12.王宮にて III

「…ねえ、サイード。私は、今のあなたには何の役割も負わせてはいないわ」

「……」

「私は環境を整えるだけで、意志決定は住人のもの。あなたがこの地で関わる人たちのために考えたり行動したりしたことは、全てあなたの意志と人柄によるものよ。ここを出て行きたいと思うのも自由だわ。あなたの姉としては、寂しいから引き止めたいと思うけど…天上の主としてあなたの意志を変えたりはできないわ」

「…わかったよ」


 肩をすくめてみせると、姉上は安堵したのか小さくため息をついて話を続けた。


「でもしがらみが厄介なのは私にも分かるわ」

「へえ」

「しがらみに絡まれるのは意外と不快じゃなくて、むしろ絡まれていたいと思うところが厄介なのよね」

「まあな」

「そうなのよ、ねえ聞いて!」


 姉上は急に声のトーンを上げると、両手を揉み合わせた。


「私はこの世界ではこの姿だけど、他の世界では違う人種になったりするでしょう?」

「…おう」

「ヴィンセントにも関わったように、ずっと昔から下界に降りて人々を観察する。それは他の世界でも同じこと」

「…おう?」

「でもアーノルドがそこをちょっと気にしていて」

「待った! そういう話なら聞きたくねえ」


 おれは慌てて話を遮った。だが姉上は構わず続けた。


「でもこういう話、あなたじゃないとわからないでしょう?」

「どういう話だって聞きたくねえよ」

「聞いて。アーノルドはね」

「やめろって!」


 おれが耳を塞いで離れようとすると、今度は立ち上がって迫ってきた。背を向けても回り込んできやがる。


「アーノルドは、その…他の世界でも私がアーノルドみたいな相手を作ってるんじゃないか、って」

「あーあー聞きたくない!」

「そんなことないのに、私はアーノルドだからこそ初めてこんな気持ちになれたのに、あの人ったら…『君の仕事は理解してるつもりだし辞めさせようなんて毛頭考えてはいないけれど、でも深く介入することもあるかと思うとちょっと複雑だな』って…」

「やっぱり痴話喧嘩の話じゃねえか! だからしれっと聞かせんなっつってるだろ!」

「そんな風に言われたら私も仕事しづらくて困るわ。ねえ、どうしたらいいと思う?」

「知るか! おれがめったに王宮に来ないのはな、いつもそういう下らない話をお前らから聞かされるからだ! おんなじ話をからな! ったく付き合ってられるか」

「だって…」

「だってじゃねえよ! ハイレベルなネタで低レベルな揉め方すんな。どういう王族だよお前らは」


 やっと姉上が黙ると、今度は表の方がどやどやと少し騒がしくなった。


「アーノルド王太子殿下がお越しになりました!」


 警護騎士の報告に姉上がいらえを返すと扉が開き、たった今愚痴の種になってた旦那がそうとも知らずに揚々と入ってきた。アーノルドは「シェヘラザード、変わりはないか」と軽く様子伺いをすると、おれに向き直った。


「サイード! いつ来るかと思ってたぞ」


 全開の笑顔で両腕を広げ、そしてまたハグだ。


「野暮用が多くってな」


 おれがにやりとしてごまかすと奴は軽く肩を叩き、「ちょっと待っててくれ」と言って奥へ行った。ベネディクトが起きたのか、うあうあ言ってるのがちょうど聞こえてきてた。

 姉上はいったんそっちに顔を振り向けたが、アーノルドに任せることにしたらしく動かなかった。


「アーノルドも短い産休を取ってね、おむつ替えや沐浴はできるわよ」

「乳母を付けてる意味がねえな」

「国民の八割は乳母を付けられないもの。パートナーが頼りになってやれなくてどうするって言って、それで」


 毎度ながら奴の開明ぶりには頭が下がるぜ。

 おれは奥の方に背を向けて、アーノルドが相好を崩しまくって甘々の声で息子に話しかけてる様を見ないふりしてやった。

 ほどなくしてむずかり声が響き、ミルクがほしいらしいと姉上が呼ばれた。


 ベネディクトを姉上に引き渡すと、アーノルドはこっちに戻ってきた。泣き声を聞いてやって来た侍女が、揺りかごの前に衝立を広げて母と子を隠した。

 …ああ、姉上が授乳するのか。

 ずっと漂ってた甘い匂いが、急に生々しいもんに感じてきちまうな。


「出よう」


 アーノルドに促され、おれたちは部屋を出た。


* * *


 姉上の部屋から一つ二つのを挟んだところに、王太子の私室はあった。暖炉に向けた一人掛けソファをすすめられたが、どうせすぐ出そうだからとその肘掛けに浅く腰掛けた。

 アーノルドは書き物机から一枚の文書を取り上げ、手渡してきた。


「これが約束のやつだ」


 受け取って内容を確認する。そこにはおれの名と、ガレンドールの王太子アーノルド・レグルス・ガレンドールの名において身元を保証すること、おれの要請があれば道を通すこと、有事の際の処遇などが書かれていた。王太子の印章と外務大臣のサイン付きだ。


