呪い

夜海ルネ

第1話

 窓は無垢な白雪の色に染まり、反射した自分の生気のない顔すら雪景色に溶け込んで見えた。

 十二月の盛り、この時期になると毎年雪が降り積もる。ひどく静かでひどく寂しい。

 世界が僕を嘲るようだった。独りで生きている僕を笑い飛ばしているようだった。


 この病室に世話になって、一体どれだけの時間が経ったろうか。おそらく何十年——。僕はあまりにも老いてしまった。皮膚にはシワひとつなく、髪も黒髪のまま。それでも僕は確実に老いている。体のずっと奥、心の深奥はもうすり減っている。ぎりぎり、ぎりぎりと年を経て削られた精神。この心は、どんな治療を施してもきっと治らない。


「お体の調子はいかがですかー?」


 看護師の若い女性が伸びやかな声を投げてきた。いかにも未来ある者の目、声。輝きと生気に満ち溢れている。


「そろそろ、死にたいです」


 女性は困ったように小さく笑った。申し訳なく思った。毎日毎日こんな老いぼれの妄言を聞かされては精神的にやられてしまう。現にこの女性の前に僕の病室へやってきていた看護師は見事に痩せて血色も悪くなっていた。

 気味の悪い患者の相手を毎日させられ、精神を病んでしまうのは当然といえた。


「でも、死ねないじゃないですか」


 静かな声で看護師は言う。諭すような、はたまた子供に言い聞かせるようなふわりとした口調で。


「……すみません、困らせるようなことを言って」


 看護師の女性はいっそう眉尻を下げて、顔の前でいえいえ、と恭しく手を振る。




 再び一人になった病室で、窓の外を眺めた。雪景色に埋もれるように宿木を目にする。花言葉はなんだっけ、思いを馳せた時に数十年前の誰かのセリフが脳裏によぎった。


「宿木はいつかくる春を待って、長い冬の寒さに耐えているのかな。それなら君もきっと、私が死んだ後はそんなふうに生きていくんでしょうね」


 ハッと息を呑んだ。そうだ君は、数十年前、たしかに僕が愛した人。それまで女が死ぬたびに新たな女と関係を持ってきた僕の、「最後の人」。


 死にながら生きていた僕に降りかかった最大の呪い。その正体は君だった。

 忘れられない人だった。


「宿木の花言葉は、『忍耐』と『困難に打ち勝つ』なのよ」


 記憶の中の彼女が柔らかく微笑んだ。


 僕はまた生きてゆこう。やがてくる春を待ち侘びながら、長い冬を耐え抜くのだ。

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呪い 夜海ルネ @yoru_hoshizaki

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