第16話 姉弟子 前編

「よ、ようやく……帰って来れた……」


 森を彷徨うこと3日目、とうとうエメロードの家に辿り着くことが出来た。


 上半身を覆っていたトレーナーは既に破けて使い物にならず、俺は半裸の状態でエメロードの玄関扉の前に佇んだ。


 この戸を開けたら、第一声にこう叫んでやるのだ。


「ざまあみろ、このクソババア!! 生きて帰ってやったぞ!!」と。


 あの無表情がどんなツラをするのか、今から楽しみで仕方がない。


 俺は逸る気持ちを抑えつつ、ドアノブへと手を伸ばした。


 次の瞬間――


「――ぶっ?!」


 玄関扉が俺の方に勢いよく開けられ、俺は顔面に扉の一撃を食らってしまった。


「――あら?」


 俺が顔面を抑えてその場でうずくまっていると、扉の中からローレットが顔を出す。


「ぜ、ゼフィール君?! ご、ごめんなさい!! まさか、外に人がいるなんて思わなくて……!!」


「……いや、問題ない……」


 俺は涙目になりながら強がりを言ってのける。


「本っ当にごめんなさいっ! 治癒魔法が使えたらいいんだけど、わたしが使えるのって氷属性だから……!」


 氷属性、だと……?


 急激にイヤな予感がして来た。


「そ、そうだわ! 腫れた顔を魔法で冷やしてあげる!」


「バッ、ちょ――」


氷柱の雨アイシクルシャワー!!」


 ローレットの放った魔法は無数の氷柱となり、俺の顔面に襲い掛かって来た。


風の防壁ウィンドバリア!!」


 間髪を入れずに風のバリアを展開させ、ローレットの魔法を防ぐ。


「あら、防いじゃった?」


「当たり前だ! 殺す気かっ」


 この美少女、本当に生徒会長なのか?


 確かに魔法の威力は凄まじかったが……


「――何だ、騒々しいな」


 扉の奥からエメロードが顔を出していた。


 彼女はいつもの無表情で俺達を交互に見比べると、事態を瞬時に理解したのか、ローレットの額を軽く小突いていた。


「ローレット、そのおっちょこちょいはまだ治らんのか」


「す、すみません、先生……」


 崇拝するエメロードに叱られ、シュンとするローレット。


「それからお帰り、ゼフィール。どうやら修行の成果があったみたいじゃないか」


 エメロードはそう言って、微笑んでいた。


 ……ちっ、そんなモナリザみたいな微笑を見せられたら、クソババアなんて言えなくなっちまったじゃないか。


「何が修行の成果だ。いきなり吹っ飛ばしやがって、児童虐待もいいところだぞ」


「そうか、それは悪かったな。安心しろ、明日はもっと遠くに飛ばしてやるから」


「悪化してるじゃないかっ」


 まあでも、ということは、今日はもう休んでも良さそうだな。


「しかし、お前もちょうどい良い所へ帰って来たな。これからローレットが町へ買い出しに行くんだ。お前も一緒についていけ」


「……は? 買い物?」


 俺、命からがら森の奥から生還したばかりなんだが?


「そんな半裸で家中をウロウロされたら迷惑だし、自分の服でも買って来い。ついでに、好きなお菓子を何でも1つだけ買って来ていいぞ」


 いや、お菓子って……


 子供騙しじゃないんだからさ……


「何だ、不服か?」


「当たり前だ」


「仕方ない。お菓子は2つまで許可しよう」


「数の問題じゃねえよっ」


「そうですよ、先生」


 ローレットが俺に加勢してくれる。


「ゼフィール君くらいのお年頃なら、お菓子よりもおもちゃの方が――」


「要らねえっつのっ」


 疲れるなぁ……


「まあ、それくらい元気があるなら買い出しくらいは行けるだろう」


「……町に行くのは別にいいんだがな。せめて上着くらい貸してくれ」


「あれこれと我儘の多いヤツだな」


 これは我儘なのか?


