第11話 霧の魔女 前編

「落ち着いたか?」


 俺の涙が枯れ果てたタイミングを見計らって、彼女がそう問いかけて来た。


 首を縦に振ると、彼女は涙と鼻水でグシャグシャになった俺の顔を魔法で綺麗にしてくれた。


「……悪かったな、こんな見っともない真似を――」


「だから、子供が妙なプライドを振りかざすなと言っている」


 ずっと無表情だった彼女が初めて見せてくれた表情は、呆れ顔だった。


 そんな彼女に介抱されながら、俺は差し出された食事を全て平らげ、心はすっかり満たされていた。


「少年、まずはお前の名前を聞かせてもらおうか」


「ゼフィールだ」


「ではゼフィール。お前は一体何者だ? ?」


 妙な質問だな。


「どうして入って来た?」ではなく、「どうして入って?」とは。


 その質問の仕方ではまるで、この森へは普通の方法では入れないとでも言っているかのようじゃないか。


 ともあれ、俺はここへ至るまでの経緯を説明した。


「……なるほど。皇国の奴隷だったのか」


 風呂にも入れない奴隷の俺だったが、身体の汚れは俺が目覚めた時には彼女が魔法ですっかり落としてくれていた。


 まったく、魔法ってのは便利なものである。


「だが、今の話では、私の質問に答えたことにはならない」


「逆に訊きたいんだが、普通の人間はこの森に入ることが出来ないのか?」


「この森の霧は私の魔力で生み出されている。ゆえにこの霧を突破して森の中に入ることが出来るのは、私が認めた魔力量の持ち主のみ。すなわち――」


 彼女はそこで一呼吸置いてから、こう告げた。


「――魔法が使える者のみだ」


 魔法が使えれば誰でも入れるわけではなく、ある一定基準の魔力量を有した者だけがこの森に入れるということか。


「……じゃあ、俺は何なんだ?」


「だから、それを私は問うている。ゼフィール、お前は魔法を使ったことはあるか?」


 首を横に振る俺。


「では、魔法を使おうとしたことは?」


「それもないな」


 魔法についての知識はスラムに住んでいる時、拾った本で読みかじった程度にはあるつもりだが、実際に本に書いてある手順で魔法を使ったことは一度もない。


 なぜなら、俺は男だから。


 男は魔法が使えない、それがこの世界の常識なのだから。


「なら、今ここで魔法を使ってみろ」


「ここで? 魔法を? ……どうやって?」


 この世界で魔法といえば、一般的に精霊魔法のことを示す。


 精霊魔法とは精霊を召喚したり、召喚した精霊を使役すること


 この世界とは別次元に存在する精霊に魔力を譲渡する代わりに、精霊の力を借りてこの世界の物理現象に変化を起こすことを精霊魔法という。


 力を借りる精霊にはそれぞれ得意とする属性があり、全部で8つ存在する。


 地水火風の基本4属性、それに雷と氷、あとは光と闇属性である。


 この8属性の内、1人の人間が使える属性は1つだけ。


 誰がどの属性を使えるかは生まれた瞬間に決定され、後天的に変化することはない――と書物には記されていた。


 要するに、魔法を使うにはまず、自分がどの属性に適性があるかを知らなければならないのだが、確認方法は2つある。


 1つは単純に8つの属性を全て試してみるという方法。


 もう1つは――


「じっとしていろ」


 今、彼女が俺にやっているように、魔法の熟達者が適性を知りたい者に触れて、属性を判断するというものだ。


「どうやら、お前は風属性の適性があるようだな。そしてその魔力総量は、おそらく私に次ぐ程度には膨大だ」


 ……ちょっと何を言ってるのかわからない。


 俺は男で、魔法が使えるはずがないのだ。


 にもかかわらず、"霧の魔女"に次ぐ魔力量を有しているだって?


 …………バカ言うなよ。


 そんなことが出来るなら俺はピエク爺さんを、ヒューゴを、ニックを失わずに済んだんじゃないか。


 俺に魔法が使えるんなら、どうしてもっと早くに気付かなかったんだ……!


「よせ、バカ者」


 俺は彼女にデコピンを食らった。


 気付けば、俺は血が出るほど下唇を強く噛み締めていたようだ。


「お前の気持ちは察する。それほどの力があれば、奴隷になどならなくて済んだのだろうにな」


 あぁ、そのとおりだよ。


「だが、一度でも魔法を使おうと試してみなかったお前にも原因がある」


 それもそのとおりだよ。


 だって恥ずかしいじゃないか。


 1人でこっそり「ファイアボール!!」とか練習してたらさ。


 どんな厨二病だよ。


「だからさっきから言っているだろう。子供が妙なプライドを振りかざすな、と」


 ぐうの音も出なかった。


「まあでも、ちょうどいい。その下唇から流れている血を魔法で治してみせろ」


 魔法を使うには大別して3種類の方法がある。


 1つ、唱えるだけで発動する真言魔法。


 2つ、頭の中のイメージを具現化させる想意魔法。


 3つ、特定の身体動作によって魔法を発動させる身体魔法。


 一般的に真言魔法が初級、想意魔法が中級、身体魔法が上級とされている。


 初級の真言魔法だからといって威力が低い魔法というわけでもない。


 強力な魔法ほど魔力を消費するから、魔力総量の低い者が大魔法を使おうとしても発動しないのは周知の事実である。


 実際は3種類の魔法の他にも例外的な魔法があるんだが、使用者がごく限られているから今は脇においていいだろう。


 ここで俺が使うべき魔法は、比較的簡単な真言魔法だ。


癒しの風ヒールウインド


 下唇目掛けて放った俺の魔法は、瞬時に傷を癒してしまった。


「………………マジか」


 俺は己の力を疑うように、何度も下唇をなぞってみる。


「正直、私も驚いている。男で魔法が使えるなどとは、100年以上生きている私でも聞いたことがないからな」


 …………は?


 100年以上生きているって?


 俺が妙な表情をしていたのに気付いたのか、彼女は俺に向かってこう告げた。


「何だ、知らなかったのか? "霧の魔女"は今年で120歳を迎える老人だということを」


 ……彼女の言葉には驚かされてばかりだな、俺は……

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