第3話 スラムの皇子 後編

 銀貨を手に入れた俺はパンと薬を購入すると、急いでスラムの自宅へ戻った。


 自宅とはいってもボロ布をカーテンで仕切っただけの、とても家とは呼べない代物である。


 小雨くらいなら何とかなるが、大雨や嵐が来たら吹き飛ばされてしまう程度のものでしかない。


 もう、何度引っ越したかわからんしな。


 そんなオンボロ自宅の床に一人の老人が横たわっていた。


 彼はミイラのようにやせ細っており、既に死体だとうそぶいても誰も疑問にも思わないであろう風体。


 俺はその老人に近付くと、声をかけた。


「おい、爺さん。パンと薬を買って来たぞ」


 俺の声に反応したのか、老人は薄っすらと眼を開けた。


「……おぉ、ゼフィか。いつもすまないな」


 彼は心底申し訳なさそうにそう呟いた。


 この今にもくたばりそうな老人の名はピエクという。


 スラムに捨てられていた俺を拾い、ここまで育ててくれた養親である。


「起きられるか?」


「ん、むぅ……」


 もはや自力で起き上がることも出来ないようだ。


 俺はピエク爺さんの折れそうなほど細い背中を支えながら、どうかに彼の体を起こしてやる。


 俺はパンを細かく千切って、薬と一緒にコップの水に放り込むと、それを彼の口に含ませた。


「…………んん、苦いなぁ……」


 爺さんは梅干しみたいな顔をして苦言を漏らす。


「薬なんだから当然だろ。ゆっくりでいいから、全部飲むんだ」


 爺さんの歯はボロボロで、パンを噛むこともままならない。


 俺が食事と薬を運んでいるわけだが、おそらくそう長くは持たないことは薄々感づいている。


 食事を終えた爺さんは再び横たわると、うわ言のように何かを話し始めた。


「……すまないな、ゼフィ。その顔の傷、また誰かに殴られたのだろう?」


「気にするな、いつものことだ」


「……いいや、全てはワシが悪いのだ……ゴホッ、ゴホッ」


 急にせき込み出す爺さんの背中をさすってやる。


「ゴホッ、ゴフッ…………聞け、ゼフィ」


「何だよ。いいから黙って寝てろ」


「……6年前、ワシが赤ん坊のお前を拾ったのは、その左目の星芒形アステロイドに魅入られたからだ」


 俺の制止も聞かず、爺さんは再び呟くように話し始めた。


「皇族に生まれないはずの男子……その赤ん坊がスラムに棄てられていることの意味……ワシはそれを理解し、お前が大きくなったら女皇を強請って大金を得ようと企んだ……」


 なぜ爺さんがなぜスラムで暮らしているのか、俺は彼の過去についてほとんど何も知らない。


 ただ、一つだけはっきりしていることがある。


 俺がここまで生きて来れたのは、爺さんのお蔭だということだ。


 彼にどのような理由があったとしても、それだけは変わらない。


「爺さんが俺を拾ってくれなかったら、俺はとっくに死んでたんだ。感謝こそすれ、恨みなんざこれっぽっちもないぞ」


「お、お前は、ワシに似ずに立派に育って……ゴホッ、ゴホッ……」


 俺の位置からは横たわっている爺さんの表情はわからない。


 ただ、彼のか細い肩がわずかに震えているのを、俺は複雑な気持ちで見つめていた。


「――聞け!! スラムの住民共!!」


 その時、スラム中に高圧的な女性の声が鳴り響いた。


 何事かと思い声のした方に顔を向けると、馬にまたがった女性が、1個中隊規模を引き連れてスラムを闊歩していた。


 何なんだ、一体……?


 他のスラムの住民達も息をひそめ、事の成り行きを見守っているようだった。


「私は皇国第1師団所属、第27歩兵中隊隊長のダイアナ・ソレルス中尉である!!」


 ダイアナと名乗った若い女性将校は赤い軍服をまとい、長い金髪を風にたなびかせながら声を張り上げる。


「只今よりこのスラム街は、女皇の命により解体することが決定した!!」


 …………は?


 解体?


