惚れ薬騒動

そうなんです!!

両片思い(?)と惚れ薬

 髪が揺れる。湿気で重たそうにゆらゆらと。

 黒曜石のように、黒く光る、その瞳。視線の先はただ床一点。

 鍛え上げられた身体はがっちりとしているというより、引き締まっていて、華奢であるようにも見える。


 まだ夜など明けていない、深夜2時。


「メイ、ちょっといい?」


 その黒髪の少女の声が木霊する。

 整った顔立ちと、すらっとしたボディライン。誰もが見惚れるであろう、その表情は珍しくもか曇っていた。


 大理石でできたその部屋は独特な冷ややかさに包まれていて、水気を多く含んだ空気は物理的にも重い。


「どうしたんですか?クロエさん」


 そうボソッと儚げに呟いたのはピンク色の髪にあどけない童顔が、未熟さを醸し出している少女―メイ。小柄な体つきから年齢はまだ十五ほどだろうか。

 真っ白なナース服は髪色を引き立たせていて、まるで白昼夢のような非現実さ。クロエというのは黒髪の少女のことだろう。


「あの…ちょっと協力して欲しいのだけど…」

「はい!私にできることなら何でも!」


 快く引き受けるメイにクロエの口元は少しだけ綻んだ。


「ありがと…メイ」

「それでどんなご要件ですか?」

「その…言い難いのだけど…」

「どんなことでも、やりますから!そこは気にしないで言ってください!」


 一見、ただの可愛らしい無邪気そうな少女のセリフ。しかしナース服を着た彼女は、危なっかしさを持っているような不気味さを発していた。


「わかったわ。こっちも気を遣うつもりはないの」

「そうですか。それはありがたい限りです」


 この雰囲気とは似つかわしくない、無邪気な笑顔。歯を見せるように笑う顔は、年頃の女の子という感じだ。


「私がお願いしたいのは、惚れ薬よ」

「惚れ薬、ですか?どうしてそんなもの…」

「恋をしたの。どうせ一時の感情だけど、居ても立ってもいられなくて」


 クロエは顔を朱に染めた。想い人のことを想像しているのかもしれない。惚れ薬なんかに頼らなくても…という言葉を発するには重たい空気でメイは少しだけ考え込む。


「そうですか。それなら作って差し上げます。一月ほどお待ち下さい」


 ナース服の少女―メイ、は断る素振りを、見せることはなく。

 彼女の手にかかれば惚れ薬なんてものは作ろうとしたら、いつでも作れるものなのだ。それは組織が用意してくれる設備や材料のおかげなだけじゃなくて、彼女の実力にもある。


 薬学の成績はこの施設の中で飛び抜けて高いし、新薬の開発など幅広い仕事を請け負っている。


「引き受けてくれるのね」

「もちろんです。その代わり、私にも少し分けて下さりませんか?」


 クロエは少しだけ顔を引きつらせた。

 それは独占欲か、それとも恋情か。

 恋をする乙女の性格が変わるのは言うまでもないことなのかもしれない。


「メイは何かに使うの?」

「はい。私にも叶えたい恋がございまして」

「そう。別に構わないわ」

「ありがとうございます」


 ペコリと丁寧に頭を下げ、奥の大理石の部屋にナース服の少女は戻っていった。


 *


 1ヶ月後。


 大理石のあの部屋に一人で向かう。床にはカタカタと歩く音だけが響く。


「完成した?」


 黒髪の少女―クロエがそう問いかける。


「はい!こちらでよろしいでしょうか」


 ナース服の少女は小瓶に入った桃色の液体をコトコトと揺らす。


「ありがと」

「はい!」


 感謝の言葉がよほど嬉しかったのか、メイは破顔した。


「私の分はもう分けてありますので、こちらは全て差し上げます」


 クロエは小瓶を受け取り、少女が持つもう一つの小瓶に目を向ける。彼女の分前ということだろう。


「あなたは誰に使うの?」


 クロエはゆっくりと言葉を発した。


「それは申し上げることはできません。恋とはそういうものです。もし軽々しく声にできるのであれば、惚れ薬なんてものは必要ないでしょう」

「それもそうね」


 世間一般的には惚れ薬など、ただの願掛けにすぎない。

 でもそうはならないのはふざけたようなメイが飛び抜けた能力を持っているからだろう。成功させたのだ。メイは惚れ薬を生み出すことに。


「納得していただけて何よりです」

「じゃあ私は戻るわ。報酬とかは決めてなかったから、何か欲しいものとかあったら言って頂戴」

「報酬なんて恐れ多いです。貴方様のために惚れ薬を作れたことが何よりも幸せなのです」

「そう…。なんか照れるわ…。それと、聞き忘れていたけど、使い方とかってあるの?」

「特別なことは要りません。望みの相手に飲ませるか相手にかけるだけで効果があります」

「かけるだけでいいって、随分便利なのね」

「はい。我が組織の力は偉大ですから」

「あなたの能力も素晴らしいわ」

「光栄です」


 メイはナース服をパタパタと伸ばして身だしなみを整え、律儀にペコリと頭を下げた。


「じゃあこれは貰っていくわ。」

「はい」


 クロエは、カタカタと靴の音を立てて真っ暗な廊下に消えていった。


 *


 数日後。


「どうしたんですか?急に」


 燦々と照らすお日様の下、街の待ち合わせスポットで不思議そうな表情をするメイ。

