第2-7話:青い微笑み
本邸に戻ると、エレアノとポリーヌが待っていて、食堂に案内された。
「ハマムはいかがでしたか?」
マリウスは少女の目を黙って見つめてから、
「とても快適でした。ありがとうございます」
と答えて、ぺこりと頭を下げた。
無表情なので分かりにくいが、本当にそう思って、感謝していた。高級なアロマオイルも泡洗浄も、マリウスの心には全く響かなかった。だが、熱い岩盤の上でのマッサージは心地よかった。
そして純真なエレアノは、当然、男性スタッフが施術したものと信じて疑わなかった。
広いテーブルの上には、いくつもの大皿や鍋が湯気を立てている。メインディッシュは各自の前に取り分けられており、さらに大皿や鍋から好きなものを取る、というスタイルだった。
奥には給仕が控えており、各種デザートが載せられたワゴンが見えた。あれは後で選べるらしい。
エレアノとポリーヌがテーブルの向かいに回った。こちらにも二席あった。
こちらにも二席あった。
「ビーッ、ビーッ、ビーッ」
突然、けたたましい電子音が鳴り響いた。
マリウス以外の全員が、ぎょっとした顔で、あたりを見回す。
マルガリータの頭上に、黒電話のマークが投影されて、ぴかぴか光っている。
「グラスウェン様、本社から至急電です」
「え? 本社って」
マルガリータは強引に、マリウスを通路に連れ出した。
**
「ひどいです。私の分がないなんて!」
「ロボットが涙ながらに訴えるんじゃない」
傍から見ると、冷酷なロボットに、女の子が泣いてすがっているようにしか見えない。
「この
「わたしよりもたくさん食べてないか?」
「全部テイクアウトですもん!
ちゃんとお皿に盛られた食事がしたいんです!」
「昨日、わたしのシャーベットを食べただろ」
「スイーツはいくら食べてもカウントに入らないの!」
マルガリータはマリウスに詰め寄った。
「アロママッサージが無いのはいいんです。
わたし精密機械ですから。水濡れ厳禁ですから。
物置に入れられて施錠されてもいいんです。
わたしロボットですから。
でも、でもでも、ご飯だけは(泣)。
マリウスからちゃんと言ってください!」
給仕の一人が、心配そうな顔をして声をかけてきた。
「何かお入り用なものはございますか?」
「ああ。実は、これが」
マルガリータを示す。
「そのう、『補給』が必要なんだ」
「ああ、そうでしたか」
給仕はすぐに、ケーブルを持って来た。
「こちらのコンセントをお使いください。
椅子は要りますか?」
パイプ椅子だった。豪勢な邸宅にあるのが不思議なくらい、そぐわない。
「なくてもよいが、あれば充電がはかどる」
「ではどうぞ」
そっとマルガリータに耳打ちする。
「諦めてくれ。後で何か買うから」
椅子に腰かけたマルガリータは、虚ろな目で前を見つめながら、
「わたしはロボット、わたしはロボット、わたしは・・・」
と呟いていた。
**
夕食は、会話を交えて、賑やかに進んだ。
一つには、出された料理がとても美味しかったからだ。
マリウスは美食で喜びを感じないが(まずくても何も感じないが)、味覚の分解能は異常に高い。使われているスパイスや食材を鋭く言い当てるので、一端の食通のように見える。
あとでマルガリータに教えてやろうと、頑張って「分析」した。
そして会話の方は、タカフミがリードして盛り上げた。
渡航準備の間、オラティスの商人として振舞えるように、あれこれ話題を仕込んでおいたのだ。
接客ロボットの企画担当という肩書なので、主にロボットに関するエピソードである。
「店員のロボットが、子どもを交通事故から救った」という話や、
「幼い頃に世話になったロボットに、銀河の反対側で、再会した。
ちゃんと私のことを覚えていてくれた」という類の、いわゆる美談である。
そこに「こんなところにもオラティスのロボットが!?」的なトリビアが加わる。
表向きは、にこやかにタカフミの言葉に興じながら、エレアノは心中、全く不満であった。
”グラスウェン様と、もっとお話したい!”
エレアノにとってマリウスは「運命の人」である。
人生にそうそう現れるものではないが、既に6人目である。
そのたびに「この方は本物!」と思うのだが、今回は特別感が半端ではなかった。美しさ、強さ、気高さ(無表情をどう捉えるかは人それぞれである)。これらすべてが、人の身に結実することがあるだろうか、いやない(反語)。
これまで、バカみたいな男の子に熱を上げたことがあったが、あの恥ずかしい失敗も、この運命を引き寄せるための試練だったのね――どこまでも自己中心的にポジティブなエレアノであった。
デザートも終わり、二人が暇を告げようとした。
「あの、グラスウェン様、もう少し、わたしの部屋でお話ししたいです」
「だめです!」
ポリーヌが即座に否定した。
「お嬢様もよいお年なのですから、みだりにお客様を部屋にあげてはなりません」
「でも、この方は特別なの!」
「物事には順序というものがございます」
にべもない。
無理に話題を変えるかのように、ポリーヌはタカフミに聞いた。
「ご滞在はいつまでですか?」
「商談が終わりましたので、もう数日で引き上げるつもりです」
"ええー、帰っちゃうの!?"
