4.依頼人

* * *


 約三日間の異世界体験を終えて帰ってくると、姉上はおれの無事を喜んだあとまた一つ手伝いを頼んできた。異世界訪問に比べたら拍子抜けするようなそのお願いは、「同じ学園の男子生徒アーノルドを、うまく誘導して店まで連れてくること」だった。


 もちろんアーノルドのことは知っている。同じ学園どころか同じクラスだ。だが今まであまり関わったことはなかった。奴がこの国の唯一無二の王子様――アーノルド・レグルス・ガレンドール王太子殿下その人だからだ。おれは友好国の総督の息子だから立場は同格と言えなくもないが、別にそれを理由に親しくなろうとも思ってなかった。

 本人は学生の中で最も身分が高いにも関わらず、基本的には誰とも分け隔てなく接したいと考えてるみたいだった。だがいつも宰相だの貴族院議長だのと、大層な肩書の親を持つハイソなご学友の一団に取り巻かれてた。おれみたいにモブに徹する輩との接点なんざ、たまに鬼ごっこやらの悪ふざけを見咎めて叱ってくる程度で十分だろ。


 そのアーノルドが、どうやら姉上を手こずらせてる依頼人らしい。意外だ。貴族の中には偉そうにして庶民に無理難題を吹っ掛ける奴らもいるが、あいつは自分が王子様だからといって驕ったりはしない。落ち着いた物腰とスペックの高さで学園内では大人気だ。人柄良し、頭も良し、顔も良し。この三年眺めていた限りじゃ、実は腕っぷしもそれなりらしい。

 そんな奴が、一体何を悩んで占い師を頼るんだ? そのうえ何がお気に召さなくて何年も姉上を苦労させてんだ? あいつ、四苦八苦させてる相手が天上の主だなんて夢にも思ってねえだろうな。


 でもって、その天上の主でもどうにも手に余るときに頼るのが、このおれだ。依頼を完了させるにはこの先アーノルド本人にも汗水流してもらうつもりだから、危なげないように支えてやってくれと頼まれた。やっぱ平和な国の一人っ子王子様じゃ、冒険したくてもできねえんだろうな。任せとけってんだ。


 さっそく学園でアーノルドに声をかけてちくちく煽り、引っ張り回してやると血相を変えて姉上の店に駆け込んで行った。間をおいておれも中へ入ってみると、姉上は奴を説得してる最中だった。


「――ですから殿下、『遊学』をしませんか?」


 姉上に掴み掛からんばかりに詰め寄っていたアーノルドは、放心したように上げかけていた手を下ろした。そして、おれの気配を感じると振り向いた。

 どちらかと言えば長身で俊敏そうな体躯、純黒の髪に白い肌。いつもは明るく溌剌としていた緑の瞳は、明らかに戸惑って揺れていた。


「サイードか…。お前が、シェヘラザードの弟だと…?」


 おれは肩をすくめて肯定した。


「なぜ今まで言わなかった!?」

「プライバシーだからな」

「何てことだ、姉弟揃ってしらばっくれてたとは。――シェヘラザード、余りに突飛な提案で父上の理解を得られるとは思えないが…とにかく話はしてみよう。邪魔したな」


 おれと姉上を交互に見ながら、アーノルドはクレームを付けた。それでも何とか動揺を収めたようで、きびすを返して出ていった。


「サイード、ありがとう。あなたの手際の良さには感心します」


 姉上はおれをねぎらった。


「なーに、楽勝だぜ。姉上からもらったこいつを見せたら、一発だ」


 おれは左腕に付けた編み紐飾りを示した。ちょっと動かすだけで不思議な光沢を放つのは、特殊な金色の糸で複雑に編み上げているからだ。この糸は隣国の特産品だとかで、まだ一般人には入手困難な代物だ。アーノルドが王子様特権で流通を管理していて、持っているのは奴が直接手渡した相手くらいだ。例えば、『厄介な依頼をして何年も付き合わせた占い師に手間賃代わりに与えた』とかだ。


 姉上はその糸でこいつを編み上げたわけだな。ちなみに飾りの留めには姉上の額飾りだった黄緑色の石ペリドットが使われていた。実はこれは母上の形見だそうだ。「もうあなたに託しましょう。この世で私とあなたを繋ぐ象徴ですから、大切にしてください」と言われた。


 シェヘラザードに渡したはずのものをなぜお前なんかが持っている!?――と顔色を変えたあいつは見ものだった。まるで、二人の秘密に土足で立ち入ったと非難してるみたいだった。知らねえよ。

 それで来てみりゃ壁ドン状態だし、何をやっているんだか。


 後日、今後の段取りを打ち合わせるために店へ顔を出すと、姉上の様子がおかしくなっていた。


「この間はご苦労だったわ、サイード」


 そう言ってにっこり笑いかけてきた。すげえ見慣れなくて面食らう。


「姉上、いつもの棒読みはどうした?」

「気分転換よ」


 そういう問題と違う気がするが。


「姉上に気分があったのか」

「失礼ね」


 茶化すと明らかにムッとした。こんな風にわかりやすく感情を出すなんて初めてだ。顔の造作はもともと良いから、表情があるとちゃんと美人に見える。

 どういう心境の変化だ? まさかこないだの壁ドンでとうとう姉上にも春が来たんかな。そういやいつものヴェールをやめて、アーノルドからもらったあの糸で編んだネットを髪に掛けている。

 それってやっぱりそういう意味なのか? 引きこもりは人間関係に乏しいからな……いや、あんまり突つかないでおくことにすっか。急に血の通った人間みたいになっただけでも戸惑うのに、万が一恋バナでもされた日にゃあキャラ崩壊間違いなしだからな。

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