エナドリ50円引きのクーポン

 眠れなくなった。

 理由は明らかだった。間違いなく、カフェインのせいだ。朝食と共に紅茶を飲んで、日中は大学でキリンのワンデイブラックを飲んで、家に帰ってエナドリを飲んでいたら、全く眠れなくなった。当たり前だ。右足出して左足出すと歩ける以上に当たり前だ。あの人たち今何してんだろ。

 それで、仕方がないので眠れないまま大学に向かうと、人間としてのリミッターと退屈な講義からの逃避が合わさって眠ってしまう。眠ってしまうと、授業を聞き逃す。これでは流石に単位が取れない。それで困ってしまったので、睡眠外来を訪ねてみた。

 待合室は居心地の良い空間である事が多い。病院やクリニックは、訪れる動機そのものが病気だとか怪我だとかのマイナスなものがほとんどだから、少しでも患者をリラックスさせる為に、最近はそうなっているらしい。

しかもここはいわゆる「クリニック」らしく、小綺麗な白の壁紙に焦茶色のカウンターの木目が映える待合室で、空いたスペースには観葉植物、パステルカラーの座面張りがされた椅子の骨組みも木造りと、いかにも有機的な印象を受ける。なるほど確かに、ジャミロクワイが出ていたカップヌードルのCMみたいに真っ白な部屋が待合室だったら、どんなにか居心地の悪いことだろう。

「矢場葉子さんね。普段はどれ位飲まれます?」

 カフェインが含まれる物を、というのを言外に、先生がにこやかに聞いた。

 こういうクリニックの先生は、たいてい極力患者を刺激しないような振る舞いをする。何がきっかけで患者が心を閉ざしてしまうか分からないから、極力そうならないようにする。声は落ち着いたトーンで、患者の話を引き出して、どれだけどもっても、また質問の返答に窮しても嫌な顔一つしない。そうして、患者との信頼を築いていく。ラポールと言う奴だ。そう、何かの本で読んだ。その癖が、ただの頭痛外来でも出ているのだと思う。半端な接客業よりもよっぽど神経をすり減らす職だろうと思って、それを見る度に感服してしまう。

「えっと、朝起きて、朝ご飯の時にだいたいコーヒーか紅茶かを二杯くらい飲んで」

「コーヒーか紅茶を、二杯」

先生が復唱した。バックトラッキングだ、と思った。

「そのあとは昼らへんに講義があると、それに合わせてペットボトルでコーヒー買って」

「コーヒー。ペットボトルって言うと、五百ミリの奴ですか?」

「そうです」

「他にも何か飲むことある?」

「あとは夜にネットの友達と遊ぶときとかは、だいたいエナドリ飲んでます」

「エナジードリンク」

 先生はまた復唱すると、何かをパソコンに打ち込んで、それからひと呼吸置いて、「どれか一つを減らす所から初めてみましょう」と言った。


 矢場さんの歳だと、一日あたりのカフェインの摂取量はだいたい400ミリグラムが限度だっていう風に決まってるんです。これは厚労省が出してる量なんですけどね。ああ、そうだ。答えたくなかったらいいんだけど、矢場さん、妊娠とか、もしくはしてるかもしれないっていう心当たりとかはある?問診票にもあったと思うけど、一応。無い。じゃあ、大丈夫。400ですね。コーヒーをマグカップでだいたい三杯分。それを限度にして、だんだん飲む量を減らしていきましょう。まずは今言ってもらった中から一つ止めてみるんです。カフェインも一気に止めると頭痛くなったりとかしちゃいますからね。ちょっとずつ、減らしていきましょう。


 それが、だいたい三ヶ月前の事だ。あの後、ロゼレムと言うらしい睡眠導入剤を処方された。継続して飲むことに意味があるそうだ。ついでに、併発していた目眩と肩こりの為に筋弛緩剤としてミオナールとデパスも処方された。期待する効果が違うが、晴れてデパスデビューである。ついでに、「具体的な薬の名前を出してみる仕草」デビューでもある。

これらのお陰で多少は眠れるようになったが、今度は薬の効果が残っているのか日中もずっと眠い。結果が変わっていない。それで、大学の講義を丸一日分すっぽかしたのをきっかけに飲むのを止めてしまった。あれ以来、外来にも行っていなければ、カフェインの摂取量を減らすこともできていない。ただ、あの先生美人だったな、ということだけ覚えている。


