第3話 母親

「あの・・・礼持さん・・・暑くないですか?」


「あやみさんは僕の滝のような汗を見ても、聞かないとわからないのかな?」


「・・・。そういう事ではなくてですね。」






ビルでの一件から数日が経ち、中城あやみと礼持ルイは、宮島明里に関する依頼を解決すべく、彼女が一人暮らしをしているという住宅街で待ち合わせる約束を電話にて決めた。


約束の日、あやみはハーフパンツに白のTシャツと依頼の時とはうって変わって、いわゆるラフな格好で待ち合わせ場所にした無人駅のベンチに腰掛けて礼持を待っていた。その日も相変わらずの暑さであった。あやみが先ほど買ったお茶も一瞬で冷たさを失い、生ぬるくなってしまうほどである。


あやみは意識が朦朧とするような暑さの中で、初対面だった礼持の格好を思い出す。あの日35度を越えようかという気温だったにも関わらず彼は暑い暑いと言いながらずっと分厚いスーツ状態であった。あの暑さであの服装はあやみには理解し難く、考えただけでも身震い、いや汗が吹き出しそうである。


(もしかすると、あのスーツは尋ねてきた人に誠実さを感じさせて騙すためのものだったのかもしれない。あのときは話を親身に聞いてくれたから信じ込んでお金も前払いで渡しちゃったけど・・・詐欺に引っかかったのかもなぁ。)


すると途端に礼持が待ち合わせ場所に来るのか疑わしくなってくる。あやみは、ため息をつきながらベンチの背もたれに上半身を預ける。膝で挟んでいた日傘がズルズルとずり落ちていく。


しかし、彼女の心配は杞憂に終わった。


「お待たせしちゃったかな。こんにちは、あやみさん。」


上を向いていた首を持ち上げると目の前に礼持の顔があった。


「ひっっ!ちょっとやめて下さい!」


あやみは思わず声を荒げた。彼はごめんごめんと顔を離す。相変わらず不気味な雰囲気を持つ礼持をあやみはじっと睨む。


流石に連日続いている猛暑日に加え、外での活動となる今日は暑苦しいスーツではなく、もっとカジュアルな涼しい格好をしてくると、あやみは考えていたのだが・・・


「何で今日もその暑苦しそうなスーツを着てるんですか?しかも、革の手袋までまたしてるし・・・」


本当に暑さにやられているのか190cmあろうかという巨体をフラフラさせながら礼持は口を開く。


「こ、これは僕の戦闘服みたいなものだからね。」


「・・・せめてスーツなら半袖シャツとかにすればいいんじゃないですか?」


「そういう訳にもいかないんだよね。」


どうやら面倒なこだわりとやらが有りそうだとあやみは何となくまたため息をつく。


「外も暑いし、とっとと行こうか。案内はよろしくね、あやみさん。」


「・・・はい。」




そして、現在に至るわけである。2人は住宅街を暑さから逃げるように足早に進んでいく。太陽光は影を作り出すことなく、容赦なく上から降り注いでくる。たまのそよ風もこの猛暑では、ただ鬱陶しい熱風なのであった。


礼持は手に持ったタオルで「暑い暑い」とひたすら額の汗をぬぐい続けている。側から見れば本当に阿呆である。あやみはそんな彼を憐れむような目で見つめながら彼に問う。


「あの、これは電話でも質問したんですけど・・・今日明里に会うには、結局明里のお母さんの霊が邪魔になると思うんですけど。それはどうするんでしょうか。」


彼女の疑問は当然のものであった。


目的は明里を母親による心霊現象から救い出すこと。そのために、礼持は彼女から話を聞き、部屋を訪れる必要があると言った。


しかし、その問題の霊が扉の前で部屋に入ることを阻んでいるのだ。


つまり、霊をどうにかするには、明里の話を詳しく聞き、部屋を調べる必要がある。しかし、彼女の話を聞き、部屋を調べるにはそもそも霊をどうにかしなくてはならない。


手詰まりでは無いかという話だ。


「まぁ、正直聞く限りでは、明里さんの母親を除霊するのは難しく無いと思うんだよ。」


「そ、そんなに簡単にですか・・・私はもっと難しくて恐ろしいものだと・・・」


「忘れたのかい?僕はこれでも霊媒師だよ。こいつに閉じ込めてやるのさ。どうだい?いかにも霊媒師って感じだろう?」


タオルで首筋の汗を拭いながら、サッと彼は自慢げに札を出す。そこには、「除霊のやつ」という文字が書かれておりとても霊的なものに効果があるとは思えない。あまりの胡散臭さにあやみは礼持を本気で睨む。あやみが何を言いたいのか分かっているように礼持は弁明する。


