第6-4話:アナクレオン
「ところで」
マクシミリアンは、隣のマリウスを見た。
「マリウスが、クローンと戦ったそうだな。
遺体を調査した結果は――」
「あー! 来ましたよ!」
発言を遮られて、マクシミリアンの顔が、見る見るうちに「変形」した。
眉が吊り上がる。口角が下かり、歯が見えた。眉間には皺が寄る。
ふてぶてしいジョセフィーヌですら、身体をこわばらせて身構えるほどの、
だが肝心のマルガリータは、後ろを向いて、やってきた白いポッドを指差していた。
マクシミリアンは鼻を鳴らすと、いったん無表情に戻し、それから「やれやれ」という顔を作って見せた。一同、
「来ました。わたしからの差し入れです」
それは、一抱えほどある茶色い紙箱だった。表面に文字がたくさん並んでいる。
恐る恐る御前に進む。勇気を出して微笑むと、箱を渡した。
「こちら、地球のF国の戦闘糧食でございます」
「ありがとう」
受け取ると、マクシミリアンはにっこりと笑った。
マリウスがエレアノに見せた、ぎこちなさの残る微笑ではない。満面の笑顔だった。マルガリータはほっとした表情を返した。
それからファルコを呼んだ。顔は寸分も変化せず、お面のように笑顔を維持したままである。
「わたしは腹いっぱいだから、お前にやろう」
「ありがたき幸せ。
ところで、笑顔はもう仕舞われていいですよ」
指摘されて、元の無表情に戻る。
頬を揉みながらマリウスに言う。
「外交の場で表情を作っていると、顔が
「大変ですね」
さっそく箱を開けたツェレルが、カラフルな袋を取り出した。
「これ綺麗でおいしそう・・・チョコレートだ」
「ツェレルは食べたいものから食べるタイプですね。
最近はF国も民生品を使うようになって、カラフルになりました」
ジョセフィーヌは、慣れた手つきで缶詰を開けると、添付のスプーンで中身を一口すくった。肉と野菜をトマトソースで煮込んだ一品である。
「味はどうか」
「これは、なかなかのものです。戦闘糧食とは思えない」
「わたしも食べてみます」
「好きにするがよい」
マリウスも、箱の中身を取り出した。
いわゆる「三角食べ」はしない。しようと思わない。
並べたものを、端から処理する片付け食い方式である。
とりあえず、右端の一つを取り上げて口に入れた。
「ちょっと、それはビスケットに付けるのよ。
チューブから直接吸うなぁ!」
「それは何だ」
「これは・・・レバーです。玉ねぎやニンニク、牛乳が入ってます」
分析結果を報告した。
タカフミも最後に箱を受け取ると、しげしげと眺めた。
表面にはRATION DE COMBATの印字。きっと「レーション」とは読まないのだろうが、発音が分からない。
意外と重いな、と思ったら、缶詰が3つも入っていた。自衛隊の糧食がレトルトに移行して久しいが、F国ではまだ缶詰を使っているらしい。
主食はビスケットである。欧州軍ではこれがメインと聞いた。米飯主体の自衛隊とはこの点も異なる。
「ラーメンにしようかとも思ったのですが、あれはお湯が必要ですから」
マルガリータが自慢げに説明する。食べ物を前にして元気が出たらしい。
「それも戦闘糧食なんですか?」
「そうですよ~。地球人さん。
オセアニアで時折見かけます。AU国とか、その隣の・・・」
「その話は長くなるのか?」
はっ、と顔をこわばらせて、マルガリータは声の方を振り返った。
マクシミリアンが、感情の欠落した顔で見ている。
背筋を伸ばし、とても姿勢が良い。足は軽く開いている。
偶然なのか、マリウスも全く同じ姿勢である。顔の向きも同じ。もちろん表情はない。
2人が同じように見つめる姿は、不気味だった。
「は、はい。ただちに・・・」
マルガリータ、慌てて左手のパネルを操作する。
**
「マリウスと戦ったミランダは、えーと、その、
クローンでした」
マルガリータは、おどおどもじもじしている。
目の前の人が怖いからではない。
クローンの話をすることに、ためらいを感じていた。
手に持った空中ディスプレイ越しに、上目遣いでマクシミリアンの表情を伺うが、何の感情も読み取れない。
マリウスが、白いポッドを指差した。
「トイレならポッドにある」
「違うの!」
ツッコミで勢いがついた。報告を続ける。
「ミランダは、古い型のクローンでした。
D型です。
約2千年前のアップデートで、D型は制式から外され、除籍されました」
情報軍は、外交を司るだけでなく、失われた文明の遺構を調査し、銀河系史の編集も行っている。
そこには、星の人自身の失われた歴史も、含まれていた。
「除籍された者たちは、どうなったのか」
「ほとんどの人たちは、その後、軍務に復帰しました」
マルガリータ、一瞬ためらう。
「一部が、冷凍保存の実験に使われました」
