11.王宮にて II

 おれたちはベネディクトから離れ、ソファに腰を落ち着けた。侍女がおれに紅茶と、姉上に温めたレモネードを出して下がったが、おれは重ねて人払いを頼んだ。姉でも王太子妃でもなく、天上の主に用がある。

 そして切り出した。


「姉上、もうおれを解放してくれ」


 姉上はきょとんとした。


「わざわざガレンドールに呼び寄せられて、商館長代理なんて柄にもない仕事をやらされてんのが姉上の差し金だってのはわかってる。暇つぶしのつもりで一年我慢してたが、限界だ」

「あら」


 姉上は、相変わらずのおっとりした口ぶりで話を聞いている。


「ここに居ると、次から次へとしがらみがおれを絡め取りに来るんだ」

「まあ」


 ミナみたいなわかりやすい例だけじゃない。文化が大幅に異なるこの国で頑張って働いてる商館の従業員たちを見てるうちに、差別や迫害から守ってやらにゃあと次第に思わされてくる。商館長ってだけじゃないおれの特殊な立場が、彼らに対して何らかの責任を負うべきじゃないかと囁きかけるんだ。「責任」だと? それは、おれから最も遠いところにある言葉だぜ。


 もっと巧妙なのは、アナスタシアの動向だ。


 あいつは、いまだに姉上の正体を暴こうとしている危険な存在だ。ちょっと警告したぐらいじゃ諦めないだろう。いっそおれが、あの女の行く先々で邪魔者として立ちはだかって気をそらすしかないかとまで思いかけた。


「だが、おれはごまかせないからな。天上の主の仕事の裏まで見知ってるこのおれにはな」


 これは罠なんだ。そんなことに付き合ってたらおれはいつまでもこの地を離れられない。あの女の好敵手になるのは面白そうだとおれ自身が思ってしまう、そこがまた巧妙だ。


「あらあら」

「姉上は、何とかしておれをここに根付かせようとしてるだろう。とっくに出番が終わったおれに、まだ何をやらせようとしてんだよ。だいたい姉上だって、占い師の方はもう廃業だろう? おれの手伝いなんか要らないはずだ」


 占い師として受けた依頼を手伝ってやったのは、ほんの寄り道のつもりだった。それで姉上の「お務め」がさっさと終わるんなら、おれもおれの本筋――実家に見切りをつけて好きなようにこの世界を歩き回る――に踏み出せると思ってた。

 寄り道が長丁場になっても、数々の異世界を歩き回ったりアーノルドを突ついたりするのが面白かったから付き合えた。面白いものが見つかるからこそ寄り道はするもんだし、いつか必ず本筋に戻るつもりだからこそそれを寄り道と呼べるんだ。道をそれっぱなしでもいいと思えるほどの面白さがない限り、寄り道は寄り道だ。


 ところが、実はおれは寄り道に入って早い段階で戻るべき本筋を失っていた。


 アーノルドを初めて異世界へ連れ出そうとしたとき、姉上は奴に話をわかりやすくするために、この世界の模型を見せた。

 この世界は、ガレンドールを中心としてある程度の範囲しかまともに作られていなかった。フィニークより西はなく、東も大陸の端の遠国トスギルまでしか存在しない。その模型では南洋も途中で切れていて、よく水が落っこちないなと不思議だがとにかくそうなっていた。


 おれたちの世界は意外に狭かった。子どもの頃、伝統派オリフォンテの拠点から見た地平線が、本当に世界の果てだったのかもしれない。かつてオリフォンテが果てを越えてきたというのも伝説、いや「設定」に過ぎなかったわけだ。


 いつかはおれもどこかの果てにたどり着き、越えてやる。それが本来のおれがしたかったことだ。なのにもうネタが割れてしまった。この世界をどれだけ旅してももはや無意味だ。果ての先など無い。


 だから代わりに異世界巡りにふけったのかもしれない。依頼を終わらすためにアーノルドを焚き付けるなんてさっさとできたはずなのに、最後の手段としてずっと取っておいた。あいつ自身がもう帰ると言っても、往生際悪くまだ寄り道しようとした。


