第15話 魔女の修行 後編

 エメロードに吹っ飛ばされて、"霧の森"を彷徨ってから丸1日が経過していた。


 彼女に一言文句を言ってやろうとしていた意気込みはどこへやら、俺の気力と体力は底をつき欠けていた。


 ローレットから借りた服は既に穴だらけ。


 まともな水も食料も無い上、睡眠でもしようものならあっという間に獣には襲われてしまう。


 はっきり言おう。


 これだったら奴隷生活の方がまだマシである。


 あそこでは食事も供給されたし、雑魚寝とはいえ就寝時間もきちんとあった。


 魔法が使えるようになったとはいえ、風魔法では火を起こすことも出来ないから、獣を狩っても生肉なんて食べられない。


 野草や生水もそのまま口に含むのは危険だ。


 ただ、この1日でエメロードが俺に何をさせたいのか、ぼんやりと分かって来た。


 彼女は俺に『生きる為の力』を養わせたいのだ。


 この先、俺の人生に何が待ち受けているかはわからない。


 だが、何があっても一人で生きていけるように、俺を極限状態に追い込んでいる。


 それに多分、本当にヤバくなったらエメロードが駆けつけてくれるという読みもあった。


 俺が初めてこの森に入って獣に襲われた時、彼女はすぐに救助に来ていた。


 この霧は彼女の魔力で出来ているとも言っていたから、森の中であればどこに誰がいるか察することが出来るのだろう。


 しかし――


 このまま森に倒れて、再びエメロードの世話になるのもしゃくである。


 どうにか自力であの家まで戻りたいのだが、如何せん足がもう棒のようで動かない。


 せめて、火を起こすことが出来れば食事が出来るのだが。


 ……


 …………


 ………………いや、待てよ?


 風魔法だって使い方次第では、火を起こすことが出来るんじゃないか?


 俺は周囲を見渡して乾燥している木の枝を見つけると、それを手近な岩の上に置いた。


 俺はこれまで真言魔法しか使って来なかった。


 真言魔法は魔法書に記載されている文言をそのまま唱えるだけで発動する。


 だが、想意魔法を使えば、書物に記載されていない魔法だって使えるはずだ。


 俺はまず、周辺に展開している霧を風魔法で吹っ飛ばし、周囲から湿気を取り除く。


 次に神経を研ぎ澄ませ、頭の中で酸素を圧縮させ、更に可燃性ガスを集めるイメージを作っていく。


 風魔法というのは単に風を起こすだけではない。


 やり方次第では気体をもコントロールすることが出来るのである。


 頭の中でイメージした圧縮酸素と可燃性ガスを体内の魔力と結合させて、先ほど岩の上に置いた木の枝の周辺に展開させる。


 あとは、木の枝を置いてある岩に向かって石をぶつけ、火花を起こせば――


「おぉ、燃えた……!」


 岩の上に置いてあった木の枝に火が付き、メラメラと燃え盛っていた。


 どうして人間は火が付くとこんなに心躍るんだろうな。


 ――と、感動している場合じゃない。


 火が起こせるなら森の中は食料の宝庫だ。


 色々と試してみるか。


 不思議なもので、さっきまで足が棒のようだったのに生きる希望を取り戻すと自然と体が動くようになっていた。


 俺は森の中を流れている川を見つけると、川の中にシャボン玉のような空気の膜を魔法で作り、その膜の中に水を閉じ込める。


 水を閉じ込めた膜を操作して、火の近くまで慎重に運び、熱する。


 やがて、膜の中の水だけがボコボコと煮沸を始めた。


 もう十分だろう。


 俺は煮沸された水の入った膜を再び川の中に戻すと、ジュゥゥゥという蒸発音が森の中に響き渡った。


 こうやって一旦、煮沸した後に冷却すれば、川の水だって飲めるようになる。


 俺は水の入った膜を川から引き上げると口元まで運び、膜に穴を開けて中の水を貪るように飲み干した。


 ……あぁ、生き返る。


 俺にとって幸運だったのは、俺の魔力量が尋常ではないほどに大きいということだった。


 昨日から魔法を使っているのに、一向に尽きる気配がない。


 エメロードがこの森に霧を発生し続けるのに、どれほどの魔力を費やしているのかは定かではないが、俺はその彼女に近しい魔力を有しているという。


 俺が普通に魔法を使う分には、風呂一杯に張ったお湯を小さなスプーンですくい取るくらいの魔力しか消費しないのだろう。


 生きる力を取り戻した俺はその後、獣を狩って肉を焼き、食事を始めた。


 野生の獣は筋肉質で硬く、きちんと血抜きをしないと血生臭くて食えたもんじゃない。


 しかも、そうやって手間暇かけて下処理をしても、調味料がないからほとんど味がしない。


 何も食べないよりは遥かにマシなんだが、次回からはエメロードの家から塩でも持ち出そうか。


 ――って、次回があるのか、この修行には?


 エメロードは無表情で必要なこと以外は喋らないから、何を考えているからさっぱりわからない。


 いや、今はエメロードのことはどうでもいいか。


 食事を終えた俺は、再び川の水を熱してお湯を作ると、体中の汚れを洗い流した。


 ボロボロで汗まみれの衣服も川で洗って、風魔法を使って乾燥させてから再び着込む。


 あとは防御魔法を展開させ、獣から身を守る準備をしてから、木の枝に寄りかかってひと眠り。


 こうして自ら創意工夫し、体得した知恵はやがて血肉となり、誰にも奪われない至高の財産になる。


 きっと、エメロードの教えは『教えない教え』なのだ。


 先に正解を与えてしまっては自分で考える力も、乗り越える力も養われないからな。


 ――と言えば聞こえはいいが、さすがにこれはスパルタ過ぎるだろ。


 ローレットもこんなに厳しい指導を受けたのだろうか……


 そんなことを考えていたら、俺は自然と霧深い森の中で深い眠りへと落ちて行った。

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