「あ、あの、『冷凍保存』って書いてありますが、これは『冷凍睡眠』って言うべきですよね。てて訂正しておきますっ」
「本人の意図に依らず、強制されたのなら、保存で構わぬ。
冷凍保存技術は未完成だったな」
「はい。開発は中止されました。
理由は、再起動率が低く、起動しても身体や精神の欠損が激しいからです」
ツェレルの後ろで聞いていたタカフミは、ミランダの姿を思い起こした。
布で隠されていた顔は、皮膚が爛れていた。あれは、長期の冷凍が原因だったのか。
首から下は見ていないが(誓って言うが、見ていない)、他にも様々な損傷があったに違いない。
痛覚抑制できるクローンでなければ、耐えられなかっただろう。
「中止になって、冷凍されたクローンはどうなったんだ?」
ジョセフィーヌが聞いた。
マルガリータは再び、困ったような表情。
「大規模MIに払い下げ――その、
艦MIの
あと、ごく一部を、行政MIが受け取っています」
「その行政MIの名は?」
「アナクレオンです」
**
「D型が現れたということは、アナクレオンが黒幕なのか?」
意見を求め、マクシミリアンは皆の顔を見回した。
マリウスが小さく手を挙げる。
「行政MIは、相互チェックを行っています。
異常があれば分かるはずです」
ジョセフィーヌが、腕と足を組んだ姿勢で割り込む。
「だがな。ちょっと待ってくれ。
アジワブ家が、3世代に渡って取引した相手だが、それがずっとルクトゥスだったそうだ。
そうなると、アバターと考えるのが、妥当だろう」
「アナクレオンが、人間のフリをしていると?」
「ミランダにも、人間と偽って、命令していたのかも」
ツェレルが言葉を引き継ぐ。
「仮にルクトゥスに叛意があっても、行政MIをだまし続けるのは困難です。
・・・むしろ、MIの変調と考える方が、筋が通ります」
「変調とは何か」
「行政MIの相互チェックをすり抜けた。ということは。
恐らくですが、
アナクレオンは、『分裂』している」
マクシミリアンは、沈思黙考した。
並の人であれば、険しい表情をしたり、腕を組んだり、天を仰いだりするだろう。
マクシミリアンは、無表情で、視線も前に据えたまま、固まった。
「人形化」している。
タカフミとマルガリータは、マリウスで見慣れている。
ジョセフィーヌも平然と眺めていた。
ツェレルだけが、少し驚いた顔で見つめた。
やがて、マクシミリアンが口を開いた。
「行政MIアナクレオンの『変調』が、一連の事件の原因だと判断する。
アナクレオンを停止し、ヤヴンハールと、他の行政MIに診断させる」
横を向いた。
「マリウス。アナクレオンに気づかれずに、部隊を派遣し、停止させる方法を検討し、実行せよ」
**
会合は終わった。機動歩兵たちが椅子やテーブルを片付ける。
マリウスはタカフミに言う。
「右腕が治るまでに、方法を考えてくれ」
「あと2日で『直り』ますよね!?」
ファルコが、マルガリータに声をかけた。
「おい、その糧食、13番と交換しないか?
レートは1対5、いや、1対6でいいぞ」
「お断りしまーす」
「そんなこと言わずに。分かるだろ、俺たちの苦労」
「ええ。断るのは『交換』です。
葛籠の中身は、差し上げます」
「いいの!? 天使なのかっ? 有難ぇ!」
**
マクシミリアンはポッドでそのまま、「
「雷」は、皇帝座乗船である。
振り向くと、マリウスが無言で見上げていた。
「なぜ、我らは劣化したのですか」
マクシミリアンは、無言でポッドから離れた。
マリウスがついて行く。
兵士たちから少し距離を置いて、立ちどまり、振り向く。
「だれがそんなことを言ったのか」
「ミランダです」
2人の長髪が、風にそよいだ。
「劣化したのではない。
喪っていたものを、取り戻したのだ。
勝利のために」
「しかし、ミランダの方が強かったです」
「生きて立っているのはお前だ。
その意味を、考えるがよい」
それから、腕輪をかざした。
「この先も、悩むことがあるだろう。腕輪を繋げておこう」
スマホで連絡先を交換するようなものである。
腕輪同士を接触させた。
「お前にはお前の任務と生活がある。
わたしのメッセージに、慌てて既読をつける必要はないぞ」
「わかりました」
マクシミリアンは再びポッドに向かう。
傾斜路の上で振り返った。
「すぐに返信する必要はないぞ。
みな、分かりましたと言っておきながら、すぐに返信してくるのだ。
そういう嘘つきは嫌いだ」
無表情で痛みも感じないが、マリウスの性格はふてぶてしくはない。
最高権力者のメッセージを未読で放置するのは、非常に気が重い。
でも早過ぎると怒られるようだ。
マリウスは、”うわ、面倒なことになったな”と思った。
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