 異世界巡りから帰ってきてしばらく経った頃、おれはオアシスへ行こうとした。そこは、異世界へ向かうための天上の拠点だ。姉上の助けがなきゃよその世界には行けないが、オアシスまで上がれば何とか口説き落とせると踏んでたんだ。

 だが、オアシスへの道を開くキーアイテムの編み紐飾りミサンガがその時壊れた。留め石に使われた形見の石にヒビが入ってしまったんだ。姉上とおれを繋ぐ唯一のものを、それ以上どうにかするわけにもいかない。それきりおれは、この世界に縛り付けられたまま、行き場も、生きる目的も見失ったままだ。


 それでも人生は続く。


 表向きは虚無感を悟られないようにしていた。馴染みの船にも隊商にもまた加わってみた。だが最早何も面白くなかった。姉上が育ったあの開かずの部屋は、最初からそうだったかのようにがらんとしていた。その部屋と同じ大きさの穴がおれの胸にも空いてる気がした。


 商館長代理の話が来たとき、やっぱり姉上は全てを見ているものだと思った。ガレンドールに河岸かしを変えたところで大して面白くならないのは分かっていたが、姉上とアーノルドと、恐ろしいアナスタシアがいるなら多少は違うかもしれないと自分をなだめて渋々やって来た。

 結果は、無気力ぶりに拍車がかかっただけだった。仕事は退屈すぎるし、酒だの賭けだのは慰みにも刺激にもならない。とても胸のがらんどうを埋める足しにはなりゃしない。無駄に溜まって淀んで全身を腐らせていきそうだった。


 それでも人生は続く。…続くんだ!

 なぜ続く? 姉上が続けさせているからだ、こんな人生を!


「…姉上は、おれがこの国に留まって、いつもの顔ぶれと付き合ったり揉めたりしながら楽しく賑やかに暮らしてほしいなんて考えてんだろう?」


 例えば、暇つぶしに王太子殿下と周りのハイソな連中の相談に乗っては裏で動いてやったり、商館や取引先と新規ビジネスを開発して一世を風靡してみたり、時には通りすがりの市民の困りごとに首を突っ込んだりして、とにかくおれのポテンシャルを活かしたイベントを延々とやって、そのうちミナみたいな適当な女に捕まったらやっと放免される、そんなことを目論んでんだろう?

 天上の主が仕事を上納してるオーバーロードとやらは、そういう安っぽい成り行きがお好みらしいからな。


 だがそんなオチは、お好みじゃあねえんだよ!


「正直、今度こそもううんざりなんだよ」


 おれはもうこの舞台からは降りる。行き場がなくても構わない。下らないオチにたどり着くくらいなら、どこにもたどり着かずに彷徨さまようほうがずっとマシだ。


「あらまあ」

「何が『あらまあ』だよ! 百歩譲って、昔母上に頼まれた『姉上にとっては唯一の家族だから気にかけてやってくれ』って約束も、極上の玉の輿に嫁いで幸せにやってんのを見届けりゃもう完了だ。姉上の家族は、もうおれじゃない。――アーノルドとベネディクトと、後に続いて生まれてくるだろう赤ん坊たちだ」

「まあ! サイード」


 姉上はびっくりしたように立ち上がり、テーブルを回ってこっちのソファに並んで座った。


「サイード、だめよ。あなただって変わらず私の大切な家族よ」


 そう言って、脇の方へ少し下がると待ち受けるように膝もとに両腕を広げた。


「さあ」

「何だよ」

「私たちが家族だってことを忘れたりしたら、いつでもするんでしょう?」


 姉上は「ほら」と自分の膝をぽんぽんと叩いてみせた。


「ばっ…かやろう!」


 おれはその手を払うと急いで立ち上がった。くそ。首の後ろが熱くなってきやがった。


「何言い出すんだよ! だから、そんなのは今の家族にしてやれってんだよ」

「あら…。でも、アーノルドはあんまり私にはさせてくれないの。不公平だと言ってすぐに交代しちゃうのよ。…上から覗かれるのって結構恥ずかしいわよね。あなたはいつも平気だったの?」

「そっちじゃねえよ! 今後ベネディクトが育ってきたらやってやれっつってんだよ! あとお前らの睦言をしれっと聞かせんな!」


 またきょとんとしてる。こんな時だけ「人間の機微は分かりません」てふりしやがって。

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