5.新たな知己
姉上は、前もっておれで実験した通りアーノルドも異世界へと送り出すつもりだ。だが立場上忽然と消えるわけにもいかないので、妥当な口実が必要だ。そこでまたおれが一役買う。留学を終えて帰国するおれにくっついて、今度は奴がフィニークに遊学する――という名目で、この国から連れ出す手はずだ。おれが急いで奴と親しくなるよう頼まれたのも、この展開を見越してのことだった。
この間の件をきっかけに、おれたちは学園でも互いに声をかけ合うようになった。アーノルドは、姉上とのいきさつを抜きにしておれ自身に関心を持ったらしい。話してみればカラッとして付き合いやすい奴だった。他の連中よりも比較的
ただ、やたら壮大に茶目っ気を発揮したりするところは、いかにもお高い身分らしかった。
あいつは、卒業と同時に帰国することが決まったおれの送別会だと言って、クラス全員を巻き込んだ大規模な鬼ごっこを企画しやがった。会場を支度するからそれまでの余興だなんて言ってたが、当たり前のようにおれが標的で、学園の敷地半分を使って一時間も逃げ回る羽目になった。
女子は任意だが男子は全員追いかけてくるから、たとえ窓から飛び出しても下で誰かが待ち受けてやがる。おれが単騎で相手にした追っ手の最高記録は山賊十九人だが、あんときゃ崖や窪地みたいな天然の障害と剣で頭数を減らせたから何とかなったんであって、丸腰でただ逃げるだけなのはなかなか骨が折れる。
アーノルドも、いつもの取り巻きの眼鏡や筋肉と一緒に嬉々として追っかけてきた。おれが障害物を利用して逃げると、取り巻きと違って回り込まずにまっすぐ飛び越えてくるあたり意外と筋がいい。
一番恐ろしかったのは、学園の女傑アナスタシアだ。きっちり運動着に着替えた上で的確に追い込んでくる。それで誘導された行き止まりでは、おれに堂々と抱きつけると思って目を爛々とさせてる女子の一団に取り囲まれた。野郎相手みたいに実力行使に出るわけにもいかねえ。あの女は、身体能力よりもこういう罠を考え付けるところがこええんだよ。
時間になってようやくゴール兼送別会場の講堂に飛び込めたが、さすがにその場に座り込んじまって拍手に応える気力もない。歓談のときにアーノルドは、実はいっぺん鬼ごっこに混ざってみたかったと照れくさそうに告白した。まったく、かわいいとこあるぜ。おれは、最大級にげんなりした顔をしてみせた。
「だったらいつでも声かけりゃよかったじゃねえか」
「この手の子どもっぽい遊びは、頼んでも冗談だと思われてしまうんだ。丁重に『ではそのうちに』と言われてそれきりだ。結局自分で企画した方が早い」
「せめてもっとささやかにやれよ。送別会なんて派手なもんも正直遠慮したいくらいだぜ」
「それこそなしだな。フィニーク連邦総督の御令息をお預かりしてるのに、今までろくなもてなしができてなかったんだ。今さら遅すぎるが、このぐらいさせてくれ」
「政治を混ぜないでくれよ。おれはモブに徹してる方が楽なんだ」
「サイード、お前は俺にとってはもうモブなんかじゃないぞ」
「……」
アーノルドはちょっと台詞が重いと気づいたようで、目をそらしながら「お前は、他国の
あいつの苦労はまだまだあって、渋滞気味なくらいだ。直近では、学園卒業と同時に王家直轄領の統治を始めるというもっぱらの噂だったのに、何かやんごとない理由があってその話が白紙になってた。自活しなきゃいけないんで慌てて就職先を探してると、相談だか愚痴だかわからん話をおれも聞かされた。
だから問題を先送りできる遊学の話は、まさに助け舟だ。けど放任された三男のおれと違って、気合を入れて育てた優秀な一人息子を海の向こうにやるなんて、ガレンドール王はよく許可できたもんだ。
と思ったら、裏で姉上が何か糸を引いてたらしかった。
「ヴィンセント陛下からの依頼も受けたことがあるの。アーノルドが私の名を出せば必ず信頼するはずよ」
そんなことでうまく行くのは嘘くさい気がするが、それでもうまく行かせてしまうのが姉上の力だ。聞かずに任せとこう。
「で、アーノルドはいつ連れ出すよ?」
異世界に。
「早い方がいいわ。外洋に出たらすぐね」
「わかった」
おれも、フィニークに近づく日を少しでも遅らせたいからありがたい。
「なあ、おれは極端な話、行ったっきりでも構わねえんだが…アーノルドは戻ってこないわけにゃいかねえよな?」
「ええ。これは修行みたいなものだから、ちゃんと帰ってきてここでその成果を見せてもらわなきゃいけないわ」
「その修行って、いつ明けるんだ?」
「それはアーノルド次第ね」
無期限か。まあ一生ってことはないだろう。
「あなたもちゃんと帰ってくるのよ」
「んん?」
「きっと長期間になるとは言え、あくまでもこれは、フィニークに到着するまでの寄り道に過ぎないわ」
「…おう」
「本来の目的地を忘れないで」
つってもなあ。向こうに戻ってまたユーシェッド家に収まるのは
「あなた、寄り道は好きでしょう? 目一杯寄り道させてあげるから、行ったっきりでも構わないなんて言わないで」
お、おう。そんな言い方されると何でか少しばつが悪いぜ。「わかった」と言うしかないが、その前にちょっと首のあたりを掻いたりして勿体をつけた。
「ありがとう、サイード。あなたを頼りにしているわ」
姉上はまたにっこりした。
「あなたの出番はこれからよ」
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