第一章 一話 <空っぽ>

―――頬を伝う赤い液体、それは今となっては見るのももう慣れてしまった人間だったものの血液だ。それを右手の親指でふき取り、割れた鏡に映る自分の顔に赤い線が描かれる。




「今回の依頼にあった奴等はこれで全部か?」




 右手に斧を持ったまま、その斧で屠った人型の怪物の数を確認し、殺害現場に居合わせたもう一人の共犯者に同意を求める。


 すると、柱の陰から小汚い衣服に身を包んだ猫背の男がその手に持っている分厚い本を開き、五人の人間の顔が記されたページを開き、そこにある写真と斧を持った男の足元に横たわる異形の死体を見比べると黄ばんだ歯をむき出しにして笑い―――、




「へへ、流石は柊の旦那。今回も流石の仕事っぷりでさぁ」




「依頼には五人と書いてあったが、ここに居たのはこの四体だけだ、もう一体はどうなった」




「そいつぁ、これを見て貰えば分かりやす。っとと...悪いね。ただでさえ辱められたってのに身包みまで剝いじまって」




 猫背の男が「南無阿弥陀仏」と唱え、手を合わせた後に、顔の半分が隆起した死体の衣服を勢いよく剥ぎ取るとその下にあるものが、人の形をしながらも彼等が異形と言われる所以を明らかにする。


 女と思われる身体的特徴を持った異形の腹部、そこには口を大きく開けて血の涙を溢している子供と思わしき顔があり、その顔の周囲からは異様に長い十本の指が生えており、あまりに悍ましいその有様はまさしく異形と呼ぶに相応しいものだ。




本体ベースになった人間は木城穂香きじょうほのか、取り込んだ人間はまだ七つの子供でさぁ。幼い分異形になるのが遅かったんだと思われやす、その間に先に異形になった母親に飲み込まれちまったんでしょう」




「...そうか」




「母が子を食うなんて、惨いったらありゃしねぇ」




 剥ぎ取った衣服を被せ、人の様相からかけ離れてしまった死体を隠し猫背の男は再度手を合わせ冥福を祈る。その横に立つ男、柊と呼ばれた男は自身の手で殺めた死体には目もくれず、その場を後にする。




―――この道で生きている以上、こんな悲劇染みた話は腐る程聞いてきたし、実際にこの目で見て、この手でその悲劇を看取ってきた。今更彼等に掛けるものなど、自分には何も持ち合わせていない。




 異形と呼ばれる人に仇為す存在になってしまった以上、彼等はいずれ処分される。その過程で国家の研究に使われるかもしれないが、そんなの殆ど死んでいるのと変わらないだろう。




 だったら、せめて苦しまないように殺すのが彼等に出来る唯一の事ではないだろうか。


 血に塗れた醜悪な自分を肯定する為に常日頃から自分自身に言い聞かせ、今日まで生きてきた。


 生きる気力も無いが、それ以上に死にたくないから、こうして誰かの悲劇を食い物にして今日まで生きてきてしまった。




「旦那、遺体の確認は出来やしたし、依頼主に連絡しやしょうか?」




「...そうだな。安全が確認でき次第―――」




 そこまで言ったところで視界がノイズに飲まれ、一瞬の内に目まぐるしく移り変わる。そこに映るのは自分と依頼の斡旋を行う猫背の男の姿、それに依頼主と思われる豪華爛漫な装飾を施した衣装の女性の姿。


 そして、依頼にあった異形と化した元人間の処分を確認をするべく部屋に向かう三人。―――そこで起こる依頼主の末路。


 部屋に足を踏み入れた女の首から上が部屋に入ると同時に一瞬の内に消え、依頼主の頭部を齧るもう一体の異形の姿が―――。


 そこまで見て、再びノイズが視界を満たし、現実世界へと引き戻される。




「―――な、だ...な。旦那!依頼主が話をしたいって言ってやすぜ」




 これから先起こるであろう悲劇を一足先に見てしまった柊の横で依頼主に連絡をしている猫背の男が何事も無いように電話機を差し出しているところで現実が再開される。




「―――まだマシだな」




 そう、小さく呟いて柊は差し出された電話機を猫背の男の下へ押し戻し、険しい顔で異形が居た部屋へ振り返り歩いていく。




「まだだ、もう一体居る。依頼主は絶対に呼ぶな、来たら死ぬと言っておけ。―――それで通るだろう?」




「―――!了解でさぁ、旦那。お気をつけて」




 細かい説明は必要なかった。それだけで長い付き合いである猫背の男はその理由なき根拠が根拠足りえ、頭の良い学者による予想や世紀の大予言者の予言よりも確かな予言、―――いいや今となっては溢れかえる無能な予言者とは比べるまでもない確かな真実として伝わる。




