努力ってなんだろう

 努力ってなんだろう。

努力とは目標のための過程をより良くするためのものである。努力して生まれた成果と努力せずに生まれた成果とでは雲泥の差がある。


 だけど、努力の仕方を間違えれば理想とかけ離れる結果が待っていることも事実である。


 自分が正しいと思うことを突き通すことは素晴らしいこと。だけどそれは自分にとってのこと。その結果が、成果が、周りに影響するのであれば努力の仕方を変えてみるのもひとつの手段かもしれない。


 小学校の算数の授業を全く聞いてこないで中学に上がったとする。そして中学生になってから小学生の算数を習ってみればどうだろう。簡単すぎて笑えてくる人は少なくはないのではないだろうか。要するに小学校の授業を聞いてなくても中学になって自分で勉強すればどうにでもなるって話だ。


 成果を出したいのなら努力をする『時』を選んで努力すべきなのではないだろうか。大事なのはタイミング。


 何をどこで、誰と、どうやって努力するのかを決めるのは大事なことじゃないのかな、と僕は思う。


 まずは目標を立ててみたらどうだろう。僕みたいに目標が無くて、だけど望みはあるっていうだらしない人間になるのはやめて欲しい。


 僕の実体験では努力の成果は人によっては無駄にしか感じないことだってあった。


「英語のテスト97点!」

親に1度自慢げに言ったことがあった。でも帰ってきた言葉は

「なんでそんな簡単なテストで100点取れないの」


 その通りだった。僕の努力の成果は母にとっては大したものでは無い。


 だから世の大人は寝言は寝て言えと叱ってくる。夢を語れば批判し、諦めろと言ってくる。子供には何もできないと大人は分かってるから。


 だけど努力をしてみれば成果がでるかもしれない。しかし今の世の中の子供は大人に努力を始めることすら許されないことだってある。


 普通=特別。努力の成果ってのはこんな方程式を作ることができるんですよ。


結果=努力

結果=普通

普通=努力

ってことです。


 努力をすれば結果が出る。結果を出し続ければそれが普通になる。要するに努力を続ければ普通を手に入れることができるんです。昔夢見た特別は、努力さえすれば普通のことになるんです。


 凄いですよね。結局は努力を続けることが大事なんです。その成果が納得のいかないものだったとしてもその失敗は次の努力の大きな糧になるんじゃないかと僕は思います。


 けど結局を言ってしまえば、努力すると言っても人それぞれの目標が同じってことはありえないんですよ。もし大部分の目標が同じだったとしても、細部の目標、ちょっとしたことが違うんです。


 全く同じ目標を抱える人なんていない。そんなことは当然です。だから人それぞれ努力の仕方がある。


 何をどこで、誰と、どうやって努力するのかを決めるのば自分なんです。他人に頼ってもそれは客観的な意見でしかないんです。目標が違うのならば個人で努力するしかないんです。


 そうとは言っても、客観的な意見を受け入れるのはとても大事なことです。


 なんなんでしょうね。目標も違って、成果も、結果も異なる。それが努力の最終的な形です。


努力って難しい。


 努力ってなんだろう。



               [完]


 

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