青い龍と常春の国

@Mirin665

青い龍と常春の国


 水神の国、レトは北限地域と呼ばれる人が居住可能とされる領域より更に北に存在していた。1年の大半を分厚い氷河に覆われ、なおかつ、雪解けは夏の本の短い間のみ。厳しい気候と硬く凍結した土地では作物の類も殆ど生えず、収量は見込めなかった。

厳しい環境。人々は請い願った。どうか、私たちが生きていけますようにと。ヒトの生存を許すまいとする厳しい自然に対して、食べ物を得て、住居を構えて、どうにか生活していけますようにと。


 その祈りに応えるように、青く光る龍神が天より現れた。長いヒゲを空中に揺らし、輝きを放ち咆哮を上げると、あらゆる氷がヒビ割れてはじけた。熱風が極北から吹き込み、その国一帯は嘘のように温暖な気候に恵まれた。

 実際、北限地域は凍てつき人間の住める環境ではないはずだが、水神の国のみが不自然な四季のある落ち着いた気候となっている。空気の湿度、気温ともに標準的で、居住には適していた。寒さに凍える周辺の北国からこぞって移民が集ったのは言うまでもないことである。


 王都には水路が張り巡らされており、オソと呼ばれる小舟で荷物の運搬や人の移動が行われていた。農業、特に果樹栽培が盛んで、リンゴが名物とされた。町はにぎわっており、その島国から出て3キロも行かないうちに雪がちらつき流氷も現れる有様だというのに、アーリア島はまるで隔離された温室そのものだった。


遠くの沖合に壁のような流氷が目視できる中、島では豊かな花々が草原を咲き乱れ、牛や羊が草を食み、木々は青々とした葉を茂らせていた。


「異質だ」

 フードをかぶり、黒いローブとマントを身に纏った人物は、王宮へと向かう大水路を進むオソに乗り込み、船が水面を滑る様子を眺めながら呟いた。通常、冷えた空気を温めるのには、膨大なエネルギーが必要である。それは魔力であれ、魔科学で用いられる炉や燃料であれだ。世の法則を捻じ曲げるかのように、吸えば肺が凍えるほど寒い空気を、一国にもわたる範囲で温めるなど尋常ではない。

 黒い魔導士風のフードをかぶった人物は船を降り、案内に従って王宮へ足を踏み入れた、最奥に待っていたのは水神を統べる女王。

ウェーブがかったロングの金髪を腰まで伸ばした妙齢の女。女帝サヴェールだ。彼女の瞳は青と白のオッドアイ。男はフードを外し、顔を晒した。短い茶髪に蛇の瞳孔を持つ黄金の瞳。


女帝サヴェールはそれを見て首を少しだけ傾げた。

「話に聞いていた光の戦士とは違うようだが」

「彼女の代理だ。私はハザーという。トラルにて大臣職を預かっているものだ」

「ああ、元連王の――。」

ハザーは表情を歪ませた。

「ご存じか」

「無論だ。しかし、どうして英雄は欠席しておるのだ」

「彼女は妊娠してな。胎の赤子に配慮し、英雄の仕事をさせる訳にはいかない。ゆえに、代わりに私が出向いてきたのだ。私が出るといったら納得してくれたよ」

ハザーはトライヨラで最も優れると言われる魔導士――冒険者としての経験も卓越しており、魔法の腕も一級品だった。自在に万物を黄金へと変える黄金魔術の使い手で、手が触れた物、そして彼が魔眼で視たものを純金へと変化させる。星に並ぶものがないと言われる英雄と比較しても見劣りのしない人間だった。

「星一番と言われる英雄を呼ばねばならない依頼とはなんだ」

ハザーが尋ねると、サヴェールは淡々と返答を返した。「水神を討滅してほしい」と。




 ハザーの世話係に任命された召使は、どこかびくついた様子のフィビーという小型な猫族の男性だった。三毛柄の耳と尾を持ち、腕は確かで作業は繊細だが、気が小さいらしく声をかけるたびに小さく声を上げのけぞる。

