第三章:拡張
第3-1話:目覚め
今度ははっきりと目が覚めた。タカフミが目を開くと、医療ポッド内の白い天井が見えた。
体を起こそうとして、治療台に固定されていることに気づく。
外科手術用のロボットアームの群れが、腰の上あたりに吊るされていた。
蟹の脚のようなアームが、30本くらい。傘の骨のように、円く並んでいる。黒塗の表面が、不気味な金属光沢を放っている。
慌てて首を動かし、周囲を見回した。誰もいない。デスクや椅子の類もない。
壁面はロッカーのように区切られている。左には流し台やシャワーなどの洗浄設備が見えた。
深呼吸する。目を閉じて息を整えた。それから、自分の体に意識を向けた。
どこも痛くない。
再び目を開き、顔をしかめたり口を開けてみた。
床に叩きつけられた顔面にも、何の痛みも違和感もない。
腰は? 背中に感じた、灼ける様な痛みを思い出して、タカフミはぶるっと震えた。今はまったくの平穏だった。
大きく息を吸ってみる。肺や肋骨も、何ともないようだ。
ナースコールは無いのだろうか? 腕も固定されている。指先にはシーツの感触しかなかった。
顎を引いて、治療台の上を見回す。そうしたデバイスは見当たらなかった。自分の体は薄いベージュの患者衣を着ていた。
「目が覚めましたね」
急に呼びかけられた。はっとして見渡すが、やはり人の姿はない。
「タカフミ・コワキさんですね?」
「はい」
「まあ、知っていたけどね」
少し幼さを感じさせる声だった。
「痛みはないですか?」
「大丈夫、みたいです。何の痛みもありません」
立ち上がって動かしてみたいのだが。なぜ固定されているのか?
「では、今から――」
一瞬の間があった。
「開頭手術をおこないます」
「カイトウって、何でしたっけ?」
「脳を手術します」
はあ? タカフミは愕然とした。負傷の記憶は生々しいが、頭に不安を感じたことはない。
「何か問題があるんですか?」
「問題はないけど、改造するんだ」
タカフミは、手掛かりを求めるように、視線を左右に振った。
「あなたは誰ですか!?」
「わたし? わたしの名前はチェルチェル」
「医者ですか?」
「いや、MIだ。君たちが機械知性体と呼ぶものだよ」
「MIがなぜ!?」
「そんなに驚くことじゃないでしょ。
君の体だって、そこの医療ユニットが治したんだよ。
まあそのユニットは、医療専用で、知性はないけどね」
「手術は君が決めたのか?」
「わたしは命令に従っているだけ」
手術ロボットの腕が、いきなり動いた。準備体操をするように何度か伸縮。そしてタカフミの頭部に向けて移動を始めた。怖い! 怖すぎる。
「待て! 人体実験や改造は禁止されているはずだ!」
「そうなんだよ」
チェルチェルは、ため息のような音を出した。
「昔は自由に出来たのに、今はダメなんだ」
そこでタカフミは気づいた。モノである男は、そもそも「人」体に該当しないのか!