 私がコーヒーを飲み出したのはいつだっただろうか、と考えてみた。

 飲んだくれの父が酒に金を注いでいたのに対抗するように、私の母はコーヒーと紅茶に熱心になった。母はコーヒーよりも紅茶の方が好みなようで、私はその逆だった。

 父が酔って物置の扉に穴を開けた次の日、母は初めて私にハーブティーを作ってくれた。カモミールとかローズマリーとか、そんな名前を聞いた気がする。それから、母が豆のまま買ってきたコーヒーを挽くためのミルを買ってきたのは、父が別居という判断のもと実家に引き取られて行ってからそう日の経たない頃だったように思う。あれは確か、私が小学三年生くらいの頃だっただろうか。

 とにかくその頃から、私はコーヒーを飲むようになった。小四の夏に中学受験に向けて塾に入ると、それに合わせて飲む量も増えたように思う。

エナジードリンクというのを初めて飲んだのもその頃だ。塾に行く途中の自動販売機に売られていたモンスターエナジーを、何か悪いことをするような気持ちで買った覚えがある。ところが、他のジュースやお茶より一回り値段の高いそれを取り出してまじまじと見つめてみると、不意に三本の爪痕のロゴが自分には相応しく無いように思えた。そうして、子供がエナジードリンクを飲んでいるのを見られたら怒られるのではないかと思い至った。そんな訳もないし、第一あたりは人通りが多いわけでもなかったのに、そう思った途端とても恐ろしくなって、その場で一気に飲み干して裏手のゴミ箱に缶を捨てて、小走りで立ち去った。

 あのあと頭痛で禄に授業が受けられなかったのは、今思うと急性カフェイン中毒の一歩手前だったのだと思う。コーヒーを飲んだときのような感動は無かった。人工甘味料の独特に平板な味と、そのままならなさだけを覚えている。なにか、雰囲気とか、あるいは詩情と呼べば良いのか、そういうものが欠如していた。

 この頃の私を突き動かしていたのは、背伸びをする心、粋がりたいという心だった。同学年の子供たちが、皆なんだか自分よりも大人びて見えて、そうして自分だけがその場で足踏みしているような心地がした。そんな不安を撥ね除ける為に、ムキになっていたのかもしれない。そうして、もしかしたら、今もムキになったままかもしれない。しかし、それでブラックコーヒーなんか飲んでいるんだとしたら、それこそお笑いだ。だから、それだけは絶対に認めてはならない。私は確かに初めてコーヒーを飲んで、霹靂を覚えた。


 だいたいの小学校は、小学四年生の春から部活動が解禁になる。それで、夏がオンシーズンの水泳部なんかに先んじて活動が始まる野球部に早々に所属していった同学年の子たちを、私は羨望と憧憬を交えた目で見つめていた。この頃には母は働いていたから、私は学校の学童に残ってその帰りを待たなければいけなかった。そういうとき、だいたい私はグラウンドの方まで出て行って、野球部の練習に勤しむ彼ら彼女らを見て、私の運動音痴を呪った。

 私が特に憧れていたのが、当時は一つ隣のクラスにいたナオという子だった。どんな名字なのかも、どんな字を書くのかも今となっては覚えていないが、とにかくナオちゃんと呼ばれていたのは記憶している。

 彼女を初めて見た時──おそらく低学年の頃に同じクラスだったこともあると思うが、しかしもっと本質的に彼女を初めて見た時──は、ただただ美しいと思った。砂の土台の上に成り立つ美に戦いた。

 その日はちょうど他校の野球部が練習試合に来ていて、皆いつもの蛍光色のビブスでは無く、きちんと仕立てられたユニフォームに身を包んでいた。その中で、淡く光を放っていたのが彼女だった。色白な肌の上に青いユニフォームが映えて、その下には、アームカバーや関節のサポーターを兼ねているのか、黒いインナーを着ている。それが細い四肢をより一層目立たせた。そうして、それを着た彼女が走り、ボールを投げ、それで起きた土煙がユニフォームやインナーを汚すと、そのたびにそれがかえって彼女の色白なのを際立たせて、それがエロティックにさえも見えた。

 次にナオちゃんの話を聞いたのは、塾での事だった。塾の同じクラスの子たちが話している中でその名前を聞いたのだ。何故彼らの会話の中に彼女の名前が出たのか、詳しくはよく知らないが、ナオちゃんが文武を兼ね備えた才女であるらしいことは、漏れ聞こえてくる、彼女が目指しているらしい中学校の名前を聞けば分かった。それで、ますます好きになった。


 五年生になり、クラス替えが行われた。クラス替えとは名ばかりで、どうやら私の学年は人数が少ないようで、二クラスに分けるのは非効率だと判断されたのか、学年の全員が一クラスに統一された。つまり、私とナオちゃんは同じクラスになったのである。