「全く、事前に依頼内容が知らされないというのは難儀なものだな」

ハザーは女帝に用意された一室に下がって腕を組んで首を振った。英雄は頼まれごとも多いが、その内容が現地に行かないと分からない仕事もたまにあった。星に並ぶもの無き英雄――彼女に持ち掛けられるのは殆どが国家機密ばかりだ。おいそれと書簡にしたためて郵送できるものではない。その場合呼びつけられて詳細な話を聞くのが一般的であった。

「英雄の扱いというものはこんなものか?彼女を軽んじていると言うほかない」

 だから断ろうと説得したのだ。と腹だたしそうにハザーが吐き捨てる。が、彼女は「星の厄介事を集める」という性質がある。お人よしが過ぎる性格で、打診された仕事の類を断ることがない。驚くことに薬草を積んで来い、だれそれに荷物を届けてこいと言った小間使いのようなことまで引き受けてしまうのだ。

 国家の一大事ときては、英雄である彼女が断る理由が一つもない。国家の危機は強いては世界の危機である。それは彼女が大切に思っている人間たちに災いが降りかかる可能性となり、星に生きる人々の安寧を脅かすことになると。思考が遠大すぎるのだ。彼女の視点は周囲の人間や仲間、自国に留まらず惑星全体を俯瞰するように高い。鳥の目よりも遥か高い位置に座し、神のように広いのだ。

星全体を我が身そのものとし、世界全体の安寧を祈っている……。だからこそ、依頼は断らない。ハザーから見て雇い人にやらせればいいと思う小間使いもだ。

 妊娠した英雄は、出産直前まで動くのは当然だという顔で航路で数日以上の長旅に出ると意気込んでいたのだから止めた。せめて安定期に入るまで待てと。頑固でこうと決めたら「てこ」でも動かない。ハザーが代理で行くと説得してようやく納得した。黄金の魔導士ほどの実力者であれば任せることができると、溜飲を下げた訳だ。

彼女の仲間たちは「行くと言っているのを取り下げるのは珍しい」と評した。頑固を超え頑迷ですらある彼女の意思を覆すためにはトラルの大臣職であるハザーが王に言って休暇を貰い、彼自らが代理となって水神の国に出向くしかなかった。



 英雄を呼び出した温かい極北の国、レトはハザーとっては極めて印象が悪かった。顎で呼びつけ、いきなり「水神を討伐してほしい」と来た。

仕事の内容も詳細は語らずにだ。ただ、「討伐依頼」である。として翌日指定した場所に来るようにと女帝サヴェールはハザーに申し入れた。


「貴兄らの国は水神の力によって温暖な気候を得たのではなかったのか?」

当然の疑問をハザーは述べた。レトはその成り立ちからも、大変に水神が信仰されている。温暖な気候になったのは水龍の恩寵のたまものであり、

「水神が病み、暴走してしまったのだ」そうサヴェールはハザーを連れて王都の郊外に出た。そこには荒々しい爪痕があった。水路が崩壊し、建物は壊れ、道路も大きくえぐれている。道端には花が添えられていた。

「これは、水神が暴走した痕跡だ。正気を失った神は、人を見境なく襲った。大変強大な力だ。我が軍が対処に当たったのだが、この通りだ。我々のみでは、神を下がらせるのがやっとだ。とても、討伐するに及ばない」

このままだと深刻な危機になる。とサヴェールは語った。

「……なるほど。貴兄らの事情は理解したよ」

殆ど直感的に、ハザーは怪しいと疑った。手を触れて魔力の痕跡を確かめると、膨大な水の魔力を扱うと言う水神の力らしきものは全く感じ取れなかった。女帝は水神が病んで破壊したと言っているが、説明したままの事実が起こったわけではない、と。訝しんだ。壁には銃痕が幾つもあった。大砲で破壊した痕もだ。彼らは水神を討伐するため、と説明したが空を飛び回ると言われる水龍が



「これは、一枚裏がありそうだな」

 ハザーは女帝にあてがわれた王宮内の一室にて、椅子に座しフィビーの出した茶や菓子にも手を付けず、長時間考えにふけっていた。偽り、そして裏。愛する英雄に任された依頼に怪しげな暗雲が漂ってきているが、一筋縄ではいかなさそうな事情に彼の口角が上がっていた。

