第9話
突如森より現れた男は、兵士を押しのけ、私の前に立った。
夜のくらやみがそのまま落ちてきたようだ――それほどの漆黒に埋めつくされてなお、存在感を轟轟と放っている。私は彼の顔を観察した。
(ほう……)
異形を象った仮面をつけている。
(そういえば、遠くの島国のおとぎ話に、この仮面ににた生物がでてきたな)
目の部分にある隙間から、禍々しい黒光がもれでている。
(彼らは人の畏怖の対象であった。人を痛めつけ、破壊し、そして、喰らう)
どこまでもどこまでも、深い、深淵――。
私は氷竜の目を用いて、彼の心の凍結を試みた。
「オ? 俺様とやろうってのか?」
(……ッ!)
逆流してきた彼の心の深淵が、私の心にしみこんでいる。虚空をとびまわっていた氷竜が悲鳴をあげている。――蜘蛛の巣にとらわれた、哀れな蝶のようだ。彼の深淵は竜を翼をからみとり、己の内部にとりこもうとしている。
――深淵の糸を必死にかいくぐり、彼の心にたどりついた時、私は強烈な吐き気をおぼえた。
深部に巨大な影がひそんでいる。
その獣に知性のかけらはみえない。
ただただ、血と肉をもとめ、破壊を欲する、邪悪があふれかえっている――これは。
――竜!
即座に私は氷竜の目をとじた。
「竜がいた。ずいぶん、でかいのね……」私は膝をつき、肩で息をしながら、彼の顔をみあげた。
「ひよこの竜で、大人の竜にかなうものか」彼は、私たちだけにきこえる声でいった。「いいか? 俺様はおまえなんか一瞬で殺すことができる。ここで死ぬか? いやだよな? なら、抵抗せずに捕虜として俺様についてこい。そうすれば、悪いようにはしないさ……」
手枷をかけられ、車の荷台にのせられた。
荷台には、私たちとおなじように、捕虜となった女性が多くいた。
皆、容姿が整った若い子ばかりだった。泣いている者もいれば、魂が抜け落ちたような目の者もいる。
車内は暗く、すすり泣きの声と、車輪が雪をふみしめる音がかすかにきこえる。
小窓のすぐそばに腰をおろした。椅子などのない、荷物の運搬用のその空間につめこまれた私たちは、ただの荷物だ……、長時間乗れば腰が痛くなる。窓の近くにいれば、すれちがう景色が私を慰めてくれるかもしれない。
(姉さん)となりにすわった花白が小声で話しかけてくる。
(あの方は『黒騎士』という傭兵です。帝国軍に突如としてあらわれ、数々の武勲をあげた伝説の傭兵……。銃弾を喰らっても、爆撃に巻き込まれても生き残り、単身でひとつの戦場を壊滅させたとのうわさもあります)
(彼のなかに、竜をみた……)
「え」車にのった女たちが、突如大きな声をだした花白の顔を、ふと、みつめた。コホコホと咳をして、花白はごまかした。
(気のせいかもしれないけどね)
(……でも、あの人間離れしたオーラ、竜が住んでいるといわれてもおかしくありません。姉さんの判断は正しかったと思います……あそこで無暗に抵抗していたら、私たちは殺されていた。とにかく、生き残ることが一番大事ですから)
(うん……私もそうおもう。さぁ、花白、つかれたでしょ? 花白が乱暴されないよう、お姉ちゃんが起きているから、すこしやすみなさい)
花白が眠りについたころ、車のうごきがとまった。
雪の深いところに車輪がはまったらしい。
その時、心に声がきこえた。
(きこえるか、竜の娘よ)
それは、白オオカミの声だった。
(どこ? 生きていたのか)
(外だ)窓から外をみると、焼け落ちた倒木のすぐそばに、灰になってしまった巨大な動物の躯がころがっていた。空爆のおわった、にごった空からふる雪が、その躯につもっていく。
(子狐を逃がす途中、木が倒れてきてな……いやぁ、若い時の私ならよけれたが、歳をとるとだめだな)
(死んだのか)
(アァ……走馬灯をみる途中、おまえの光をみてな……。残留思念を通じて、おまえに語りかけているのだ。じき、それも空に帰るだろう。とくに悔いはないさ)
(ご苦労だったな。私は……帝国の捕虜になってしまった)
(ウム……笑顔を大切にな。人間とは愚かな生き物だが、時折、不明瞭なバグを発生させ、利害関係にそぐわぬ行いをする。愛、とかいうものだ。おまえは愛らしい見た目をしているから、愛情を植えつければ手荒な真似はされぬだろう。それから)ゴゴゴゴと、雪をすべる車輪の音がひびき、
(……以前話した、邪気の根源がすぐそばにいるようだ)
(竜をみたよ)
(やはりな……『異端竜』が生きていたか……だが死にぞこないだ。長くはない)
躯が桃色に輝きはじめる。
ようやく雪をぬけたのか、車はゆるやかにうごきはじめた。
(そろそろ旅立ちのようだ。さらばだ、竜の娘よ。強く生きよ。人としてでも、竜としてでも、生をたのしめ)
(ありがとう)
(死ぬな)
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