 人として最低限の要望だと思うんだが……


 結局、エメロードからダボダボのトレーナーを借りた俺は、彼女の浄化魔法で汚れを落としてもらうと、ローレットと一緒に町へ買い出しへ向かうこととなった。


「……つーかさ」


 俺は隣を歩くローレットの整った横顔を見上げながら呟いた。


「何でしょう?」


「どうやってこの森を抜けて町へ行くんだ?」


 俺が先ほどまで、3日間も彷徨った迷路のような森である。


 ローレットは何の迷いもなく歩いているが、おっちょこちょいの彼女に任せていいものが、疑問を呈さずにはいられなかった。


「簡単ですよ」


 ローレットは器用にウインクをすると、近くにあった川を魔法で凍らせていた。


「ほら、ね?」


「いや、『ほら』とか言われても。全然わからないんだが……」


「えーと、ですね。この森にはいくつかの小川が流れています」


 それは知っている。


 ずっと川の水には世話になっていたからな。


「そして、これら小川は森の外へ通じています。つまり――」


 ……またもや、イヤな予感がした。


「――こういうことですっ」


 ローレットは俺の体を凍らせた川の上にドンっと押し込むと、そのまま俺の背中を押して、氷の上を滑り出した。


「ちょ、待っ――」


「はぁい、口を閉じててくださいねー? 下を噛みますよー?」


 ローレットは精密な魔力制御で、凍った川の上をスケーターのようにぐいぐいと進んでゆく。


 しかし、森の小川は一直線ではない。


 グネグネと曲がりくねっており、その度に摩擦係数を無視するが如くローレットが魔法で急旋回をするものだから、心臓に悪いことこの上ない。


「――はい、ご到着~」


 気が付けば、ものの十数分で町の前に到着していた。


「……あ、あの川、町と繋がってたのか……」


「そゆことです」


 右手の人差し指を立てて、再びウインクをかますローレット。


 その仕草が妙に腹立たしいのだが、彼女の魔法センスは本物だった。


 氷の上を滑る進行速度に合わせて川を瞬時に凍らせる一方、過ぎ去った背後の氷は一瞬で溶かしていた。


 並大抵の腕ではない。


 魔力量、魔法制御力、そして常識にこだわらない柔軟な発想力。


 いずれも魔法使いの腕としては一流と言っていいだろう。


「――えいっ」


 そんなローレットは何を思ったのか、俺の背後から抱き着いて来た。


「…………何してんだ?」


「えっへへ~。さっき、ずっと君の背中を押してたけど拒絶しなかったでしょ?」


 拒絶をする暇も無かったからな。


「だからね、今ならゼフィール君に触れられると思ったの。ん~、カワイ~。わたし妹はいるけど、弟も欲しかったんだよね~」


 背後から俺の頭を撫でまわすローレット。


 俺がそれを振りほどこうとするも、物凄い力で押さえつけられており、まったく動かせなかった。


「ふっふっふ~。甘いよ、ゼフィール君?」


 頭上からローレットの腹立たしい間延びした声が聞こえて来る。


「エメロード先生は体術も達人クラスなの。その手ほどきを受けたわたしに、今の君では勝てないんだよね~」


「エメロードの教えは『教えない教え』なんじゃないのか?」


「おっ、修行開始3日目でそこに気付くとは中々やるね~」


 ローレットの俺の頭を撫でる手が、より強くなった。


「確かに先生はあんまり教えというか、修行の中身について詳しくは説明してくれない。でもね?」


 ローレットは俺から離れると、俺の身体をくるりと回転させて自分の真正面に立たせた。


「『教えてください』って素直に尋ねれば、先生は何でも答えてくれるんだよ」


 この時ローレットが見せた無邪気な笑顔は、エメロードへの疑いようもない信頼が滲み出ていたのだった。

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