第2-5話:決闘3
ストルミクの言語は、タカフミが学んだ帝国語とだいたい同じである。マリウス曰く「元が同じだから、方言のようなもの」。
だが看板の文字は、タカフミには読めなかった。カリグラフィーのような飾り文字かと思ったが、バリエーションが多彩過ぎる。表音文字ではないのかもしれない。
「何という店なんだ?」
「俺は縮めて『チェン・マー』と呼んでいる」
外観の暗い印象に反して、店の中は明るかった。
中央に長方形の調理場があり、料理人が忙しそうに腕を振るっている。
調理場を囲むようにカウンター席がある。その回りに、大小のテーブルが並ぶ。
どの席も、十分な間隔をおいて配置されているので、落ち着いて食事を楽しめそうだ。
「ここの激辛料理を、先に食い終わった方が勝ちだ」
店長から、メニューを受け取ると、ヨランが開いて見せた。席には置いていない特別メニューらしい。いかにも辛そうな真っ赤なスープが写真に写っている。
「何ですか、そのふざけた決闘方法は!」
「いやなら、断ってもいいんだぞ」
エレアノとヨランが言い争う中で、タカフミとマリウスは無言でメニューをめくった。
「1~8というのは辛さのランクでしょうか?」
「そうだ。決闘だからな、最上位の1番に挑む」
「食べたことがある?」
「昔な。若い時分だ。かなり辛かった」
辛さに耐性があるのか。これは不利すぎる。タカフミが考え込むと、
「これは?」
とマリウスが、メニューの最後のページを指し示した。
店長が、お勧めしない、という感じで顔をしかめ、首を振った。
「特別メニュー『極み』。
辛さを極めるために作ったが、完食した者はいない。
もし完食すれば、季節のシャーベットをサービスします」
「これが一番辛いなら、これにしよう」
マリウスが無表情に言った。
ヨランは真剣に悩んだ。あれは人が食べるものではないと聞いている。
だが、この店に来る間に、企業人としての思惑が頭をもたげていた。
代理人とはいえ、倒せばアジワブの不興を買うだろう。かといってエレアノの言うままに、自分の発言を訂正するのも面白くない。
ここはひとつ、両者ともリタイアで終わらせるのが良さそうだ。
それに、辛いもの好きとして、あの「極み」も、いつかは挑戦したいと思っていた。どうやら、その機会が訪れたようだ。
ヨランはマリウスの提案を受け入れることにした。
こうして決闘は「極み」の早食い競争と定まった。
**
準備は異様だった。
店長は店を臨時休業とした。決闘関係者以外の客を閉め出す。
次に、中央の調理場を、透明なシートで囲った。
マスク、ゴーグル、手袋にレインウェアで完全防御した店長だけが調理場に入る。
スパイスを鍋に注ぐと、赤い霧が舞う。マスクをした店長は、時折激しく咳き込み、脂汗を流しながら具材を仕込んでいく。涙で手元が良く見えない。だが、ゴーグルを外すわけにはいかなかった。
料理を準備する姿から、かけ離れた光景だった。
こうして提供された「極み」。それはもう、「辛いスパイスを使った料理」ではなかった。「禍々しい赤い香辛料の隙間に、スープや肉、野菜が埋もれている」という形容が相応しい。
「では、始めなさい」
口元をトーガでおおった老人が宣言した。
ヨランは、恐る恐るスープをすくうと、口に持っていった。
近づけるだけで目がしみる。
思いきって口に入れる。
次の瞬間、体面も作法も忘れて吐き出した。口の中が燃えるようだ。喉への刺激も強烈で、激しく咳き込む。息を吸うのも困難で、ヨランは命の危険を感じた。
「ちょっと、けほけほ、一滴ここに入れて」
マルガリータが左手のパネルを店長に差し出した。
ロボットがむせこ込むことにツッコミを入れる余裕は誰にもなかった。
コンタクトレンズほどの小さなトレイが突き出ている。そこに赤い液体が垂らされると、慎重にトレイを収納した。
「100万スコビル・・・」
「危険そうな数値だな」
「タカフミ様の目は節穴ですか。
一般的な催涙スプレーが、8万くらいですよ」
ヨランが悶えるのを、マリウスは冷静に(無表情に)眺めた。
それから、食器の中を箸で探る。真っ赤なスープの中に、肉の塊と、野菜、そして麺が漬かっていた。麺がスープを吸って肥大すると、食べるのが厄介だ。
ならば、先にスープを片付けるべきだ。そのように判断した。
マリウスは、丼のような食器を両手で持ち上げた。スープの半分以上は赤い香辛料で出来ている。
「グラスウェン! 止めるんだ!」
丼を唇につけると、口の中に流し込む。
「やめろ・・・」
敵であるヨランまで、息も絶え絶えに、制止した。
マリウスは止まらない。背筋を真っ直ぐにのばし、「注入」を続ける。
誰もが息を殺して見つめた。
嚥下する音が聞こえるほどの静寂。
丼が卓上に下ろされた。スープ完飲だった。
それから、黙々と、麺や具材を口に運ぶ。
マリウスは食べる姿も美しいな、とタカフミはぼんやり思った。
肉の欠片で、器に付いたスープを拭きとって、それも口に入れる。
それから、手を合わせて、
「ごちそうさま」
と言うと、トーガ服の老人に丼を見せた。
老人は「グラスウェンの勝利」を宣言すると、ヨランとエレアノを連れて店の外に出ていった。
「こちら、完食祝のシャーベットです」
店長は、人外を目の当たりにしたような恐怖の表情を浮かべ、ガラスの器に盛った氷菓を置くと、ヨランたちを追って外に出た。
店内は、3人だけになった。
マリウスはマルガリータを手招き。
「食べるか?」
「わーい」
大丈夫ですか、と聞こうとして、タカフミは思い止まった。唇が少し腫れている。皮膚を侵食する辛さなのだ。
タカフミの戸惑う顔を見て、マリウスが口を開いた。口内が赤い。
「味覚には、甘、塩、酸、苦と、うま味の五種類がある。
だが辛味は、痛覚なんだ」
「じゃあ、辛味も痛覚抑制の対象ですか?」
マリウスが口を拭いた紙が、赤く染まる。
「もちろんだ。完全抑制。なんともないぞ」
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