「この許可証があれば、この大陸においてガレンドールと何らかの交流がある国なら無下にはされないはずだ。東端のトスギルでさえもな」


 姉上への訪問に先立ち、アーノルドにはここを離れる意志を伝えていた。奴は細かいことは聞かず、餞別をやると言った。それがということは、おれが王都でなくこの国をも離れる気だというのをちゃんと察してるってことだ。余計なことは言わずに必要なことができる。今でもおれの背中を守れるのはお前だな。


「…いい餞別だな。ありがたく使わせてもらうぜ」


 アーノルドは許可証を再び手にすると、丁寧に折りたたみ始めた。


「時々は帰ってこいよ」

「気が向いたらな」

「そういう奴だよ、お前は」


 奴が背を向けたまま肩をすくめるので、おれは適当な雑談で間を埋めることにした。


「みんな姉上には良くしてくれてるみたいだな。陛下も初孫にぞっこんらしいし、実に幸せな家族絵図が出来上がってるようで何よりだぜ」

「ああ、まあそうだな…」

「おい、何でそこで歯切れ悪くなる?」


 短く嘆息したアーノルドは、許可証を封筒に納めながら「父上がじじバカ過ぎてな…」とこぼした。どうやら二人の間でベネディクト争奪戦が勃発していて、赤子会いたさに互いに公務を押し付け合ってるらしい。


「大人げねえな」

「まったくだ。俺だって冒険譚には事欠かないから、父上の武勇伝なんか出る幕はないのに」


 もっと大人げねえ話になってきやがった。


「まあせいぜい張り合えよ。冒険譚でお前がきまり悪くて端折ったところは、背中を見ていたおれが後から補足してやるからな」


 舌打ちさせてやろうと思ったが、奴は軽く苦笑して一旦差し出しかけた封書を軽く引っ込めた。受け取ろうとしてたおれの手が宙を泳ぐ。


「おい?」

「俺としては、いつかお前自身が主役の冒険譚を聞きたいものだな」

「そこまでサービスする気はねえぜ。ったくどいつもこいつも…」

「こいつを渡せば自動的にエピソードが増えるよな?」


 涼しい顔で封書をひらひらさせてやがる。


「餞別に見返りを要求すんのかよ!?」

「俺への見返りじゃない。甥のために土産話を持ち帰れば、いかにお前でも叔父としての面目が果たせるだろう? まあ、噴水広場の件みたいなイリーガルな展開や月明かりの下で話すような濃いのは困るが」

「注文が細けえな! ならやっぱり『アーノルドNGシーン集』にするか、大人になるまで待たせとけ」


 言いながら、やっと目の前に近づいてきた封書を取り上げると、奴はこらえきれないように笑い出した。


「ははは、言質は取ったぞ。ちゃんと待ってるからネタを忘れるな」


 舌打ちさせられたのはおれのほうか。


「必ずまた会いに来いよ」

「おれみてえな出先で何をしでかすかわからねえやからなんか、帰ってこないほうが都合が良いんじゃねえのか?」

「馬鹿を言え。俺は自分の見栄のために親友を切り捨てるような情けない人間じゃない。そもそも俺もシェヘラザードも、お前を拒むなどあり得ないさ」


 しょうがねえ、降参だ。こいつに意地を張ってもつまらねえ。

 おれは、封書を懐に入れると立ち上がった。


「サイード」


 アーノルドが拳を突き出した。どっかの異世界で覚えた「冒険者の挨拶」だ。


「元気でいろよ」

「ああ、お前もな」


 おれも応えて拳を打ち合わせる。正面から一度、拳の底で一度、それからハグするように互いの背中を叩く。

 別れを惜しんではいけない。それがついの別れになったとしても、別れを惜しまなかったことを悔やんではならない。その感情のためのエネルギーは全て、これから行く旅を完遂することに使うべきなのだ。それがこの挨拶の教えだった。


 部屋を出ると、おれはまた護衛に連れられながら王宮の外へと向かった。出口が近づくに連れ、気分が清々としていく。おれの胸の虚ろにもようやく出口が開き、淀みが吹き払われていくようだ。


 そうとも、ここを何かで埋める必要はない。がらんどうにしてこそ風通しがよくなるってもんだ。吹き抜ける風の音をいつでも感じていたい。他には何一つ留まらなくていい。


 長すぎた寄り道はもうお終いだ。おれは、おれの行くべき道に戻る。おれのするべき旅をする。オリフォンテの魂が求めるままに、この世界の果てに行き着くまで進み続ける。

 無駄でもいいんだ。果てをから見てしまったからといって、越えたらどうなるかまで確認できてるわけじゃない。そこにたどり着くまでに、何に出くわし誰に関わるか、またしても足止めを食らうのか、まったくわからないがそれでもいい。無謀でもいいんだ。途中で力尽きてもいい。むしろそうしたい。


 正面の扉を押し開けると、真冬の冷たい風がおれを包み込んだ。ここまで付いてきた護衛が敬礼する。おれは表門を出ると、もう振り返らずに歩いていった。

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