第9話 脱走 後編

「はぁっ、はぁっ、はぁっ……!!」


 追手から逃れる為に俺とヒューゴ、ニックの三人は全力疾走しているのだが、何せ相手は馬を使っている。


 子供の足ではすぐに追いつかれてしまうのは分かり切っていた。


「ちっ、このままじゃマズいな……!」


 先頭を走っているヒューゴが背後を振り返りながら舌打ちする。


「しゃーない、ここはオレが囮になる」


 そう言ったヒューゴを、しかし俺は許さなかった。


「お前の計画は失敗続きなんだ、囮だってうまくいねえよ」


「言ってくれるじゃないか、ゼフィール。なら、どうする?」


 俺はこれまで、ヒューゴの計画に乗っかるだけで自分では何も考えて来なかった。


 でも、そういうのはもう止めだ。


 考えるんだ、俺達が逃げ延びる方法を。


 追手の数は2人、俺達は3人。


 このまま真っ直ぐ進んでも、追手に捕まるだけ。


 左手に流れるセール川は対岸が見えないほど広大で、泳いで渡るのは到底無理だ。


 右手に目を向ければ隠れる場所が何もない平地が広がっている。


 とすれば――


「三手に別れる」


「三手? って、お前まさか――」


 ヒューゴは即座に俺の意図に気付いたらしい。


「追手は2人なんだから、三手に別れれば一人は助かる可能性がある」


 もちろん、追手が二人を捕まえた後、残る一人を追いかけて来ることは考えられる。


 それでも、ヒューゴ一人が囮になるよりは誰かが逃げ切れる可能性が高いはずだ。


「そ、そんな、兄貴……!」


 隣を走るニックが悲痛な叫びを上げる。


「諦めろ、ニック。ヒューゴと知り合った時点で、俺達の運は底を突いてたんだ」


「お前なぁ……」


 ヒューゴは呆れたように嘆息する。


「悩んでる暇はもうない。合図したら一斉に散るぞ」


「……わ、わかったッス」


「へへっ、いい顔するようになったじゃないか、ゼフィールも」


 腹を括ったニックに、この状況すら楽しんでいるヒューゴ。


 彼らと過ごした5年近くの日々は、奴隷だったということを抜きにすれば悪くはなかったんだがな。


「じゃあな、お前ら。生きていたら、またどこかで会うこともあるだろ」


「縁起でもないことを言うなって」


 俺の言葉に、ヒューゴは笑って返す。


「それじゃあ行くぞ」


「は、はいッス……!」


「せー、のっ!!」


 俺の掛け声に合わせて、俺達は三方に別れた。


 ニックはセール川を背にして南の平原へ。


 ヒューゴは川沿いを真っ直ぐ東の国境へ。


 俺は彼らの間を縫うように南東へと駆け出した。


 2人と別れた後、振り返ると、追手の一人がこちらへ迫っているのが分かる。


 これでニックとヒューゴのどちらかは助かる可能性が増えたな。


 しかし、俺の行く手には隠れられるような場所は何もなく、ただただ草原が広がっているだけ。


 ここで捕まったら、今度はどんなお仕置きをされるんだろうな?


 問題児の俺は「もう用済み」とか言って、処刑されるかもしれない。


 前世では15歳で死んだのだが、今世では11歳で死ぬのか?


 合計してもたったの27年だ。


 人の命ってのは短いもんだよなぁ……


 ……ああくそ、もう追いつかれる。


「はぁ、はぁ、はぁ……」


 全力疾走に呼吸が追い付かず、肺が悲鳴を上げていた。


 すぐ背後まで、馬の足音が迫っている。


 くそ、くそ、くそ……っ!!


 後ろを振り向くと、追手が馬から乗り出して、俺を捕まえようと手を伸ばして来た。


 捕まる……!!


 俺が観念しようとしたその刹那。


 不意に、辺りに霧が立ち込め出した。


 この霧、もしかして……?


 闇夜で視界が悪かった所為か、どうやら俺は"霧の森"に向かって走っていたらしい。


 森があると認識出来なかったのは、濃霧で視界が遮られていたからか。


 俺は無我夢中で霧の中を突っ走っている内に、気付けば背後に迫っていたはずの追手は姿を消していた。


 "霧の森"を恐れて引き返したか、それとも霧で俺を見失ったか。


 ともあれ、俺は助かったようだな……


 俺は息を弾ませながら、その場にへたり込んでしまった。


 "霧の森"はグランレスト領だから、図らずとも亡命に成功したわけか。


 しかし、この森には恐ろしい魔女が住んでいるという。


 不気味な魔女に取って食われる――なんてことは無いと信じたいが、何にせよ俺の身体はもはや言うことを聞かず、その場から一歩も動けなかった。


 そうしているうちに辺りの霧が一層濃くなり、獣の遠吠えが辺りに鳴り響く。


 ……ちくしょう、追手から逃れたと思ったら今度は肉食獣かよ。


 周囲に気を配ると、かすかに葉擦はずれの物音がする。


 ――囲まれてるな。


 俺は震える足をどうにか奮い立たせ、ヨロヨロと立ち上がた。


「グルルルル……」


 低いうめき声と共に、森の奥から数匹の狼が姿を現した。


 この状況、追手を相手にしていた方がまだマシだったかもしれない。


 俺は無駄だと分かっていながらも身構えた。


「ガォゥッ!」


 狼の一匹が、俺に向かってその鋭い牙を剥き出しにして襲い掛かって来た。


 俺は咄嗟に右に飛んでその攻撃をかわす。


「ぐぅっ」


 攻撃を避けたのも束の間、別の狼の爪によって左腕を負傷してしまう。


 堪らずその場に膝を付くと、狼達は一斉に飛び掛かって来た。


 やられる……!


 死を覚悟した、その時。


「――『石つぶてストーンブラスト』」


 どこからかともなく降り注いで来た石つぶてによって、俺に襲い掛かっていたはずの狼達は全てなぎ倒されていた。


 ……何が、起きたんだ……?


 狼達はまだ息があるようだが、とても動ける状態ではなく、ピクピクと体を痙攣させるばかりである。


「――少年よ、お前は何者だ?」


 不意に背後から投げかけられた声に、俺は驚愕して振り向いた。


 霧が濃くてその姿ははっきりとは分からなかったが、声からして女性であることはわかる。


 もしかして、彼女が――


「霧の、魔女……?」


 その言葉を最後に、俺の意識はぷっつりと途絶えてしまった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る