フィビーは、そんな魔導士ハザーを見つつ「えっと……ポル茶はお嫌いでしょうか?」

ポルとは、本来なら温暖な気候でしか栽培できない植物であったが、極北にも関わらず不思議に温かいレトの国ではよく採れる一般的な茶葉である。暖かくなる夏前に収穫して良く干し、乾燥させたものを細かく砕き、湯に通すのだ。

「嫌いではない。だがそうだな。貴兄も共に飲んでくれぬか?」

ハザーは目を細めて、ティーカップに茶をフィビーの分も注ぐように促し、困惑する彼に飲ませる。

「そんな、これは貴人様に飲んでいただくためのもので、決して私共のようなものが飲むものではございません」

「よいから、飲め」

それは決しておいしい茶を飲んでほしいといった心からの気づかいでは決してない。フィビーに飲ませたのは毒見という意味だった。魔術的な異常も感じられず、まさか依頼前に不意打ちを食らわせるのはありえないだろうとは思いつつの、用心である。今回は名目上単独ということで来訪しているものの、配下を二人ほど伴ってきているが、城内で自由に行動させられるわけではなかった。


ハザーは既にレトの国は信頼に値しないと判じていた。その理由は、筋が通らない。視た物と説明で食い違う部分がある。後悔すべき情報を幾つか秘している。それが原因だ。女帝サヴェールは、西方から呼び出した英雄に対してあやしげな仕事を依頼しようとしていた。


此処に来たのが私で良かった。と改めて感じた。英雄殿はお人よしで、疑うことを知らない。まさか、一国の王が英雄を呼び出し裏がある仕事を任せようとは思うまい。


 


 翌日、ハザーが来いと言われた場所に到着する。暖かい不思議なエリアからは外れ、極寒の風吹きすさぶブリザードが吹き荒れる洞穴だった。牧歌的な温暖地帯とは打って変わって、生物の気配が無い。分厚い革を何重にも編んだポンチョでも冷気が足下から這い上ってくる。何か、巨大な生物が穴の中で息遣いをしている気配を感じた。白い息を吐きつつ第三の目で透かして見ると、傷だらけの青い鱗を持つ巨大な龍がとぐろを巻いて横たわっていた。舌を出し、荒く息をついている。弱っているようだった。


ハザーは目を細めた。女帝からの案内人は固唾を飲んで見守っていたが、ハザーが黙って洞穴に足を踏み入れる。蒼い龍――水神は大きく目を見開いた。

「貴兄か、レトの国に伝わる龍神は」

頭をもたげ、警戒するように唸っている。

ハザーは光の英雄と同じく、超える力を有している。その能力は、過去視、そして言葉を解する力だ。どのような存在であれ、意思を発するモノの意図をくみ取ることができる。それは言語が分からなくても、言葉を発さなくてもだ。

その存在は、黙っていた。

「……。」

「全身傷だらけのようだな。戦ったのか?レトの兵隊と」

ただ、黙ってハザーの言葉に耳を傾けていた。が、相変わらず意図や念のようなものすら発さない。警戒と困惑だけだった。

「あるいは、サヴェール女帝とか?」

水龍の目が見開いた。

『私はな、国外から呼び寄せられた魔導士だ。貴兄を討伐せよと依頼を受けたが、どうにも……疑問があってな。念ずるだけでも私には伝わる。事情があるなら、説明せよ』

『あ、貴方は……誰?』

『ハザーだ。西方のトライヨラで大臣職を預かっている。星の英雄の代わりに女帝の依頼を受け代理で参ったのだ』

ハザーは背後を振り返らずに女帝の配下をちらりと目線をやった。

『女帝の兵が来ておるので、念話で意思疎通する。貴兄は……街の破壊を行ったのか?』

『いいえ!そんなこと!』

水龍は身をよじって否定した。

『気づいたらこの姿になっていて……国軍に、襲われたのです。悪しき龍は滅ぼさなければならない。と言って』

『ほう……?』

彼女が言う事によると、人間からいつの間にかこの姿に変わってしまっていたらしい。裏があると踏んでいた通り、この水神をそのまま討伐することは正しいとは言えない。

『誰に変えられたか心当たりはあるか?女帝か』

『分からない……。』


 目を開いた水龍は、身を縮めて丸くなった。お腹が減った。と言って目を伏せた。空腹を感じているが、どうすればいいのか分からないと言う。人の街にも戻れない。ハザーは手を差し出してエーテルを分け与えることにした。幻獣の類であることは間違いなかった。エーテルを吸わせれば間違いが無い。不思議と空腹が収まった、と言い地面に顎を付けて瞼を閉じた。