「すいやせん、旦那が来たら死ぬと言ってやすんでもうしばらくお待ちいただけやすか?―――え?さっさと済ませたいんですかい。まぁ、気持ちは分からんでもありやせんが、来たら死ぬんですぜ?えぇ、えぇ。なるべく早く終わらせやす、いやぁ旦那の事をご存じで助かりやした。金を受け取る前に死んだ依頼者がこれまで何人も居たんでねぇ」




 交渉をする男の声を尻目に柊は常備している小斧を右足につけているホルダーから抜き出し、今はもう家主を失った絢爛豪華な屋敷の中を土足で踏み入り、何の躊躇も無く、赤いカーペットを土で汚しながらある一室へ向かい歩いていく。




 柊に身を隠しながら歩く理由は無い。むしろ身を隠しながら屋敷に再度入って来たことがもう一体居る異形に感づかれればそれだけで警戒される要因になり得てしまう。


 相手は先の戦闘で介入してくることは無かった。むしろ屋敷に入ったと同時に襲い掛かって来た依頼にあった四体とは違い、最後まで沈黙を貫き不在を装い、依頼主が来ると同時に依頼主だけを狙って殺したのは紛れもなく知性がある証拠だ。




 そして、先の記憶を覗き見た柊には隠れている知性を持った異形の居る場所が分かっている。相手は何故戻って来たのか疑問には思っても先の戦いを見れば不用意に顔を見せることは無いだろう。




「ここか」




 依頼にあったのは異形化した四人の家族の始末。一族の者から不浄な存在を生み出してしまったとあれば自身の地位が揺らぎかねない。となれば正規の手続きで異形の処分を依頼することが出来ない。しかし、いつまでも屋敷に居座られたとあっては周りの貴族に疑いを掛けられかねない。




 祖父の代に建てられ、今はもう異形化してしまった家族との思い出も詰まっているであろうこの屋敷も異形の処分が出来れば、すぐにでも取り壊し、土地も売り払う予定らしい。


 地位に拘る人間らしい発想ではあるが、何の躊躇いも無く、不幸にも異形化してしまった家族を殺してくれと依頼してくるあたり、本当に家族のことはどうでもいいのだろう。




 彼等に必要なのは自分を着飾る衣服と地位だけ。こんな絶望に満ちた世界でもそんなものに拘る必要性が理解できない。理解できないが、まぁそういう人間も居るのかと何となく納得した気になっている。




 ―――だから。




「―――悪いな、お前の復讐は叶わないらしい」




 手に持っていた手斧を部屋に入ると同時に衣服を閉まう為に用意されたタンスへと投げつける。手斧が投げられた先で一瞬何かが呻くような音が聞こえると、手斧が突き刺さったタンスから赤い血が流れ始める。


 だが、まだ油断はできない。初撃は異形からしてみれば予想だにしていない出来事で対応出来なかっただけで、頭部を砕かれても生きていた場合次にどんな行動を取るのかは―――。




「...そうか」




 血に濡れたタンスが勢いよく開かれ、その中から姿隠しの異形が姿を現す。


 斧が突き刺さり、真っ二つに割れた青年の顔。そこから三十代後半の男のものと思われる顔を生やした執事服姿の男が飛び出し、手に持ったナイフを先程自分がやられた不意打ちへの意趣返しのように尋常ならざる腕力で柊へ投げつける。


 ライフルから放たれる銃弾すら超えた速度で迫るナイフは見てからでは反応出来る筈も無く、勝利を確信したのか砕かれた頭部から生えた男の顔が僅かに笑みを浮かべる。




 自分が異形になってしまったことに気づいており、その実力をこれまでこの屋敷に居た人間で試してきたからこそ彼には如何に自分が強いかを認識している。知性があるからこそ、自身の強さを作戦に組み込み、―――油断する。




「―――――ぁ゛?」




 避ける事の出来ない速度で放たれたナイフ、柊の頭部を砕くべく放られたそれは寸分たがわず彼の頭へと到達し脳みそを辺りにぶちまける筈だった。




 ―――自分が化け物になったのを知っている。そうなるようにと契約したから。




 ―――あの女の家族が異形化したのを知っている。そうしたのは自分自身で、あの忌々しい女をその家族に食わせる為にそうしたから。


 趣味が悪いにも程がある?そんなの知ったこちゃあない。あの女は僕から全てを奪ったんだから。


 僕の大切な人もどこかの貴族に売り払い、奴隷としてどこか遠くで死んだと骨だけになって手元に帰って来た。


 その時あの女は何て言ったと思う?