 私たちは、ある程度以上には親密だったと思う。小学校の高学年になると漂ってくる、「中学受験組の連帯感」のようなものも作用したのだろう。ナオちゃんは相変わらず色白で、受験の為にいつの間にか野球部は辞めてしまっていたが、それでも体育の授業では抜群の身体能力を発揮して見せた。そうして、私の前で完璧な三点倒立をしてみせたあと、彼女が逆さの、頭に血が上って少し赤らんだ顔で私にはにかんだのを見ると、その頬にできたえくぼに散るそばかすさえ愛おしく思えた。

 恋だったのだと思う。断言して、あれがまさしく、嘘偽りのない恋だったのだと思う。

 だからこそ、私が出来が悪かったと思っていたテストでナオちゃんより上の点を取ったとき、もしくは、珍しく学童に来ていたナオちゃんが帰り際、泣きながら母親に「もう塾に行きたくない」と駄々をこねているのを見たとき、何か見てはいけない物を見てしまったような、失望のような、そうして彼女に失望のような物を覚えている自分に対する失望さえも覚えて、激しい頭痛がした。それで、それ以来、その恋心のようなものはすっかり消えてしまった。



 二限が終わると火曜日は暇だった。相変わらず不眠は治っていないが、大学受験を経て基礎体力が下がったのが功を奏したのかなんなのか、疲れて帰った日は何を飲もうがぐっすりと眠れた。そうしてぐっすりと眠った次の日がこんな暇な日だと、これが大学生の開放感かと実感せずにはいられなかった。受験の抑圧が小学校以来実に六年ぶりだったことを考えると、そこからの開放のカタルシスもひとしおだ。中高一貫校に入ると、高校受験という物を経ない代わりに、大学受験という巨大な雲が六年の歳月をかけてじりじりと地上に降りてくる。

 私は軽い足取りで、本当に何気なく、趣味の一人カラオケに向かった。これがいけなかった。

 飲み放題付きのフリータイムで部屋に入ると、ドリンクメニューにポップ体で書かれた「ドデカサイズ」に目がとまった。ドリンクを注文する際に「ドデカサイズで」と言えば、普段のドリンクがジョッキで提供されるようだ。

サビで店員が入ってくるカラオケほど興ざめな物も無い。枕草子にだってそう書かれている。とにかく、大きなサイズでドリンクを頼めば、それだけ次の注文をするまでの間が開く。するとつまり、店員が入ってくる頻度も少なくなる! なんたる僥倖!

 思うが早いか、私は部屋の受話器を取ると、「アイスコーヒー一つ、ドデカサイズで」と注文した。そうしてカラオケを楽しんで、喉がかすれそうになっては再注文してと、三度ほど繰り返したはずだ。

 一般的な中ジョッキのサイズは概ね350から500ミリリットルだ。少なく見積もっても一リットル近くはコーヒーをがぶ飲みした訳である。だとすれば、バッドトリップに似た体験をするのも道理と言えば道理だろう。

 歌い始めて一時間もした辺りで、急激に頭が痛くなった。あの頭痛だ、と思った。

 途端に、頭痛で苦しむ自分と、それを浮いた視点でほらコーヒー飲みすぎたから、と諫める自分に分離する。メトロノームと指揮棒が全ての楽器を支配するように、カフェインで加速された拍動が精神を置き去りに思考と行動だけを加速させて行く。これではだめだと思って、上着を掴み、伝票をひったくってカラオケの部屋をあとにする。頭が痛い。フリータイムが勿体ない。

 それで、どうにか平静を取り戻すために、楽しみにしていたゲームの開発者インタビューでも聞き流して帰ろうと思った。これがとどめになった。

「これは百合ゲーですからね、ストーリーに男は出てきません」

 ディレクターらしき眼鏡の男が軽薄そうに言って、それで平静は失われてしまった。

 父が実家に行って、母と二人暮らしになった。ナオちゃんと宙に浮いたような関係のまま、別の中学に進学した。進学先は女子校だった。そうして私の世界から、男性は長らく姿を消した。

 勿論、そういう作品にはたとえ主人公の父親であっても男性はいらないという風潮もある。しかしだ。しかしだ、と言って、その逆説から先を明確に言語化することは不可能だった。一過性、MECE、必要十分条件、拒絶。そういった、単体では辞書的意味以上の意味を持たない言葉たちが、拍動の衝撃に押されたまま血管を駆け抜けてそのどれもが内膜を引っ掻いて行った。自己言及。ポーズとしての病み、あるいは闇。自己言及。無限の上昇。ノイズキャンセリング。シャッター音。

「講義の板書をスマホのカメラで撮って、それで済ませるのってただの記録としては合理的なんだけど、それだけでは何にもならないし、でもそいつはそれで単位が取れるんだろうし、なんというか、ままならないよね」