『わたしの名前はレーヌ。踊り子なの。先生や、妹たちに伝えて』


 さて、とハザーは唇を舐めた。厄介なことになった。星の英雄なら立場上はどの国家にも属さず中立ということで正義を行うにあたり国交という者を考慮する必要が無い。が、仮にもトライヨラ大臣を務める身だ。ここで女帝サヴェールの依頼に異を唱え、真っ向から対立するのは賢いとは言えないだろう。

「ふ、情報齟齬を理由に立ち去っても良いがな。それでは英雄殿の名誉に響く」

なにより、このハザーをこんな下らない嘘のために呼びだしたという事実に少し苛立ちの感情を覚えた。忙しい合間を縫ってわざわざ来てやったのだ。それを人を龍に変えた何か、を殺せと。外来の人物にやらせるようなことか。


『すまないが角か爪を少々貰えないか?お前を討伐したふりをする』

「え……?角……?いいけど』

『演技だがここを潰すぞ、よいか?』

『いいよ。こんな洞穴、いくらでも作れるし』

痛覚が全くないらしい角を魔法を使ってぽきりと折ると、ハザーに渡した。水龍を転移魔法を用いて立ち去らせると、彼はすさまじい魔力を練り上げて、業火と共に龍が潜んでいた氷の穴を焼き払ってしまった。水となって溶けだし、白い煙が上がる。驚愕するお付きに連れられ、レトの王宮に討伐した証左として焼け焦げた角を提出した。


女帝サヴェールは賞賛した。

「よくやった」

礼として金塊が贈られた。ハザーはそれを固辞した。

「無償でやるのが英雄の仕事だ。星に並ぶもの無き勇者は見返りを求めない」


その後、立ち去るふりをして、ジンと同じステルスの魔法――バニシュをかけ城内に潜伏し、サヴェールの出方を伺った。レトの国の星道教の導師――国家の指南役、トライヨラでは大臣に当たる重役を担っている男が、女帝と話していた。


「さて、魔導士は依頼通り討伐しましたね」

年若い女、高位の巫女に当たる少女も連れていた。きらびやかな装飾を纏い美しかったが表情は暗く俯いていた。

「これでレトも安泰でしょう」

「ああ――。これですぐに持ち直すだろう。徐々に下がってきた気温も上がって安定する。常春の国は永久に栄える」


サヴェールは導師の話に相槌を打った。年若い女は目を伏せた。


「しかし、逝った子が哀れで――。」


空間が凍り付くかのようだった。サヴェールは巫女に言った。


「フソカ、大義を取るのだ。哀れなのはわかるが、かの少女の家には謝礼金を支払っている。だが我々の国が亡べという訳にもいくまい。これはその他大勢を活かす、尊い犠牲なのだ。我々はそれを背負って生きていかねばならない」


 ハザーはこの会話で大体何が起こったのか理解した。光の戦士に何をさせられる予定だったのかを。情報は完全ではなく憶測に過ぎないが。この国が暖かいのは、人の命を生贄として捧げる仕組みが必要なのだ。並外れた力と恩恵を得るには、何かを差し出さなくてはならない。対価を。

 水神レトの国では、それがあの龍に変えられた名も無き少女なのだ。ハザーは命令を意図的に無視し、彼女を倒したように見せかけた。この国を温かく保つための犠牲……。

何をするのが最善の策か。生贄の儀を行うにしても、外部からの人間を呼び、事情を伏せた上で殺させようとするのは不誠実だろう。その点を非難し、借りを作り弱みを握った上でトラルに戻るのが良い、と歴戦の策略家であるハザーは判断した。


 後ろめたい秘密を知られてしまっている。しかも一方的に当方へ迷惑をかける形で。これは今後レトと交渉するにも、話をするにも都合がいい。これは外交のカードとして使わない手はないだろう。密偵を放ち、この国を嗅ぎまわれば更に埃が出てきてもおかしくはない。