 何を言ってるんだ、この人は。


 そんなことされたら、俺達の住む場所はどうなるんだよ。


 スラムの住民達の間にもどよめきが広がっていた。


「いきなり何言ってんだぁ!! ここを退いてオレ達にどこへ行けってんだよ!!」


 スラム住民の一人が叫ぶと、周囲にいた住民達も口々に騒ぎ立てる。


「案ずるな! 15歳以上45歳以下で、健康な者は我々が手厚く保護することを約束しよう!!」


「はぁ?! それ以外の者はどうなるんだよ!?」


「15歳未満の子供は奴隷として各地の労働力となって貰う!! それ以外の高齢者や病人は速やかにここから立ち去れ!!」


「ふっざけんなぁ!!!」

「横暴過ぎるだろぉ!!」


 スラムの住民が一斉にがなり立てると、軍人達は一斉に剣を抜いて牽制した。


 軍の将校というのはほとんどが女性で占められているが、一般兵の7割近くは男性で構成されている。


 彼らは魔法が使えないとはいえ、訓練された兵士であることには変わりない。


 武器も持たないスラムの住民では太刀打ちなぞ出来るはずもなく、住民達は途端に大人しくなった。


 それにしても、この暴挙は女皇の命令だと言ってたな、あのダイアナって中隊長。


 女皇は俺を棄てた実の祖母である。


 もしかして、俺が生きていることがバレたのか?


 ……いや、それだったらスラムそのものじゃなくてピンポイントに俺だけを始末すればいいだけだ。


 布で隠している左目の星芒形アステロイドさえ確認すれば、俺が生きていることは一目瞭然なんだからな。


 俺が狙いでないとしたら、一体何が目的なんだ……?


「健康な大人はスラムの東側、子供は西側へ速やかに移動せよ!! グズグズしているとスラムごと焼き払うぞ!!」


 中隊長は魔法で手の平に炎を出現させ、俺達を威嚇する。


 大人しく従う住民もいれば、逃げ出す者、あるいは勇敢にも戦おうとする者などでスラムはごった返していた。


「…………行け、ゼフィ」


 今まで黙っていた爺さんが、ぽつりとそう呟いた。


「何言ってんだよ? 爺さんを置いていけるわけないだろ?」


「どうせワシは老い先短い。お前が生き残ることの方が重要だ」


「生き残ってどうするんだよ? 俺は奴隷なんて御免だぞ」


「生きていれば、必ず良いことが訪れる。そう信じて――ゴホッ、ゴホッ……」


 咳で苦しみ始めた爺さんの背中をさすろうとしたら、俺の背後に人の気配がした。


 振り向くと、一人の男兵士がしかめっ面で俺を見下ろしている。


「何をしている? 中尉のお言葉が聞こえなかったのか?」


「爺さんは一人じゃ歩けないんだよ。このままここに放置したら、確実に死んじまう」


「知ったことか。動けぬ者は捨て置けという命令だ。それが出来ぬのなら、そのジジイを殺してでもお前を連れ去る」


「なんでこんなことするんだよ? 女皇は何を考えてんだ?」


「お前が知る必要はない。ほら、さっさと西へ行くんだ!」


 俺は兵士に首根っこを掴まれると、無理やり爺さんから引き剥がされた。


「くそ、離せ! 爺さん!!」


 しかし、爺さんは諦めたように微笑を浮かべるだけだった。


「こら、暴れるな! 大人しくしろ!!」


 俺は暴れるフリをして、兵士の股間を思いっきり蹴り上げてやった。


「――うごぉ?! ……こ、このガキぃ……」


 俺はうずくまっている兵士から逃れると、爺さんの元へ駆け寄ろうとする。


 しかし――


「がっ?!」


 どこからか現れた別の兵に脇腹を蹴られ、俺はスラムの地面をゴロゴロと転がっていく。


「う、ぐっ……」


 蹴られた衝撃が脳に響いているのか、立つこともままらない。


 動きを封じられた俺は兵士に担ぎ上げられると、スラムの子供達が集まる西側へと運ばれて行った。


「じ、爺さ……」


 うすぼやけた視界の端で俺が最後に見た爺さんの顔は、とても安らかなものだった。

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