「こういうのは形式的に合ってれば問題ないんだよ。何が書いてあるかは関係ない。あとは術者次第ってやつさ。」


礼持は睨むあやみを揶揄うように笑う。あやみは深ーいため息を漏らす。お金も払ってここまで来てしまったのだ。例え詐欺だとしても今のあやみにはどうしようも無い。そんな彼女の心情を知ってか知らずか礼持はまだニヤニヤし続けている。しかし、すぐに真面目な顔をつくり、「ただ」と続ける。


「除霊っていうのはあくまで一時的なもので、悪いものを取り除く、その場から離すだけに過ぎないんだよ。だから僕にとって問題なのは明里さんのお母様をいかにして、そうだな・・・世間一般で言うところの成仏させるかが大事なんだよ。僕は絶縁するとも言うけどね。」


「除霊だけではダメなんでしょうか。」


「おや?除霊のみの依頼かい?オススメはしないけどね。」


「いえ・・・そういうわけでは・・・」


「霊ってのは闇雲に行動してるわけじゃない。例えどんなに歪んでしまおうと、そこには必ず一定の行動原理がある。縁あって、ゆかりあって、意思あって、その場所にいるんだ。引き離すだけの除霊はかえって逆効果、反動で凶悪化する可能性もある。」


「だから、霊にはしっかり消えてもらう必要があると、そういう事ですか?」


「端的に言えばね。霊を成仏するには、彼らの行動原理の元となっている部分を根本的に解決してしまえばいい。そうすれば霊とその場所を繋げる縁は必然的に切れるんだ。僕が絶縁と言ったのはそのためさ。」


「な、なるほど?」


あやみは少しキョトンとした顔でなんとか頷いて見せた。そんな彼女に礼持は苦笑いする。


「まぁ、そんな細かいとこまで君が理解する必要もないさ。何にせよ、明里さんから話を聞かないことには何故母親の霊が現れたのかも分からないし、依頼もどうしようもできないってことさ。」




そんな会話をしていると、2人はついに問題のアパートに到着する。少なくとも外観は間違いなく綺麗そのもので、周りの住宅街も閑静で治安も良さそうな地域であった。特段禍々しい気配もない条件の良い賃貸物件という感じだ。


「よし、あやみさん行こうか。確か・・・何階だっけな。」


「3階です。」






階段を上がって最奥の部屋、310号室。そこが明里の居室らしく、表札には宮島の文字が確かにあった。


扉の目の前にきた礼持は長い首を猫背にして注意深く部屋の前を観察する。


(部屋の扉はなんの変哲もないし、他の部屋とは変わらないように見える。ドアスコープ、表札、鍵穴、呼び鈴・・・)


「なんの違いもありませんよね・・・」


礼持がキョロキョロしていることに気がついたあやみが礼持の肩を叩く。


「そうだね。まぁ、いい。とりあえず声をかけてみようか。」


礼持は改めてお札を指に挟んで出すと、あやみに呼び鈴を鳴らせという旨の合図を顎で送る。あやみは小さく頷くとボタンを押した。


返事はない。


「明里ぃ!あやみだよ!ちょっと胡散臭いけど霊媒師の人連れてきたの。「おい。」鍵だけどうにか開けれない?」


「ダメだよ・・・あやみ。きちゃダメなんだよ・・・なんで分からないの?」


やっとドアの向こうから小さく声が聞こえてくる。



「お母さんが起きちゃうじゃん。」



コロス



女の声で確かにそう聞こえた。


次の瞬間、ドアの隙間から血のようなものが溢れ出してきた。溢れ出した液体はあやみが悲鳴を上げる間も無く、ドアの前にいる礼持達を取り囲んだ。2人を取り囲むドロドロとした液体は煙のようなものをあげており、明らかに人体にとっては有毒である。


しかし、液体は一定のラインから2人に近づいてこない。いや、近づかないようであった。


「れ、礼持さん!」


「こんなに早く進化していたとはね。予想外。たまげたなぁ。」


余裕そうなセリフを吐きながらも礼持も若干驚いていた。手に持っていた除霊用の札に火がつき、今にも燃え尽きそうになっていたからだ。


「な、なんでお札に火が!?何もしてないのにどういう事なんですか!礼持さん!まさかそれが燃え尽きたら・・・」


「まぁ、落ち着いてくれ。確かにこれは予想外だけど、大丈夫だ。」


そう言うと礼持は札を左手に持ち替えて、右手の革手袋を口にくわえ、素早く脱ぎ去る。


あやみはなぜこんな暑さの中、礼持が長袖を着ていたのか、手袋をはめていたのか合点がいった。そこに現われたのは普通の右手ではなかった。色は紫色に変色しており、爪はひとつもなく、肌には指先までびっしりと文字が彫られていた。


「ごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんないごめんなさい。」


明里の声だろう。呪文のように呟いている。



「来い。」


礼持が呟いた瞬間、札が燃え尽き、と同時に赤の液体が礼持の右腕に纏わりついていく。


「きゃぁ!!」


あやみはかがみ込んで、礼持の足にしがみつき目を瞑った。怖いことが過ぎてしまうのを待ち続ける。しかし、あやみの願いとは裏腹に液体はドアの隙間から延々と漏れては触手のように礼持の右腕に吸い込まれていく。纏わりつく赤は礼持の右肩まで飲み込まんとするほどの勢いである。


「ぐぅ・・・」


(このままじゃ、まずいかなぁ。)


ジリ貧だと確信した礼持は一か八かの博打に出た。



「あやみさん!・・・おい!中城あやみ!聞こえてるか!」


「な・・・なぁ・・・。」


「あんたなら!宮島明里の親友であるあんたなら必ずこの場を打開できるはずだ!そんなところに座り込んでないで、親友を救う言葉の一つや二つかけてやったらどうだ!!」


「そ、そんなことやってる場合じゃ・・・」


「親友を救う言葉をかけるのに状況なんて選んでられるかよ!理由を考えるな!動け!」


「で、でも」


「でもじゃない!今まで力になってやらなかった分を取り戻しにきたんじゃ無いのか!」


はっとしたようにあやみは息を呑む。目を開けて前を向く。


礼持を見る。どういう状況かは分からないが長くは持たないだろう。顔を苦悶に歪ませながら必死に赤の触手を押さえ込んでくれている。


ドアの方を見る。向こう側で微かに啜り泣くような声が聞こえた。明里の声だとわかった。


(本当に私は今も昔も自分の事ばかりだ。本当に他人の事なんて考えちゃいない。)


あやみは意を決したように、勢いよく立ち上がり、ドアを壊す勢いでノックする。


「明里、明里!聞こえてる!?あやみだよ!」


「あやみ?分かったでしょ?はやく逃げてよ・・・私は親友が傷ついてまで助かりたいと思わないよ。」


「そんなに1人で抱え込まないでよ!」


「!」


「明里は貧乏になった時も、明里のお父さんとお母さんが亡くなったときだってそう!明里は辛かったのに誰にも弱みを見せずに頑張ってた。私は弱かったからそんな明里の強さに甘えてたの・・・」


あやみの目から涙がボロボロと溢れる。


「でも今日は違う!明里、迎えにきたよ!2人でまた一緒に学校行こう?一緒に遊ぼうよ!不安があったら私に何でも聞かせてほしい!」


「あやみ・・・」


「大丈夫、大丈夫だから、絶対に私ここを離れない。だって私は明里の親友だから。」


礼持は呑み込まれようとする右腕の痛みに堪えながらドアの向こうに語りかける。


「あやみさんから依頼を受けた霊媒師のものです!明里さん、あんたはきっと母親から恨まれるようなことはしてない。外に出たら殺すってのはきっと君の勘違いだ!」


「でも、殺すって」


「僕は明里さんが母親に恨まれるような人間には見えないんだよ。きっと君の母親は何がキッカケで過保護になってる、守ってるだけなんだ。」


「だったら私はどうしたら・・・」


「相手は、化け物であっても他人じゃない。他ならぬ明里さんの母親なんだよ。その人にしっかり話せばいいだけなんだよ。」


「・・・わかりました。」



赤の液体は勢いを増し、今にも礼持の右半身を飲み込もうとしていた。


「くっ!」


「礼持さん!」



「お母さん、お母さん聞こえてる?いつも守ってくれてありがとう。でも私大丈夫だよ?命の危険すらあっても助けにきてくれる親友がいるんだもん。大丈夫だよ、お母さん。だから、やめてあげて。」



プシュー、途端に赤の触手は痩せ細り始め、再び液体と化し、礼持の右腕にゆっくりと吸収されていく。


「た、助かった?」


「そうみたいだね。何とか除霊は成功したって感じだ。予想をはるかに超えてきてたね。久しぶりに死んだと思ったよ。」


鍵が解除され、ギィと鈍い音をたてながら宮島の戸が開く。


「あやみ、久しぶり。そしてありがと。」


「あかりぃぃぃい!」



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彼女は何故死んだのか @WindsWriter

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