 人の命を失わせることで、人の住めない北限と言われた国を丸ごと温める術式……。どのようなものであるか興味があった。女帝すら絡んだ国の恥部だ。これは、うまく利用しない手はないだろう。レトは実質我が国に頭が上がらなくなる。さて、どのように苦言を申し入れるか。そう思慮を始めた時に、女帝が話し込んでいる一室へ、ハザーの脇を通り見覚えのある誰かが入ってきた。


「英雄殿っ……!」


 ハザーは目を見開いた。妊娠して1か月も未だに満たない、体に障りの無いように代理として依頼を受けに極北まで遥々出てきたと言うのに、何故か彼女は悠然とこの場に立っていた。驚きは一瞬で、怒りが沸いてきた。どうしてこの場に居るのだ、と。大人しく私の言う事を聞いたのではなかったのか。確かに、私が行くなら安心だと言っていたではないか!

憤りにも似た怒りは僅か数秒で冷えた。嘆息し、ハザーは諦めた。頑固で偏屈な英雄殿は、こうと決めたことをてこでも曲げない。その意思は幾ら黄金王と言えども、世界中の誰にもゆがめることは出来ない。


彼女は来るべきだと思ったからここに参上したのだ。星の英雄――彼女は女帝サヴェールと巫女、そして導師を眺めると口を開いた。


「代理を送ったが、私は依頼を断ったことが無い。不義理と思って来た」

「そうか。よくいらしたな。だが既に依頼は終了した。無駄足を踏ませてすまなかったな」


彼女は少し目を伏せた。


「既に海上で間に合わなくなるだろう連絡は受けていた。それでも戻らなかった。必要があると感じたからだ」


ハザーは姿を現し英雄の隣に立った。彼女の台詞に不穏なものを感じたからだ。常に直截であり、遠慮が無い。感じたままのことを発言する。


「どうして来たのだ。出歩かず安静にしていろと言ったはずだ」

「来なければならないと思って」

「お前を止めるために、わざわざ私が出向いてきたと言うのに……。まぁよい」


やれやれと首を振った。やめろと言って、止まる者なら苦労はしていないのだ。だがハザーはそういった確固たる意図、自我も気に入っていた。すぐ靡く女には興味が持てず、惚れる女はこのような偏屈で頑固な女ばかりだ。


「この国の気温を温暖なものに保つため、生贄を捧げていると聞いた」

英雄――ハザーの婚約者は、歯に物を着せぬ迷いのない物言いでいきなり核心をついた。そうするのではないかと、薄々予想がついていたのだ。思わず手で頭を押さえる。その生贄こそが、先ほどレーヌと名乗った……龍に変えられた人間の女なのだろう。

「清らかな女を変化させ、強い力で砕くことで命のエーテルを霧散させる。その力を還元し国家を温かく保っていると」


サヴェールの表情は、果たして殆ど変わらなかった。少し眉を歪めはすれど、さほど動じず英雄の顔を見守って居る。無表情に近かったが、すごみがあった。女帝はただ一言呟いた。


「それが、なんだ」と。


「英雄、貴公は温暖な気候を得る前の我が国民がいかにして北限地域で生きてきたかご存じか。一年中凍り付き、冬が季節の半分以上を占める。雪解けは夏の僅かな期間だけ。作物も、殆ど期待できない。寒さは厳しい。しかし、生きる土地が無かった。ガレアン人と同じく、我々は敗北者。大陸を追われ――この島に流れ着いた。苦しみに耐え、飢え、凍えて死んでいった」

「だから、犠牲にするのか」

「その通りだ。家族の了承も取っている。尊い礎になることを了承してくれた。これだけで、数年は暮らせる」


命を絞り尽くしてエーテルを貸し、温暖な気候に保つ大魔術。ハザーはレト王都に張り巡らされた水路を思い出した。それは複雑で入り組んでおり、魔術的な彫り物も多数されていた。


「本人の確認は、取っていないだろう」

「知らせると魔法が発動しない。迷い、逡巡、覚悟、そのような感情を持つと効果をなさない。純朴で穢れの無い心こそが奇跡を生む」

「泣いていた……。」


 突然攻撃され、慌てて逃げ延びてきたのだ。信頼していた自国の軍に。どれほど辛く、苦しいことだっただろうか。しかし、その魔法で、儀式でその他の国民が救われると言うのならば、若い乙女は犠牲になってしかるべきだと言うのだろうか。

