第7話 大団円
その露天風呂の中には、一人の男性がいて、その人は後ろを向いている。
声を掛けようかと思ったが、声を掛けるのが怖い気がして、後ろから覗いていた。その様子は、まるで、
「昔の父親の背中を見ているようだった」
という思いであった。
父親が嫌いだったのは、小学生の頃が一番だったが、
「なぜ、どうして嫌いだったのか?」
ということが分かっているくせに、今では、
「どうして、あんなことが嫌いだったのか?」
と思うのだ。
何と言っても、
「大人になったら、あんな大人になど、なるものか」
と感じることが多いというが、正直その思いが、今でも感じられる。
「なぜなのか?」
ということを思い出そうとしてみると、そこにあったのは、
「親の無意味な拘束」
というものであった。
「子供なんだから、拘束なんかしようとしなければ、普通にいうことをきくのに、そんな理不尽なことをするから、反発するんだし、反面教師にしかならないんだ」
と、父親に言いたいくらいだった。
「反面教師?」
と思った。
「ああ、そうだ。父親のあの態度は、反面教師なのだ」
と考える。
目の前の男性、
(たぶん男性だと思うが)
その男性は、まるで、
「自分を生まれる前、いや、結婚前の父ではないか?」
と思えてならなかった。
いや、というよりも、
「それ以上でも、それ以下でもない」
という言葉があるが、まさにその通りだったのだ。
男は、まったくこっちに気付こうとはしない、明らかに、露天風呂の方まで来ているので、気付かないということはないはずなのだが。
と、そんなことを考えていると、男が、まったく動いていないかのように思えたのは、錯覚であろうか?
そういえば、子供の頃に、父親が風呂に入っているのを見た時、
「息をしているんだろうか?」
と感じるほどに、まったく微動だにしない姿を見て、
「おかしいな」
と感じたということを思い出していた。
思わず、
「お父さん」
という言葉が漏れそうで、我慢していたのだ。
男は、こちらの方を見ないどころか、
「自分が、そこにいる気配を消そうとしているのではないか?」
と感じた。
しかし、そんな素振りはまったくないのだ。
相手は、気配を消そうとすればするほど、ゆいかには、その存在は見えてくるのだ。
ゆいかは、最初、その男性を、
「石ころだ」
と感じた。
しかし、それにしては、その存在感が、どんどん増してくるのだった。
それは、ゆいかにとって、今までに感じたことのない感覚であり、その思いが、自分の中で、交錯しているかのように感じたのだった。
「何が交錯しているというのか?」
などということを考えるのだった。
相手が石ころのような男性だと思うと、子供の頃に感じた
「ある人間」
のことを思い出した。
子供の頃といっても、中学生になっていたかどうかというくらいだった。
家の近くに、当時でいうところの浮浪者がいて、その人のことを、まわりは皆、
「動物のような人だ」
といっていた。
しかし、動物といっても、猛獣というわけではない。
「いつも静かで、相手に攻撃を加えるなどということは絶対にしない」
という感じである。
「まるで、ペットのような感じだな」
という人がいたが、ゆいかは、そうは思わなかった。
「ペットであれば、もっと従順で、愛らしさがあり、それは、人工的に作られたという感覚が強い」
ということだ。
しかし、その男性は、
「決して従順ではなく、怯えがあるだけで、その怯えのために、逆らわないだけど、従順などというわけではない」
ということであった。
確かに、人間にとって従順なのは、ペットであり、かといって、
「野生の動物」
のような力強さや恐ろしさはない。
それどころか、
「人間に対して、やっかみのようなものが感じられるくらいで、こんな状態を何と表現していいのか分からなかった」
しかし、見ていくうちに、
「これは、家畜ではないか?」
ということであった。
可愛がってもらえるというわけではなく、
「最終的に、食料としたり、食料として、売ることで、お金にしたり」
という、
「人間の都合のためだけに、飼われている」
という、いわゆる、
「食用の動物のことである」
もちろん、食用だけではなく、アクセサリーや、毛皮などの贅沢品にしたりするのだ。
「太らせて食う」
という、
「最初に、天国にあげておいて、最後には、地獄に叩き落す」
というものであった。
中には、
「人間が生きていくためには、絶対に必須な動物もいるが、まだ、救われる」
というものだ。
しかし
「救われる」
というのも、人間の勝手な妄想であり、それを考えると、別に救われるわけではなく、
「人間というものエゴが生んだものだ」
といえるだろう。
生きていくためとしての、
「自然の摂理」
というものに、不可欠なものもあり、それが、
「弱肉強食」
という形となるものこそ、
「家畜」
としての価値があるというものだ。
そんな、
「家畜」
というものを、
「人間の都合として解釈するというのは、人間のように、自分たちの都合で殺し合うことをするような種族に、決してその悲哀が分かるわけなどないだろう」
ということであった。
家畜と違い、ペットというと、実に従順で可愛いものである。
しかし、最近では、そんなペットを、
「家畜以下」
という扱いをする連中がいる。
それは、
「金儲けだけしか考えておらず、ペットを増やして、子分たちの利益のためだけに利用する」
というやつらである。