「司令! いませんか、司令!」
タカフミは叫んだ。
「マリウスのことか? 反対していたよ。
派遣元の政府が反発するという理由で。
でも、いざとなったら『事故死』で処理すればよい、と押し切られていた。
地球人には、ここまで調べに来ることも出来ないしね。
だから、『決定』はくつがえらなかった」
「本来、モノに説明などしないんだけれど。
今後も一緒に活動するので、差しさわりがないように、事前に説明することにしたんだ」
「じ、自分が納得するまで説明してくれるんですねっ?」
「いや、その必要性は感じない」
手術ロボットがタカフミの顔面に迫り、邪悪なクリーチャーのように、腕を(脚を?)広げた。
「最後に聞くけど」
「もう最後ですかっ」
「麻酔は要る?」
はぁっ!? タカフミは絶句した。
「要りますよ! だって切るんでしょう?」
「うーん、そうなのか。
最近は、麻酔がデフォルトになったと医療ユニットから聞いた。
昔は・・・クローンは、いくら刻んでも顔色一つ変えなかったから」
タカフミは、目の前で蠢く脚を凝視していたが、左腕に衝撃を感じた。
そこまでだった。自分が意識を失っていくことすら、気づかなかった。
**
夢を見ていた。
道場での素振りを、何度も何度も見た。前に進み、後ろに下がり、また前進。
腕を真っすぐ振り上げ、止め、一拍子ですぐに打つ。視界を流れる竹刀の動き。
送り足。視界がわずかに揺れる。足が床をこする音がやけにはっきり聞こえた。
普通の夢のように、非現実的だったり、曖昧ではなかった。過去の記憶が、触覚や聴覚も伴って、そのままに再生されているような感じだった。
素振りの合間に、それ以外の夢も混じった。試合もあったし、自転車で疾走するシーンもあった。
飛行機の窓から、陸地を俯瞰する場面もあった。富士山が見えた。
これは、「駅」建設への参加許可を得て、東京から帰る時のフライトだ。
叫び出したいような高揚感が胸によみがえった。夢なんだから、そのまま叫んでも良さそうなものだが、そうはならなかった。
また「場面」が変わった。
マリウスが、黒い軍服の袖をまくった。日焼けしていない肌の上を、赤い血が流れていく。止血スプレーの音。白い泡が肌の上に盛り上がり、縮んで粉雪に変わる。血の滴が、スローモーションのようにゆっくりと、床に落ちていく。
”そうだ、このあと着替えたんだ”
”あのピンクの服、まだあるんだろうか?”
”着てくれないかな、もう一度・・・”
**
夢の余韻を引きずりながら、ゆっくりと目が覚めた。
毛布が体にかかっている。ベッドの上に寝ていた。
陽の光が部屋に満ちている。壁は薄い茶色。白い医療ポッドの中ではない。
ベッドの横に、マリウスが立っていた。いつもの、シャツにホットパンツという格好だった。
「気分はどうだ?」
艶のある黒髪が、枕元に降りてきた。顔を近づけて覗き込まれている。
相変わらず表情はないが、大きな瞳でじっとタカフミを見つめていた。
タカフミは身じろぎした。肘を脇に寄せて、マリウスの顔を受け止めるかのように掌を上に向けた。腕は難なく動いた。足や腰も動く。拘束されていない。
ゆっくりと上半身を起こした。タカフミの動きに合わせ、マリウスの顔も上がる。
部屋の中を見渡すと、機動歩兵が2名。ちょっと小太りのブリオは、マリウスのすぐ後ろに控えている。ジルは腕を組んで、壁際に立っていた。真顔だった。タカフミと目が合うと、少し口元を緩めた。
タカフミは、視線をマリウスに戻した。
「痛みはありません。
長い夢を、見ていた気がします」
マリウスはなおも、無言でタカフミを見つめていた。瞳が素早く動き、タカフミの胸や腹、足を走査する。そして、耳打ちするように、顔を寄せてきた。
「目標は確保できなかった。
マルガリータは無事だ」
背を伸ばして顔を離すと、今度は右手を伸ばしてきた。
指先がタカフミの左のこめかみに触れる。
それから額、右のこめかみとスライドして、耳の後ろを上下に撫でた。
タカフミは驚いて一瞬硬直した。気を取り直すと、自分でも耳の後ろを触ってみた。手術の傷跡があった。うなじにも続いている。
では、あの、蟹のような脚は、夢ではなかったのか。
手を前に動かすと、耳の上で、マリウスの指に触れた。指と指が絡まり、タカフミの手の甲を流れるようにして、離れていった。
「髪が、もう生えてますね」
タカフミが驚いたのは、剃り跡に髪が伸びていることだ。1センチほどある。
「今日は、何月何日ですか?」
「地球の暦で、4月20日だ」
「4月ですか!?」
惑星ストルミクに潜入してから、3か月が経過していた。
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