ハザーは思った。我が愛しの想い人、英雄殿は……取捨選択というものをおおよそできない人間だ。こちらの方が、利が多いので他を捨て、犠牲を黙認すると言うことがおおよそできない。

喪われようとする命があるならば、必ず手を伸ばす。それがどんなものでもだ。


「だが、それはキリが無く犠牲を積み重ねていく。生贄……それは歪んだ仕組みの在り方だ」


 英雄の言葉は静かながらも、力強かった。若い女ながらも覇気に満ち、どこにも油断が無い。神を屠り、もてあますほどの強大な力を持つ彼女に一切の怯みもためらいも無かった。自信に満ちた蒼い瞳はまっすぐに女帝を見据えていた。


「私は、国民を守らなくてはならない」


 断固とした口調で、女帝は呟いた。彼女はゆっくりと王座から立ち上がる。壁に掲げられた無数の剣がうごめき、飛び上がった。振動し円状に女帝の周りを囲った。冴え冴えとした氷を纏った銀の剣だ。ハザーは一目で、それが尋常ではない魔力を秘めているのが分かった。大魔導士の大技に匹敵するそれである。


 剣呑とした気配に、ハザーは英雄の前にゆっくりと進み出た。金の指輪がはまった手を構える。彼女は守ってもらう必要が無い、と言った顔で瞬きをする。実際その通りだ。彼女は私よりも遥かに強い。黄金の魔道士と謳われた私を下した彼女の魔法と剣技。卓越しており並ぶものが無い。だが、彼女は妊婦なのである。


「不服そうな顔をしているな?これだから、私が出てきたのだ。お前は平気で戦闘をしようとするとな。下がっていろ」


英雄はしぶしぶと言った様子で下がった。

ハザーは目を細めて英雄を見やり、女帝と向きあってその剣を眺めるなり表情を歪めた。


「貴兄、それは蛮神だな?我が創造主殿が理想を追い求めた末の残滓……英雄の目を逃れ、残っておったとは」


この国を暖かく維持している仕組みそのものこそが、禁呪とされた蛮神召喚に頼ったものだったのだ。蛮神は、大地のエーテルを吸い上げ侵す。吸ったエーテルは呪術で補填しているようだが限界がある。使ってはならない禁術なのである。この英雄も、各地の蛮神を討伐し数多に屠って生きた。


「私は民に変わらぬ平穏を約束せねばならない。我が手を汚しても、非道と謗られてもだ。どうか国情には口を出さず、お帰りいただけぬか」

「ほぉ?偽りを口にし我々を計略に嵌めようとしたのはそちらだろう。無辜の民を殺戮させようとな。貴兄は、己が被害者だとでも言うのかな」


女帝は黙った。その顔は、無表情であった。だた、空中で回転する剣の温度は低くなっていく。ハザーは嘆息した。


「他国の国政に干渉する気はない。一見非道に思える生贄も、それで何万の民を活かすのならばやむをえない面はあるだろう」

ハザーは破顔した。

「だが私は英雄の代行者だ。多を活かすと言う名目であっても……生贄を用い他の人間を犠牲にするのは許せぬと。我が英雄殿は、そのようにお考えだ」


手を掲げ、金色の光を体に纏わせた。金色の瞳が、燃えていた。


「蛮神を頼るのも、環境を破壊する。この星にとっても著しく危険な行為だ。さて、ここで貴兄を見過ごしたところで、後の憂いになることは間違いない。遥か遠方の我が国には、この土地のエーテルが枯れたところで影響のないことやもしれぬが……ここはひとつ、英雄殿に倣い惑星を守護するという大きな視点にて考えてみよう」

サヴェールは、顔をしかめた。

「後悔することになるだろう。貴公は……残念ながら事故に遭い、帰らぬ人となったと。レトの外は、永久の凍土。人の住むことが叶わぬ極北だ。生物はたちまち血まで凍りつく」


