第2-10話:ナンバー
立ち塞がったのは「布の女」だった。エレアノとヨランが決闘した際に、エレアノに付き添っていた女である。
額と、目から下に、バンダナのような布を巻きつけている。
髪は隠しておらず、短い黒髪が見えた。
「ちょっと通してもらえます?」
布の女は、無言で首を振って、拒絶した。
「先ほどの女性に用があるんだ」
「乱暴するわけじゃないんですよ。髪の毛を何本がもらうだけで」
再び、今度はゆっくり首を振った。
「仕方ありませんね」
そう呟くと、マルガリータは、自分の胸の谷間に手を差し込んだ。
**
「なぜ、わたしと話がしたかったんだ?」
今度はマリウスが、エレアノに尋ねた。
「グラスウェン様のことを、知りたかったからです」
「どうして?」
「グラスウェン様が、わたしの『運命の人』だからです!」
良く知らないのに「運命の人」と決めつけるのは、おかしな話である。
"まあ、錯覚らしいからな"
最適な相手を見つけるために、全ての候補者を精査することは出来ない。
だからこそ、自分が見つけた相手を、最適解と「錯覚」することで、幸福感を得る――脳にはそんな仕組みがあると、マリウスは聞いたことがあった。
”そういう仕組みなら、エレアノのちぐはぐな行動――まず運命の人を見つけてから、よく知る――も、あながち破綻はしていないな”
マリウスは他人事のように思った。
家族制度のない星の人には、そもそも「パートナーを選ぶ」というところから、理解できないのだった。
「じゃあ、今度はエレアノのことを話してほしい」
「わたしは、その、普通です」
「大変なお金持ちと聞いた」
「それはわたしのお父様。
お父様はお爺様から、財産をもらったの。
だからわたし自身は、普通なんです」
エレアノはため息を吐いた。
「同じクラスのロイスも、幼馴染のムルマも、普通というか、平凡なんです」
ロイス・トシュビエフとムルマ・オストロミルのことであれば、どちらも財閥を束ねる大株主の一族だ。
「あの子たちやわたしが、経営に関わるなんて、想像もできない」
マリウスを上目遣いで見上げた。きっとこの方は、小さい頃から、すごく勉強もできたんじゃないか。そんな気がした。
「グラスウェン様には、お分かりにならないでしょうけど」
マリウスは首を振った。
「心配することはない。
人は変わる。エレアノも変わる。
わたしは、今はこうして、仲間と仕事をしているが、小さい頃はいじめられっ子だったんだ」
「えー!? 信じられない。なぜいじめられたんですか?」
「表情に乏しいから。人形とからかわれていた」
「ずっと続いたんですか?」
「いや、しばらくすると、止んだ」
人生初の格闘の試合が、いじめっ子との対戦だった。教官が試合開始の笛を鳴らした直後、相手は床に倒れ、そのまま病院送りになった。
この惨劇は育成師団全体を震撼させたが、それでもいじめは続いた。
「誰かが止めてくれたんですか?」
「私が、人形じゃないと気づいてくれた友達がいたんだ。
ステファンといってね。燃えるような赤毛で、ちょっと変わった人なんだ・・・」
**
マルガリータが谷間から手を抜くと、銃のようなものが握られていた。
そんな物を入れておくスペースはないはず! とタカフミは思ったが、それよりも突っ込むべきことがあった。
「ちょっと!
マルガリータって、そんな武闘派でしたっけ!?」
マルガリータは、悲痛な表情で目を伏せた。
「仕方ありません」
そして麻酔銃を、布の女に向けて構えた。
「ご飯を食べられない
この後の事は、一瞬の間に、立て続けに起こった。
あまりにも刹那の出来事のため、誰も全容を把握しきれないほどだった。
マルガリータは、両手で銃を構えた。片足を引いて、相手に半身を向けるスタイルである。半身を向けるのは、少しでも相手にさらす面積を小さくしたいからだ。
「撃ちますよ! ちくっとします!」
本当に撃った。布の女とは2メートルも離れていない。
微かな、くぐもった発射音が鳴りやまぬうちに、
布の女の顔が、マルガリータの目の前にあった。
横に飛び退くのではなく、前進して一気に距離を詰めたのだ。
タカフミは、振り上げられた腕に、細長い麻酔弾が握られているのを見た。
「弾を掴んだのかっ!?」
布の女が、麻酔弾を首に突き立てた。
マルガリータが、「ふきゅう?」という変な声をあげて倒れる。
金髪がふわりと舞い上がった。頭部を受け止めようと、タカフミが身をかがめ腕を伸ばす。そこに、床を削るような勢いで、布の女のローキックが飛んできた。
タカフミの足に当たるが、辛うじて転倒せずに踏みとどまった。マルガリータの頭を受け止め、床に降ろす。
布の女が、タカフミの左腕を取った。折られそうになる。強引に振り解いた。
タカフミは立ち上がり、布の女に対峙。
麻酔弾が、乾いた音を立てて、床に落ちた。
ここまでが、一瞬の出来事だった。
タカフミは、腰につけていた棒を振った。4段に伸び、3尺9寸(約120cm)の長さになった。護身杖である。
星の人の超越技術――は全く含まれていない。デジタルも電子も関係ない。
それでも、金属製で、軽いのに非常に丈夫である。モップの柄などより、よほど優れた代物だった。
布の女が、警戒するように目を細め、杖を構えたタカフミを凝視した。
女はナイフを抜いた。グリップも刃も黒いナイフだった。ダマスカス鋼のような波紋模様が、刀身に妖しく流れている。
ためらいもなく、突き出してきた。
タカフミは少し下がり、小手を狙って打ち下ろす。当たった、と思ったがかわされた。残像!?
