第2話 依頼

「母親の霊かぁ・・・。」


礼持は考え込むように顎髭を右手でいじりながら、長い足を組んだ。


「あやみさん。」


「は、はい!」


「この事は本人から聞いたのかな?」


「は、はい・・・」


「明里さんのお母さんが霊、ということは彼女の母親は最近に亡くなったのかい?」


あやみは首をぶんぶんと横に振る。


「いえ、もう随分と前の話です。」


「良ければ、その経緯も教えてくれないかな?」


あやみは再び下を向くとゆっくりと語り始めた。






明里が両親を失ったのはもう10年以上も前になります。当時私たちは、小学生で小さかったですが、お互いの両親同士で親交があったようで毎日どちらかの家で遊んだり、長期休暇中は海へ行ったり、キャンプにいったりしてました。


幼いながら明里の両親のことはよく覚えています。お父様が一雄さん、お母様は瑞希さんだったはずです。お二人共すごく穏やかで優しい方だったから・・・よく明里と一緒に遊んでもらっていました。


当時のあの家は驚くほどの豪邸で、3階建の庭付き、プール付きで幼い私にとってはテーマパークか西洋のお城みたいな感覚でした。


でも、ちょうど10年前、明里の両親が経営していた会社が倒産したんです。詳しくは誰も教えてくれなかったけど負債は数千万円なんてレベルではなかったようでした。


それから明里の家族はもとの豪邸を取払い、とあるアパートに住んだようでした。それからはあまり2つの家族で一緒にアウトドアなんてことは無くなりました。まぁ、当たり前ですよね。明里達はそれどころではなくなってしまっんです。


それでも明里は学校に行けば私と楽しくお話してくれましたし、明るく振る舞っていました。きっと当時、彼女も辛い思いをしていたはずなのに・・・私は能天気にも明里と今まで通り無神経に彼女と接し続けました。


それから1年後、明里の両親は亡くなりました。自殺ではありません。



強盗だったそうです。



明里が学校から帰ると2人は既に生き絶えていたのです。リビングは荒らされ、父の一雄さんは腹部を包丁で刺され、母の瑞希さんは首を絞められて殺されていたそうです。


私もお二人のお葬式には出席しました。明里は涙するわけでもなく、ただ呆然としていました。


私は明里に何も声をかけることができませんでした。なんと声をかければ良いか分からなかったし、これが原因でもう2度と明里とは会えないとそんな気がしてならなかったからです。関係が壊れてしまいそうで怖かったからです。




明里はそれから親戚に引き取られましたが、幸いなことに転校することはなく、小中と一緒に過ごすことができました。でも、もう明里の満面の笑みは誰にも見れなくなってしまいました。


高校に上がった明里はアパートで一人暮らしする様になりました。もしかすると彼女なりに、早く自立してどうにか辛い思い出を「過去」にしようとしていたのかも知れません。


高校に入学してからはかつての彼女の明るさを取り戻しつつありましたし、彼女と2人で遊ぶことも多くなったと思います。


でも、今年の6月あたりで彼女は不登校になってしまったのです。何度か彼女の家を訪れたのですが明里は何も説明してくれませんでした。それどころか早く帰ってくれと、私は大丈夫だから気にしなくて良いと。


その後も何度か訪れましたが帰ってくる答えは同じで、中に入れてすら貰えませんでした。


結局そのまま夏休みに入って・・・


この前訪れたときやっと少し話してくれたんです。


本当に言葉が支離滅裂で彼女は混乱していました。要約すると、母親がここを出るなと、出たら殺すと彼女に言っているんだそうです。


私は思わず冗談でしょ?と口走りたくなりました。でも私はギリギリで口を閉じて、お母さんが見えるの?と恐る恐る聞きました。


明里は少し急に落ち着いたような、諦めたような声色で応えてくれました。


「見える?そんなものじゃないよ。いるのよ。すぐそこに。」


私は怖くて逃げ出したくなりました。それでも逃げ出しませんでした。まだ、私は彼女は混乱して幻聴や幻覚が見えているだけだと信じていました。信じたかったのです。でも、私の希望はすぐに潰えました。


ドン・・・ドン・・・


急に私と明里を隔てるドアが勝手に鳴り始めました。明里は叩いたりしていないようでした。


ドン・・・ドン・・・


「お母さんごめんなさい、お母さんごめんなさい、お母さんごめんなさいぃ」



ドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドン



怖くて仕方なくて、私もその場に目をつぶって耳を塞いで、とにかくうずくまっていたんです。


ようやくドアを叩くような音が途絶えると、私はゆっくりと顔を上げようとしました。



コロス



確かにそう聞こえました。ハッとドアを見てみるとまるでダイニングメッセージみたいに大量に赤い血で書いたような殺すの文字が浮かんできました。







「明里のすすり泣く声は聞こえていたけど・・・私はついにその日は震えながら帰路に立つしかありませんでした。」


「にしても、出たら殺すとは、穏やかじゃないなぁ。ところで最後の殺すってのはどんな声だった?」


「え・・・?どんなっていっても・・・ごめんなさい怖くてあまり覚えていません・・・」


「なるほどねぇ、明里さんは相当参っているようだね。」


2人して黙り込む。あやみは次にいう言葉を何か探しているように見えた。事務所は異様な静けさに包まれる。気づけば蝉の声もしなくなっていた。礼持は窓の外に目をやる。先程まで太陽光が強く差し込んでいたが空が急激に曇りだし、大雨が降り始めた。夕立だろう。大量の大きな雨粒が窓ガラスを激しく叩く。