王宮の気温が異常に下がり始めた。導師、巫女と思わしき少女はいつの間にか姿を消し避難していた。壁が凍りつき凍結でガラスがひび割れた。


「この剣は、極寒を封じている。本来ならばレトを骨まで冷やすはずの寒風をな」



 北限地域――。温暖な気候となり草木がなびき、年中通して家畜が放牧されて牧草を食む光景などありえないものだ。ありえないものを、魔術で捻じ曲げて可能としている。純粋な少女の命を犠牲にすることで極寒の寒さを剣に封じているのだ。尋常ではない冷気が王宮を覆っていた。ハザーは無論炎の魔法も操れる。対抗して温度を上昇させねば、たちまち凍り付いてしまうだろう。



「警告するのはこちらの方だ、女帝サヴェール。この方法は……私の目からしても、永続性があるとは思えない。この魔術に拘泥すれば、いずれはこの土地のエーテルは枯渇し不毛な死の土地となるだろう。何故貴兄らは、この土地に拘った。本来ならば作物も出来ぬ土地に。貴兄らは、極北に留まらず南下する手もあったはずだ」


サヴェールの目が輝いた。


「そこには我が土地はない。この地こそ、先祖代々から賜った伝統ある地なのだ」

「成る程な。環境の厳しさを理由に……他の国に入るつもりはないと。それが貴兄らの誇りか」


ハザーは笑った。口元の端を吊り上げ笑顔を作った。


「だが永続せずいつか終わる国なら、今日終わっても不思議ではないだろうな?」

「……。」


 サヴェールは手をハザーにむけ、回転する冷気をまとった剣を振り下ろした。蓄積された氷点下を下回る極寒が放出される。吐いた息が、目が、喉の粘膜が、見る間に凍結する恐ろしい魔術だった。常人では、刃を避けられたとても無事ではすまない。だがハザーは指を鳴らすと小型の太陽を召喚した。暖かく燃える火が、周囲の気温を上げ氷を溶かしていた。


「くくく。レトは、いずれ現実と向き合うことになる」


ハザーは壁に手をつけた。凍りついた壁が魔力により光輝き黄金となる。金となった壁が伸縮し、形を成す。巨大な天使が現れ、翼をはためかせた。黄金で形作られた使い魔はサヴェールに飛びかかった。


だが瞬時に絶対零度の凍結魔法で使い魔の動きが止まった。


「ほう?」


 黄金は魔法の類が殆ど効かない性質がある。風の切り裂く刃も通さず、電気も無効。火炎も黄金を溶かすほどの超高温でなければ用をなさず、氷の魔法を行使したところで温度を下げても純金に影響を与えられない。そのはずだった。だが度を越した低温で使い魔の動きが鈍くなっていた。絶対零度にほど近い寒さが分子運動の動きさえも止め、すべての物質の動きを制止させているのだ。


 天井にできた無数の氷柱が矢のように降り注いでくる。ハザーは黄金魔術を行使し、巨大な盾を創り出すと全て防いだ。手の中で黄金の長剣を作りだし、切りかかる。

魔力で身体強化された一撃にサヴェールが怯むが、こちらも冷気を発する氷の剣で受け止めた。隙を見てハザーが炎弾を撃ち込み、女帝はなんとかかわした。


「分からぬか?貴兄では私には勝てぬ」


 まだ本気も出していない。相手の実力を測る――小手調べもいい所だ。中々の実力者ではあるようだが、太古から生きる魔導士の前に立てるだけの強者ではないようだった。気温の低さは目を見張るべきところがあるが、それだけだった。温度を上昇させ、対抗する術さえ用意すれば大した相手ではないとハザーは感じた。

久方ぶりの戦いに少々高ぶりを感じ興じつつも、ここまでだと判断した。召喚した太陽の熱を高め、一気に氷解させる。凍結した壁や床が小型太陽の熱に耐えられず煙を発し溶け、蒸発していく。


サヴェールは目を閉じ、氷の剣を砕いた。かつてない冷気が吹き込み、全てを凍結させる。顕現した蛮神、光でできた蒼い龍がうなり、ハザーを見おろし口を広げ牙を見せていた。その口内から、白い光が収縮する。高密度のブレスを放とうとしていた。


 ハザーは口角を上げつつ手をかざした。純粋な魔力の光球――力そのものをぶつけ龍ごと吹き飛ばそうとしていた。

その時だった。日がかげり、巨大な影があっという間に飛来し、今まさに激突しようとする二人の間に割って入った。青い翼を持つ龍――もとい、生贄となり、エーテルとなって還元されるはずだった少女。変身させられた踊り子である。それはためらわず、高密度の氷のブレスと、力の光球に飛び込んできた。