 外出をするときにナース服で来ることはどうなのだと思うかもしれないが、それが彼女なのだ。変わった所はあるけれど、仕事は完璧にこなすから文句を言う人など誰もいない。


「ちょっとお礼をしようと思ってね…」


 クロエは、いわゆる外行きの格好、黒を基調としたロングスカートを着ている。


「そうですか!そこまで望んではいなかったのに…」

「私と一緒は嫌?」

「いえいえ!むしろ嬉しかったです!」

「そう…。じゃあ行きましょう」

「はい!」


 柔らかく微笑むメイ。

 変わったくらいがちょうどいい―とまではいかないけれどもナース服の割には目立っていない。

 それの良し悪しは別として。


 そんなメイの手をクロエが握る。


「クッ、クロエさん?どうして…」

「いいでしょ?メイ」

「構いませんけど…」


 紅潮させた頬を反対の手で冷ましたメイ。足をジタバタとされて、落ち着きがない様子が見てわかる。


 ふぅと一呼吸置くメイ。


「なんで外出をするのに、その服装なの…?」

「うーん。着慣れているからですね…」

「そう」


 クロエもこの件に関しては理解不能だったようで、メイの服装から目をそらした。


「クロエさん。今日はどちらに?」

「そうね…。お買い物とか、かしら」

「お買い物、いいですね!」


 黒い服のクロエと真っ白なナース服を着たメイのコントラストは街の人混みの中に消えていった。


 *


「良かったんですか?こんなに買っていただいて…」

「お礼だから構わないわ」


 空いている椅子にたくさんの紙袋を積むメイ。ふたりはカフェに来ていた。

 テラスにある丸いテーブルを二人で隔て、向かい合っている。


「ありがとうございます!」


 薬剤師としてのメイの給料よりも、やはり実地で命を懸けて戦うクロエの方が実入りがいい。

 気前がいいのはそのためなのか、それとも…。


「クロエさんは、その…この前の薬を誰かに使いましたか?」


 恐る恐るそう聞くメイ。

 不安からか目は僅かに潤んでいるようにも見える。


「うんん。これから」


 妖しい笑みを浮かべるクロエ。


「えっ。どういうことです…えっ」


 クロエはカバンから、例の薬が入った瓶を取り出した。そしてカフェのイスから立ち上がって、メイの手首を掴む。


「私はずっと、あなたのことが好きだった。欺いて…だから…その…ごめんなさいね」

「えっ」

「身勝手なのは十分承知してるわ。でも恋っていうのはそういうもの。分かってほしいのだけど…」


 ポンっと瓶の口に詰まっていたコルクを取る。コルクはコロンと転がって地面をなぞる。


「嬉しいです!」


 そんな状況にも関わらず、ニコッと満面の笑みを浮かべるメイ。


「貴方。どうかしてるわ」

「そうですか?」

「なんで抵抗しないのよ…。いっそのこと暴れまわってくてたほうが、私の良心は傷まないのよ…」


 クロエのメイを握っていた手の力が緩まる。罪悪感からかクロエの瞳は潤んで、光沢を帯びている。


「私の思いも聞いてほしいです。クロエさん」

「うん。むしろ聞かせてほしいわ」

「実はクロエさんに渡したその薬は危険なものです」

「そんなの知ってるわ。相手を自分の手中に収めるようなものだもの」

「そうじゃないんです。一回だけ貸してもらえませんか?」

「いいけど…」


 メイはクロエから瓶を受け取ると、道端に落ちていた石を拾う。


「ちょっと、何をするの…?」

「まぁ見てて下さい」


 液体の入った瓶を横に傾け、石にポタンと一滴垂らす。

 するとシュワーっとまるで炭酸のように、溶けていく石。


「これを見てわかりますか」


 メイのナース服がひらりと揺れる。それは風のせいかそれとも何かの魔法か。

 溶けていく石とナース服とカフェは似ても似つかない。けどクロエはその不気味さも、ちょっとだけいいなと思った。


「そんなものを人にかけたら危ないじゃない!」

「要するに悪いのは私で、クロエさんが罪悪感を持つ必要はないってことです」

「私を…騙したってこと…。なんで?」


 言葉を発するのが限界な様子で、動揺を隠せないクロエ。


「クロエさんが”私以外の”人と付き合うなんて御免だと思ったんですぅ!察してくださいよ…」


 訴えかけるようなメイの様子に、クロエは漸く真実にたどり着く。


 メイが惚れ薬ではなく殺傷能力を持つ別の薬を用意した理由を。

 メイの今までの表情の全てを。


「なんで…そんなこと…」

「クロエさんが好きになった人を私が許せる訳無いじゃないですか!」


 ただの醜い嫉妬のようにも見えるかもしれない。

 けれどもメイは誰よりもクロエのことを想っていた。

 クロエが命を懸けて戦ってきた帰りには何時だろうと待っていたし、窓越しにケガがないことを知ると安心して眠れた。


「そんなことって…。絶対に叶わないと思っていたのに…」

「それは私もです!私のほうがずっとクロエさんのことが好きなんですから」

「もう…」


 クロエはメイの肩を掴みそっと抱き寄せたのだった。

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