礼持はあやみの言葉を待つ。


「亡くなったお母さんの声が聞こえているのなら、しかもその声が自分を恨むようなものだとしたら、明里にとっては耐え難い苦痛のはずなんです!」


「きっと彼女は相当な命の危険を感じているはずだ。これは憶測にしかすぎないが、明里さんはあやみさんが万が一にも傷がつかないように遠ざけようとしているように見える。」


「私、次こそは本当の意味で明里の力になってあげたいんです。幼馴染としても親友としても。」


彼女は顔を上げて真っ直ぐと礼持を見つめる。


あやみは、少し安堵した表情を見せたがまたすぐにもじもじとし始めた。


「あやみさん?どうしたんだい?」


「その・・・お金なんですけど・・・バイトはしてるんですけどこれぐらいしか今なくって・・・」


あやみから差し出された白の紙封筒を礼持は受け取る。中身には1万円札が10枚ほど入っていた。


「まぁ、いいよ。基本相手の言い値で仕事やってるからね。」


「えぇ?なんで?言い値で大丈夫なんですか?」


「全く出さないと言われると困っちゃうけどね。大抵、本当に困ってくる人間は金額は別としてお金はきちんと用意してくるものだ。そうでないならガセの相談か冷やかしだ。」


「そんなものですかね・・・」


「この業界にいる僕だからこその処世術なんだよ。」と礼持は微笑を浮かべる。


「ところで、あやみさん。まだ少し確認したいことがあるんだけど。」


「はい、なんでしょうか・・・」


「明里さんがお母さんの霊のこと話している最中、やっぱり明里さんは部屋の中にはあげてくれなかったんだよね。」


「はい・・・扉に鍵が閉まってて・・・結局ドア越しで話をするしかありませんでした。」


「ドア越しに聞こえたんだよね、コロスって言葉は。」


「・・・はい。しかも、ドアにも殺すって文字が・・・」


「・・・そっか。わかったよ。とりあえず君の連絡先を渡してくれ。そうだな、電話番号でいい。解決するなら一度彼女の部屋にも赴きたいし、話を聞く必要性がありそうだ。」


「はい、よろしくお願いします。」






宮島明里は高校2年生である。


去年の4月、高校入学後から一人暮らしを始めた。最初の1ヶ月は大変に感じていた家事も最近は要領を掴んで短時間で終われるようになっていた。


掃除に洗濯に料理、面倒と捉えればそれまでだが、自分のことは全て自分でやるというのは割と楽しいものだった。


疲れることもあるが、友人を部屋に招いて人目を気にせずに遊べるのは楽しかったし、特に幼馴染である中城あやみとは多くの時間を過ごした。




10年前、両親が亡くなり、それから時が経つにつれてあやみの目は罪悪感のあるような複雑な目を明里に向けるようになっていた。喧嘩をしたわけでもなく、ましてや絶交したわけでもなく、最も多くの時間と思い出を共有してきたが、あやみはふとした瞬間後ろめたいような態度を取るのだ。


明里にはそれがなぜかを何となく感じ取っていた。恐らく、裕福な暮らしから一変、貧乏生活になり、さらには両親が死んだ私と、何不自由なく生活できている自分とを比べ、あやみは罪悪感を感じているのだ。


確かに私には向き合いたく無い過去がある。しかし、過去は過去だ。今の明里にも、もちろんあやみも関係はない。時間にして節目の10年を超え、明里は過去の苦しみを忘れ、青春を存分に謳歌していた。


そのおかげからか、高校に入ってからはあやみの後ろめたいような態度はほとんど無くなっていた。


もう苦しいことは思い出さないはずだった。




ある朝明里はいつも通りに登校の準備を進めていた。起きて、髪を整え、ご飯を食べて、歯を磨いて、着替えて、バックを持って靴を履く。いつもと同じこと。


しかし、いつもと違うことはドアノブを掴もうとした瞬間、いきなり起きた。



ドン



「?」


ドン・・・ドン・・・



部屋中にドアを叩く音が聞こえる。



・・・アカァリィ



「きゃあ!」


確かに明里は自分の名前を呼ぶ声が聞こえた。それはもう遠い記憶の声。忘れていたはずの声。


恐る恐るドアスコープを覗いても誰も奥にはうつらない。


ドアを開けてもなんともなかった。


「なんだったの・・・」


ゆっくりとドアを閉める。ドアには答えがあった。



コロス


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