「――っ!」


とっさのことで、反応が遅れた。着弾する直前に飛び込んで、二つの力がぶつかり、閃光がきらめく。強烈なエーテルに晒された彼女は、ひとたまりもなく。レーヌの体は強大な力に晒され、魔力に焼かれそのエーテルは分解されようとしていた。


英雄が飛び込んできて二つの力を弾き、消滅させる。人型に姿が戻ったレーヌを救い出して地面に着地するが、彼女は虫の息だった。体が輝き、エーテルとなって散ろうとしていた。


「どうして!」

英雄は問うた。レーヌは微笑んだ。

「いいの、これで。私が犠牲になることで、この国は温かく暮らせる」

「生贄を捧げることで維持する国なんて、間違っている。それは続かないやり方だ」

「皆のために、なりたかったから……。」


それだけ言うと、レーヌの姿が完全に散って光をなって消えてしまった。砕かれたエーテルは、速やかに空へと昇り、レト全体に張り巡らされた魔法的仕掛けの中に吸い込まれ、国内に一層暖かい空気が吹きこんだ。春先を思わせるうららかな風が窓から吹き込み、ハザーや英雄、サヴェールの頬を撫で、流れていく。


極北にある常春の国、その様相はいつもと変わらず、平和そのものの光景がそこにあった。







―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――



「なんだ。英雄殿、あまり納得のいかない顔をしているな?」

レトから出る船便に乗り込んだハザーは、珍しくも考え込んでしまった英雄を見て少し茶化した。

「ハザー」

英雄は少し怒っているようだ。目を吊り上げて腕を組む。

「すまない、つい。お前がそんな顔をしているのが珍しかったものでな」

ハザーは非礼を詫び、遠のいていく常春の島に目をやった。ある程度レトから距離が離れると、嘘のように猛吹雪が戻ってきた。甲板が凍結し、猛烈な風に肺まで凍りそうになる。あの国は、ついに独自の儀式を妨害をされることなく完遂することができた。女帝の言うように、後数年は安泰なのだろう。自分だったらどうするだろうと少し考えた。若い少女を生贄とし、穏やかな気候を保つ国家――。その在り方は歪んでいると感じた。

「お前の思うようにいかないなど珍しいな。世界の英雄と言えども、常に成功を収めるとは限らないか」

「そんなの、当たり前だろう」と英雄は嘆息する。

「私は、未熟者なのだ。力はあるが、人生経験は浅い。ままならないことも無数にある。私が、何でもできると思ったら困る」

「今回の結末は、私にも少し予想外だった」



 生贄とされた少女が、闘いの最中に力が激突する点に自ずから身を投げ、命を捧げる選択を取るとは。あれだけ殺されるのが怖いと言っていた少女なのに。心変わりをしたのだろう。己の役割を決意し、命を散らすことを選んでしまったのだ。

それを勇気というのか、自己犠牲というのか、思いやりとでもいうのか。まさか、魔力がぶつかり合う奔流に飛び込んでくるとは思わず。彼女の行為には複雑な感傷を抱かされた。

過去、仲間を守るために身を投げた同胞に姿が重なるのだ。


 国民の一人を犠牲にすれば、他を活かせる。そんなことをしなければ生きていけない土地に拘泥するべきではない。数年で1人、百年も経てば数十人が犠牲になる。そのような方法に頼ること自体、支配者の力量不足なのだ。

どうあれ、儀式は成功した。そうなっては英雄の干渉する意義も無くなり、あの国はあのように存続していくだろう。

しかし、ハザーは見た。国内に張り巡らされていた魔法陣にはほころびがあった。暖かく保つ大魔術の出力は強大だ。その魔法陣のメンテナンスは並大抵の手間ではない。あのようにあるがままの自然を大きく捻じ曲げることは、大地自体が……受け入れられなくなるだろうと。


かりそめの平和は、破綻するだろう。無論そのことはあの国の人間には話さずに出た。


薄氷の上に立つ危うい希望。そのことを知ったとしてもなお、かの国は常春の世を求め続けるのだ。

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青い龍と常春の国 @Mirin665

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