エレアノは泣きたくなった。
それを見たマリウスは、身をかがめて、正面のエレアノに顔を近づけた。
「元気を出してくれ、エレアノ」
そして。
一瞬、微笑んだのだった。
**
情報軍士官のツェレルが、ストルミク連邦での調査を、あれこれ段取りした。
女性はアジワブ社の研究所に近づけない。そこでマリウスを探し出したのだが。男装よりも、もっと切実な問題があることに気づいた。
「あなた、その不愛想な顔は、なんとかならないの?」
ツェレルは不愛想と言ったが、怒っているとか、機嫌が悪く見えるのではない。感情表現が欠落しているのだ。
「それで『商談に来ました』は、無理があるでしょう」
ツェレルは当初、マリウスに「嬉しい笑顔」「不満そうな顔」「不快そうに顔をしかめる」「驚き」といったパターンを覚えさせようとしたが、どれも上手くいかなかった。
人間には、微笑みを生み出す二つの「経路」がある。
一つは、感情に伴う自然な微笑みである。大脳基底核によって作られる。
もう一つは、意志によって生み出される微笑み。これは、言語中枢を含む、高次の思考中枢が起点となる。早い話が、作り笑いである。
マリウスは、「戦術上不利」という理由で、前者の経路を封じられている。
後者は、意識的な身体の制御である。指を動かして、ピアノを弾くようなものだ。つまり、難しい。長く厳しい鍛錬で可能にはなるが、そんな時間はない。
結果として、
タカフミが、任務遂行のため、アジワブ社やストルミク社会をあれこれ調べ、
マルガリータが、ロボットに化ける準備(各種ギミックの仕込み)を行う間、
マリウスはほとんどを「表情訓練」に費やした。
こうして、わずかに一つだけ、
一瞬の微笑みを、獲得したのだった。
**
エレアノはマリウスの微笑を目の当たりにして、息を呑んだ。驚きはすぐに陶酔に変わった。
"ああ! この出会いが、グラスウェン様のこころを融かしたんだわ。
グラスウェン様にとっても、これは『運命の出会い』なのよ!"
この時、エレアノの世界には、マリウスしか存在しなかった。
エレアノの心象風景では、世界はどこまでもエレアノを中心に回っているのだ。
「ここで話せないなら、別な場所にいこう」
「別の・・・場所ですか?」
「研究所を案内してほしい」
エレアノは、アジワブ社のロボット事業を知らなかった。研究所があることも。
「わたしは、詳しく知りません」
「案内そのものは、研究所の人に任せればいい」
エレアノは悟った。そうか。そうやって案内している間に、二人きりでお話しする時間も作れるに違いない!
立ち上がった。
「研究所の名前を教えてください」
「ヴァイスハウゼ」
エレアノは猛烈なスピードで動き出した。ポリーヌが「いや、まずお父様に」「研究所の者に連絡して・・・」と諫めるのを無視した。自分自身が乗り込むことで、事態が大きく動き出すことを、若年の身で既に体感していたのである。
20分後。エレアノが戻ってきた。
「明日の朝、7時にお迎えに上がります」
研究所側が余計な策を弄する前に、急襲する算段である。
「ありがとうございます。
朝駆けか。いいな。楽しみです」
マリウスは会釈したが、微笑みは浮かべなかった。
その顔を、エレノアは食いいるように凝視していた。
ポリーヌがスタッフたちに向かって、何やら喚いている(指示している)のを遠くに聞きながら、2人と一体は館を後にした。
**
「ううっ、ぐす。バリバリ。
それで明日は、ひぐっ、何をはなふんです、バリバリ」
「泣くか話すか食べるか、どれか一つにしてくれ」
「バリバリバリ」
もう遅い時間なので、テイクアウトはどれも終了していた。
ようやく手に入ったのは、固く焼いたパン、あるいはビスケットのような食べ物だけ。肉のペーストや、ジャムをつけて食べる。ほとんど野戦食である。
「わたしが時間を稼ぐから、二人で流出者を探して欲しい」
「エレアノちゃんと二人きりになったら、何を話すんですか?」
「さあ。何を話せばいいんだ、タカフミ?」
タカフミは頭を抱えた。男として30年近く生きているのに、自分の体験として何も語れないのが不甲斐ない。推測で答える。
「多分、マリウスのことを、色々聞いてくるでしょう」
「例えばどんなことだ?」
「ええと、好きな食べ物とか」
「13番だな。戦闘糧食」
「それだけはやめなさい」
「あとは、『好きな人はいますか?』とか、聞かれるかもしれません」
「なんて答えるべきなんだ?」
タカフミは腕を組んで考えた。
「変に取り繕うのは、不自然でしょう。
ありのままに、こころに浮かんだことを、話すのが良いと思います。
オラティス人らしく聞こえるように、多少、脚色しながら」
※著者注。「グラスウェン」は、ウェールズ語で「青い微笑み」を意味する。
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