酸っぱい(におい2)

森下 巻々

(全)

   *

 春にしては気温の高い日だった。

 上京したてのセイジは、大学の授業を終えてから、

「森下の部屋、ヤバイんだって! アイツの住んでるアパートに行ったらさあ、酸っぱいようなにおいが充満してたんだぜ。アイツに言ったんだけど、気にならないけどなあ、だって」

「そうなんだあ……」

 セイジの横には、彼が一目惚れした相手、モエカが歩いている。

 本当ならば、手を繋ぎたい気分だ。

 やがて、彼女が、

「……ここだよ」 

「ああ、ここなんだあ。新しそうな立派なマンションだね」

 モエカの住んでいる部屋に入れることになって、セイジは昂奮してきた。

 三階まで上がって、彼女の部屋に到着。

「どうぞー」

「ああ、はい。おじゃましまーす」

 玄関からの廊下を歩きながら、セイジは違和感を覚えた。

 何やら、臭うのである。

 この前、別の知人の部屋で臭ったのと同じ、酸っぱいにおいだ。 

「あの……、モエカちゃんって料理するの?」

「うううん。しないよ」

「そう……」

「どうしたの?」

「いやあ、食べ物とか、きちんと冷蔵庫に入れてるのかなあって」

「うん!? それって、どういう意味?」

「いや! あの……、なんていうか、なんか臭わないかなあ?」

「……どこが?」

「……どこがって。だって……」

「嫌なら、帰ればいいじゃない!」

 モエカの表情が強い怒りを示すものだったので、セイジは謝った上で、帰宅したのであった。

   *

 アパートの自分が借りている部屋にセイジは入ったのだが、

「うん? なんかくさいな」

 今日、モエカの部屋で感じたのと同じ酸っぱいにおいである。

 自分の部屋で、こんなにおいがするはずがない。食べ物を腐らさせてしまっている訳もない。

 不動産会社に電話してみたが、そんな訳はない、食べ物等身の回りのものを確認してみてほしい、との回答だった。

 彼はイライラしたが、夜には、においがなくなっていることに気づいた。そして、二、三日は問題がなかった。

   *

 しかし、昼の内に大学から帰った日に、また酸っぱいにおいがした。しかも、強いにおいだ。

 セイジが、ドアを開けて外に出ると、同じ階の住人の高齢の女性と目が合った。

 彼がよほど変な表情をしていたのだろう。女性が、

「もしかして……」

   *

 彼女が言うにはこうである。

 セイジの部屋には、昔、若い男女が出入りしていたのだが、男が行方不明に、女は栄養失調を原因に亡くなっているのが後に見つかったという。その際、台所の鍋にはカレーが腐った状態で入っていたという。若い女の残した日記によれば、相手の男の大好物なのだった。

   *

 高齢の女性が、

「うちの部屋で休んでいきなさいよ。冷たいお茶でも飲みなさい」

「はい……」

「どうぞ、散らかっているけれど」

「はい……。うん?」

 セイジは、彼女の部屋にお邪魔して、カーペットに座ったのだが、においを感じ始めていた。

 カレーのにおいだ。

 中年女性がキッチンの方から、おぼんに食器を載せて近づいてくる。

『あなたは食べてくれるわよね』

 彼女の声は、先ほどとは異なり、若々しかった。

   (おわり)

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酸っぱい(におい2) 森下 巻々 @kankan740

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