だが中段に戻した剣先を嫌い、相手もそれ以上は打ち込めなかった。
再び距離を置いて対峙。
今度は、ナイフを投げてきた。「止めましょう」と呼びかける間もない。
かわしつつもタカフミは違和感を感じた。力強い投擲である。避けなければ刺さる。しかし、かわせないほどではない。必殺の一投ではない気がした。
タカフミの視界の端に、黒い紐のようなものが見えた。
ナイフにワイヤーが付いている? ワイヤーの先を目で追う。
すると、如何なる妙技を駆使したのか! ナイフが空中で向きを変えると、背後からタカフミに襲い掛かってきたのだ!
振り向いてナイフを避ける。この時、タカフミの意識は、完全に布の女から離れていた。
口が塞がれた。声を立てる間もなく、腰に焼けるような熱を感じた。
熱はすぐに激痛に変わった。足払いされて倒れる。
残された力を振り絞って、女を掴もうとしたが、伸ばした手は空を切った。
倒れる際に踏みつけられ、顔面が床に激突する。
「グラスウェン様、どこへ?」
「部屋にいろ! 危険だ!」
遠くに叫び声を聞いた気がする。
黒い奔流のようなものが、飛び込んできた。
そこでタカフミの意識は、ブラックアウトした。
**
ポケットが振動した。マリウスはエレアノに一言断って、デバイスを取り出す。
こういった物理的なパネルを持ち歩くのは邪魔だな、と思いつつ、ロックを外す。
通知があった。
"タカフミが重傷。マルガリータは寝てる"
マルガリータからのメッセージも来ていた。敷地内の地図。行先は第11棟。
マリウスは無言で立ち上がると、部屋を飛び出した。通路のソファーに座ってタブレットを見ていたポリーヌが、驚いて呼びかける。無視して第11棟に向かう。
「何事ですか!? エレアノ様、ご無事で?」
「グラスウェン様、どこへ?」
「部屋にいろ! 危険だ!」
長髪をなびかせ、黒い奔流のように駆けて行く。
第11棟の3階に飛び込むと、布の女は、タカフミの首筋に指をあてていた。
さっと立ち上がると、マリウスに対峙。
「どういうつもりか。我々は・・・」
マリウスに皆まで言わせず、女はナイフを投げた。2本。左右から挟み込むようなコースである。
マリウスはナイフを掴もうとするが、布の女がナイフを追うようにして肉薄するのを見た。ナイフは軽く弾くだけにして、腕を突き出す。
布の女はマリウスの突きをかわした。腕に顔をこするように肉薄し、マリウスの腹を殴る。マリウスは腰を引いて衝撃を流しつつ、掌底を相手に見舞った。女の顔を覆う布が揺れた。そのまま両者、後退して距離を置く。
音がした。布の女が耳を押さえる。何か連絡が入ったようだ。
部屋を見回すと、再びナイフを構え、投げた。だが標的はマリウスではなかった。
黒いナイフは、うつ伏せに横たわるタカフミの背中に、深々と突き刺さった。
既に意識はなく、刺突されても横たわる体は動かなかった。ナイフが跳ね上がり、傷口から鮮血がほとばしる。そのまま、布の女は、通路へと駆け出して行く。
「タカフミ!」
叫んで、タカフミに駆け寄った。今の様子では、肺に届くほどの深傷である。
マリウスはためらった。任務は、流出者の身元を特定することだ。追わねばならない。そして星の人の社会では、男のタカフミは、物でしかなかった。
「死ぬな!」
そう言い残して、布の女を追う。その先に流出者がいるはずだ。
**
戦いの喧騒が嘘であったかのように、静寂が部屋に広がる。
むくり、とマルガリータが体を起こした。まだ
「うわ、これは酷くやられましたね」
のろのろとタカフミににじり寄ると、左手のパネルをかざす。
それから止血スプレーを取り出すと、ノズルを傷口に差し込んだ。
傷の内側に泡を注入。パネルに表示された順に、止血を処置を進めた。
**
第11棟の屋上に出ると、大型のヘリコプターが、ローターを回して待機していた。流出者は既に乗っているらしい。
布の女が、側面のドアに飛び乗る。
直後、ヘリの機体が、一気に10メートルほど上昇した。
ストルミクの技術レベルでは、完全重力制御のエアカーは実現できない。
離着陸時などに瞬間的に重力制御を用い、あとは回転翼やジェットで推進する、ハイブリッド型が主流となっている。
「・・・番だ?」
ローターの騒音の中で、布の女が叫んだ。
「なんだ?」
聞き返す。
布の女は、ドアから身を乗り出すと、もう一度叫んだ。
「
マリウスは体をこわばらせた。
「番号を聞かれるいわれなはい」
上空でヘリが向きを変えた。
「追うな。次は殺す」
「私が負けるとでも?」
返事はなかった。マリウスは、ヘリが東へと飛び去るのを見た。
それから、先ほどの部屋へと、駆け戻って行った。
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