普通の買主でも、平気でペットを捨てる輩もいて。
「ペットは、買主を選べない」
という言葉が、そのままであるはずで、最初は、自分が、
「可愛い」
と思って飼ったくせに、そのうちに、
「飽きがきた」
ということで、捨ててしまう輩である。
中には、
「売ってしまう」
というやつもいて、それが、相手がいい買主だったらいいのだが、悪徳ブローカーなどの、
「転売ヤー」
などであれば、ペットの運命は悲惨でしかない。
さらに、最近では大きな問題となっている。
「悪徳ブリーダー」
という連中も、さらに、ひどいものだ。
というのも、
「犬に、子供を産ませるだけのために、飼っていて、しかも、その環境は劣悪で、可愛がるなどということをするわけでもなく、ただ、子供を産ませ、その子供を売る」
というだけのためだけに、動いているのだ。
だから、
「犬の環境などどうでもいい」
その男というのは、普段は、たぶん、
「動物愛護」
という立場をもっていて、
「まさか、あの人が」
というような隠れ蓑を作っておいて、裏では、あくどいことをしている。
ペットであるはずの犬をあたかも、家畜として飼っている。だから、やつらに、
「悪いことをしている」
という意識はない。
しかし、
「やっていることは、捕まる可能性があり、罪になる」
ということは分かっているのだ。
だから、
「なぜ、捕まるのか?」
ということを考えながた、絶えず、自分の正当性を、自分に信じ込ませる形で、犬を飼育しているのだろう。
それを、
「正義ならしめる」
という意識として、感じているのは、
「俺たちは、ペットを飼いたいという買主の気持ちを汲んでやっていることなんだ」
ということであった。
もっといえば、
「ペットを飼いたいという人がいるのが悪い」
という考え方だった。
あたかも、実に自分中心の考え方である。
だから、その理屈として、自分中心の考え方が蔓延っている世の中を、なぜか、その男の後ろ姿から、想像したのだ。
その時。
「私は、この男の正体が、今の私だったら、分かる気がするな」
というのであった。
「どんなに怖い想像でもできそうな気がする」
というものであり、実際に最悪の考えをもっていた。
「この人、血の匂いがする」
ということであった。
この男が、自分というものの理屈として、
「悪徳ブリーダー」
のようなところがある。
つまり、
「自分をこんな風にしたやつがいるんだ」
ということで、あった。
それが父親であり、その父親は、すでにこの世にいない。この男が、自分の親をまるで、家畜のように葬ったということである。
ただ、それは、この男が受けたことに対しての報いであり、この男がやったことではなかった。
しかし、その報いがこの男に因果として巡っていた。
「オンナを孕ませては、堕胎をさせる」
というものだった。
「俺の血を正当に受け継いだ子供がほしい」
とばかりに、
「結婚はしたくないが、赤ん坊はほしい」
というような女に近づき、次々に孕ませて、自分の望む子供が生まれれば、その子を自分のものにする。
そして、それ以外の子を、決して認知しようとはしない。お金で解決しようとするのだ。
それは、堕胎代というだけで、
「何もなかったことにする」
という本当の、悪徳ブリーダーであるかのようである。
それが見えると、ゆいかは、恐ろしくなった。その男に気付かれないように、さっさと露天風呂から出ていった。
ただ、ゆいかも、その男のことを、
「どうして分かったのか?」
ということを考えた。
すると、
「自分にも、この男と同じような血が流れているのえはないか?」
と感じた。
そう、以前に、誰か、たちの良くない男に引っかかって、
「一夜のアバンチュール」
のせいで、妊娠し、堕胎をした経験があった。
それを、
「何が悪いのか?」
と自分に言い聞かせていたのだ。
相手の男は、避妊もしてくれない、悪い男だった」
と自分に言い聞かせたが、
しかし、それだって、自分がしっかりしていれば防げたことだ。
「まさか妊娠するとは思わなかった」
という甘い考えと、
「子供ができれば、この人は私のもの」
というアバンチュールのはずが、身体を重ねた時、
「本当に愛し合った」
という勝手な妄想が、こんな無責任な形になったのだ。
それだけに、
「自分が悪くない」
と思い込むことは、難しいことではない。
そんな自分も、
「家畜」
であり、
「悪徳ブルーダー」
であり、
「目の前の男」
の、
「一人三役」
とでもいってもいい自分を形成していた。
今回の旅行も、ある意味、自分のとっての禊であり、
「悪くもない自分なのに、塗れてしまった血を洗い流す」
という意味で、温泉は有難いと思った。
しかし、目の前の男の出現で、自分が、この男を同類と見て、結びつくか、それとも、
「戻ることができるなら、今しかない」
と考えるのであるとすれば、果たして。ゆいかは、どっちの道を選ぶのだろう。
男を見ていて、先ほどのサルを思い出そうとしてみたが、思い出すことはできない。もう戻ることのできないところまで来てしまったということなのだろうか?
そして、今まで目の前にいた男というのが、
「秋月昭文である」
ということは、もういまさら、言うまでもないことであろう……。
( 完 )
石ころによる家畜の改造 森本 晃次 @kakku
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