『もう少し金になると思ったけれど、まぁ出来損ないの妹だもの。こんなものよね』




 庶民と結婚した貴族の令嬢。勿論、親の反感も買ったし、周りの人間からは口を揃えてやめておけと言われたらしい。


 貴族に生まれたなら貴族の嫁に。そんなの当たり前じゃないか、と。




『好きになっちゃたのはしょうがないのにね。でも、お父様もお母様もちょーっと頭が固いだけでわるいひとじゃないのよ?』




 家を出るのは勿論、家族の縁を切られるのも全て承知の上で僕と彼女は結ばれた。それで万々歳じゃないか。物語としては少し退屈で、けれどこれ以上にないハッピーエンド。


 狂ってしまったこの世界でも何も変わらない愛のカタチ。それを体現した僕達に待っていたのは物語としても、一人の人間の人生としても最悪の結果。B級映画にも劣る最悪のバッドエンドだ。




『聡さん。ちょっと姉さんに呼ばれたから明日、出かけてもいいかしら?』




『大丈夫かい?今更戻って来いとか言われるんじゃ...』




 一緒に住むようになってから二年後、そう切り出した彼女の事を心配に思いながらも『大丈夫、姉さんも優しい人だもの』という言葉を信じて、


 僕は―――僕は送り出してしまったんだ。




「ゅ...、り」




 頭が割れるように痛い。口が上手いように動かない。あんなに漲っていた活力も、体を突き動かしていた復讐心もいつの間にか失せて消え、今はただ空しさと寂しさが心と体を虚ろにしていく。




「な―――、で生きて?」




「聞いても理解できんだろうさ。お前のその虚ろな復讐と同じでな」




 今しがた起きた一瞬の攻防は怪物となったこの男からしても理解できない類のものだったらしい。それもそうだ、数多の世界を経て進化を重ねたとは言え、異形と化した人間とそうでないものの間には身体能力面で大きな差が存在する。




 故に男には自分が見た光景が信じられなかった。多少距離は空いていたとしても、あの距離で放ったナイフを躱すことは容易いことではないだろう、しかもその避け方はまるで避け方であった。




 ナイフが投げられることは勿論、それが自身の頭部目掛けて投げられると知っていたのかナイフを投げる位置を見定め、タンスから飛び出した瞬間にこの男は後退ではなく、―――前進した。




 ナイフが異形の手元から離れた瞬間スライディングし、躱す。

ナイフによる刺殺を回避した後、そのナイフが頭上を通り過ぎる瞬間に柄を掴み、そのナイフで目の前に居た自分の心臓へと突き刺した。その動体視力もさることながら、やはり未来視じみた行動に違和感がある。


 どうやったらこの屋敷に知性を持ったまま異形化した人間が居ることを見抜き、どうやってその居場所を突き止めたのか。考えれば考える程に疑問は募っていく。




「どうせ死ぬんだ、聞いても無駄だろう」




 それもそうだ。何も為せぬまま死ぬ身で今更何を知っても無駄なことに違いない。理解は出来ても、血も涙も無い返答に自分の目の前に立っているこの男が本当に人間なのかすら怪しく思えてしまう。


 人の形をして、人として生きているにも関わらず、この男には人間味を感じない。情も無ければ倫理観も無い空虚な人間。化け物と化した自分すら霞んで見える怪物のような人間。




「何だ、まだ息があったのか」




 あぁ、あぁ。そうだ、知っている。私はこの男を知っている。




 終わりの間際で思い出す、遠くに鎮座する霞んだ記憶。幾度も繰り返すうち摩耗し、霞みがかった記憶の底に映る、滅びゆく世界で数多の屍を積み上げ、その上に立っている男の姿。




 真球の中でもがく人間を嘲笑う真球の外側から訪れた存在。繰り返す世界の認知と共に訪れた世界の悲鳴、世界と世界を繋いだ隙間、淀みから生じた怪物と比べても遜色のない、人類と言う種に生まれた怪物。




「ヒイラギアカリ」




「―――死ね」




 容赦なく振り下ろされる手斧が目前に迫り、走馬灯のように記憶が駆け巡るよりも前に骨が砕かれ、肉と血が飛び散る音と共に視界が赤に染まり、それから何を思い出すでもなく、思考と視界がブラックアウトする。




「次の世界が




 目の前の異形の死亡を確認したのち、そう告げた柊は男に突き刺さった手斧を引き抜くと全身血に濡れた姿のままで赤いカーペットの上にやや黒みがかった赤い靴跡を残し、静まり返った屋敷を出る

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