第2-9話:研究所2

「お茶が入りました」

 室内がかぐわしい香りで満ちた。

「ありがとう」


 大富豪の令嬢にお茶を淹れてもらうなんて、庶民なら恐縮してしまうところだ。

 マリウスは任務以外は雑で、見かねた友人があれこれ世話をするので、人に何かしてもらうことに、全く抵抗がなかった。


 陶器のカップから一口飲む。

「とても美味しい」

 これまでの経験から、これは賞賛すべき香りと知っている。


「良かったです」

 エレアノは、はにかみながら、マリウスの顔を見つめた。

 それから、遠慮がちに尋ねた。

「あの、右眼が、青い、ですよね?」

「ああ」

「生まれつきですか?」

 マリウスは右頬を撫でた。

 至近弾の爆風で失い、交換したのである。

 オラティスの商人には、ふさわしくないエピソードだ。

 当たり障りのない作り話で、誤魔化すことにした。


「同級生と格闘戦をしたんだ」

「格闘戦、ですか」

 銀河系の大部分では、学校でそんなことはしない。マリウスは知らなかった。


「大きい奴だ。タカフミと同じくらい。筋肉はタカフミよりついている。

 でも、戦えばいつも私が勝った。

 ところが」

 黒髪を撫でる。

「ある日の試合で、この髪をつかんで、転ばされた。

 殴られて、額が切れた。

 血が目に入って・・・それで、色が変わったんだ」


 エレアノは、口を手で覆い、蒼白になって聞いていた。

「ひどい・・・」

「大丈夫だ。過ぎたことだ」


 それでもエレアノが悲痛な顔で見上げるので、マリウスは安心させることにした。「手順」を思い出して、顔に意識を集中させる。

 エレアノを見つめて、微笑んだ。

 エレアノの顔が、ぱあっと明るくなった。


「グラスウェン様に、そんな戦いは、ふさわしくありません」

 決闘代理人に指名したことは棚に上げて、心配した。


「大丈夫だ。その試合にも勝ったし」

 嘘である。ジルとの試合では、顔が腫れるまで殴られて、レフリーストップで敗北した。

 だがこれは、訓練である。動き回る場所にも、身体破壊にも、制限があった。

 実際の戦場では、誰にも負けない。ということで、マリウスは勝手に、この試合はノーカウントと見なしていた。

 マリウスは、銀河系最強と自負している。ジルに負けた後も、それは変わらない。


          **


 第11棟の通用門に取りつく。暗証番号で解錠するタイプ。マルガリータがさっと解析し、中に入る。そのまま平然と通路を進んだ。

「おい、女がいるぞ」

 さすがに不審に思う職員がいたが、マルガリータの額の三角形を見ると、

「オラティスのロボットか」

と納得した。

「お偉いさんが連れて来た人たちか。

 しかし、オラティスの店員ロボットに、あんなグラマーな子、いたかな」


 女子トイレの清掃頻度が一番高い、3階に上がる。

 大型の冷蔵庫のような機械が、所狭しと並ぶフロアだった。


 機械の間の通路を進む。

 通路が十文字に交差する所で、タカフミは左右を伺い、人影を認めた。

 マルガリータを押しとどめる。


 そのままタカフミは、人影を観察した。機械の扉を開けて、何か操作している。

 身長はマルガリータと同じくらい。茶髪のベリーショート。

 他の職員と同じく白衣をまとっていた。


 マルガリータが容疑者リストを表示。タカフミはその中の一人を指さした。

「わたしが行きます。単刀直入に聞きますね」



 マルガリータは、つかつかつかと容疑者に歩み寄った。

「ナハトですね?」

「ひぃっ?」

 急に呼びかけられて、相手はびくっと身をすくませた。振り向いた白い顔には、そばかすが広がる。


「ナハトですか?」

 もう一度、尋ねる。

「ちちち違います」

「否定するのが怪しい」

「いやだって、否定しないと違うことにならないから」

 マルガリータの額の三角形を見た。

「オラティスのロボット? でもまさか、あなた帝国市民ほしのひとなの?」

「ほほぅ。なぜそう思ったんですか?」

「だって『ナハト』って聞くから」

 タカフミは苦笑した。星の人は嘘をつくのが下手過ぎる。


 女性も、自分の発言がまずかったことに気づいて、慌てて打ち消す。

「わたしはナハトじゃない。そんなはずはないんです」

「ええ、ええ。そんなはずはないんですよね。

 だから困ってます。

 ナハトは、死んだことになっているので」


 マルガリータが手を伸ばした。

「というわけで、毛髪の提供にご協力願います。

 白黒はっきりつけましょう」


 ナハト(と疑われる女性)は、機械に向き直ると、トレイを引き出した。

 ピンクや緑の液体の入った、ビーカーやシャーレが載っている。

 いきなり、マルガリータに投げつけた。


 マルガリータは神速で後退った。逃げ足だけは天下一品である。

 ガラスが割れる音が響き渡り、ナハトは身を翻して駆け出した。

 床に散らばった破片を避けて、マルガリータが追いすがる。タカフミも後を追う。

 ナハトは階段に向かって、通路を曲がった。2人が通路を曲がると、ドアから出て行く後姿が見えた。駆け寄ると、ドアが開いた。


 顔を布で隠した女が、立ち塞がった。

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