 と、嘘つきのクレタ人が言った。クレタ人?いや、クレタ人は居ない。なら誰が言った?知らない。ただ、確かに、そう思う。講義室に響くシャッター音も、ワイヤレスイヤホンも、詩情を分かった気でいることも、打ち言葉から漏れ出るせせら笑いも、二酸化炭素と人工甘味料が合わさった苦くて甘ったるい匂いも、全てままならない。それを、ままならないまま享受している。エモいって何だよ。浅はかだ。浅慮だ。そうだ!浅慮だ!と騒いだところで、何も変わらない。ただ、そうやって周囲を腐した分だけ自らが落ちぶれていく。もう殺してくれ、と、希死念慮と言葉にしてみると、それすら浅はかに見える。精神は切実であるのに、言葉にした途端に、陳腐に見える。表現に技巧を凝らせば凝らすほど紋切り型になる。関係性。解釈。解像度。全部使い古された。オーバードーズもだ。死もセックスもモラトリアムも全部陳腐だ。つまりは言霊の死だ、と言ってみて、やはり陳腐。だから本当に死にたい人は死にたいと言わない。いや、いや、それも嘘だ。それこそ紋切り型の嘘だ。人は死ぬ。抑えつけた下から滲む言葉だけが本物だ。そうだ。それだけが本当だ。あとは全部嘘だ。そこにだけ、言霊もまだ生きているんだ。


 バイトリーダーが、二ヶ月ほど休みを取った。小説を書き上げたいのだと言って、申し訳無さそうに笑いながらシフト表を手渡された。

 二ヶ月経っても、彼は戻って来なかった。そうして半月程経ったころ、コンビニで見かけた文芸誌の小さな読み切りに彼の名前を見つけたとき、私は驚きよりも先に納得を覚えた。

 バイトリーダーは、脱出したのだ。それは単純にバイトリーダーというポジションからでもあったし、もっと観念的な、解放と言い換えられるものでもあった。彼は出口を見つけた。


 いつだったか、彼がこんな話をした事がある。どんな流れだったかも覚えていないが、ただ、その言葉だけはよく覚えている。

「神はただ去ったんですよ。死んじゃいない。ニーチェは間違った。今も、どこかでは生きている。でも、それはここでは無いんです。神は去りました。一番初めに世界に物理の法則を無作為にプログラムして、それだけして去って行きました」

 私には彼が何を言っているのかすぐには理解できなかったし、今思い返しても完璧には理解できない。ただ、彼がそう思っているならそれで良いとも思う。事実、彼はそう思ったまま連載を勝ち取った。

「その神っていうのは、キリスト教の?」

「なんでも良いですよ。ヤハウェでも、天照大神でも、アッラーでも、ゴドーでも。サミュエル・ベケットはご存知ですか?」

「まあ、聞いたことは」

「じゃあ、上出来です。待つことは無意味だ。去ったものを、探さなければならない」

「すみません、あまり話が掴めていなくて」

「大丈夫です。すみません。もう少しだけ喋らせてください。ゴゴーとディディ。そう、ゴゴーとディディ。実に簡単な言葉遊びなんですよ。それに気付かなければならなかった。初めから、神は板付きで そこに居たんです」


 私はその文芸誌を手に取ると、レジへと向かった。すぐに読む気は無い。読む前に、私もひとつ小説を書こう、と思った。純文学でも、ミステリでも、SFでもラノベでも百合でもBLでも、或いはその全てが合わさった何かでも、とにかく何かを書こうと思った。

 受け取ったレシートの下に、クーポンが付いていた。いつも飲むエナジードリンクが50円引きになるそうだ。結局薬は聞かなかったし、というか効き目が出る前に飲むのを止めてしまったし、カフェイン断ちもできていない。書くことは、その頭痛に脳を浸してから考えようと思う。浅はかな所から始めなければ、多分、本当の深みには辿り着けないのだと思った。いや、実際には、「本当の深み」なんてものには一生掛かっても辿り着けないのだと思う。結果が変わっていない。でも、本当に読むべき本なんてもう令和には残っていない。当然だ。明治の時点で、もう誰にも仁王は掘れなかった。だから運慶が現れた。死もセックスもモラトリアムも全部陳腐で、その陳腐を描き出す事が、現代の最後の抵抗なのだろうと思う。何に対しての物かは知らない。意味の無い事だとも薄らと思う。或いは、いっそそれすらも馬鹿馬鹿しいと豪快に笑い倒してしまうか。冷笑に自我を没する事と比べたら、そのどれもが遙かに有意義に思えた。

 クーポンは少し斜めにちぎれた。

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