。
彼らがむかう先には、美しい湖があった。
当時の記憶をおもいだし、異端竜は、その湖をめざした。
「それが、ここか」
「そう。食料の備蓄はこころもとないが、外部電源により、休眠装置と生命維持装置を稼働できる。休眠装置の解除は百年後に設定されている。肉体の修復には充分すぎる時間だ……。
痛みによる死と戦乱を逃れるため、冷凍睡眠をおこなった……」
「長く眠ることへの後悔はなかったのか? 今まで培ったものを手放すことになる」
「理解しているか? 俺様たちはこの世界全体からみれば、ただの座標でしかない」
「座標……」たしか、花白が口うるさく数学をおしえてきた時、きいたような……。点Pと点Qが激しく動き回って、戦隊ロボットみたいに合体するやつだよね? おとなしく止まっていればいいのにね。
「時間軸に染み付いた、ただの汚れさ。それ以下でもなければ、それ以上でもない、ただの座標。だが、人はむやみにそれ以上の存在になろうとするから、汚れはひろがる。今のようにな。すべての座標は、どこの時間軸に存在しようが、大局的にみれば、なにもかわらないんだ。でも、俺様は眠りにつくまえにかんがえた。百年後、竜は愛される存在になっているだろうか? もう、戦わなくてもよい世界になっているだろうか? でも、そうしたら俺様の存在意義はあるのだろうか? と」
「『汚れ』にしては大層なことをかんがえるね」
「竜の意地だ。
だが目をさましたら、竜はいなくなり、人はまた戦っていた。竜がいなくなったら次は人同士で戦っていた。わらえる。次に目をさましたら、宇宙人と戦っているかも……。まぁ俺様の心に眠る竜が、それでも破壊を求めていたから、俺様としては喜ばしいが……戦いを求めないおまえの竜に、この時間軸は生きにくいだろ。
よし、どうやらまだエネルギーは残っているらしい」キーボードを操作し終え、黒騎士は私のほうをみた。
「もしもミサイルの脅威がおとずれたら、おまえはここにこい。カプセルに入れば、自動で起動する」
「私にここに入れと?」
「ン? まぁ死にたいなら無理にとはいわねーが」
(死にたくはない……だが、コイツの話に信憑性はあるのか?)
「ミサイルは危険だ……。どこでも狙うことができる。この星に安全な場所なんか、あるのか? 即死しなければ、苦しんで死ぬことになる」
「……黒騎士が電源を切ったカプセルは使えないとして」カプセルの空白はみっつ。破損しているものは、以前黒騎士が使用した物だろう。
「二つある。竜がもう人智にかなわないなら、平穏な未来に願いをこめ、私と黒騎士で眠るべきではないか? もしかしたら、次の時間軸は、人と竜が手を取り合う未来かもしれない」
「俺様は、いい」黒騎士は首をふった。
「長く生き過ぎた。この世に未練はない。ヤツらに会いに行くため、懸命に戦い、潔く死ぬだけだ」
「この頑固老害!」
「ハハッ! これも竜の意地さ!」
黒騎士はルエル・アータの鍵を私のてのひらに置いた。「もうひとつのカプセルも起動しといてやる。どう使うかはおまえにまかせる」そして、私の頭をなでた。竜の手? あるいは人の手、どちらの熱がこもっているのか、よくわからないが、ともかくあたたかい。
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