第4話 友人

 朝から小走りしているマリンの足音で目が開いた。同時に布団の横でチリンと音がする。どうやら、おもちゃを持ってきたようだ。休日は寝坊という幸せを噛みしめたい。マリンには悪いが気づかなかったことにしよう。そうして頭を布団に潜らせる。

 布団の上をうろうろしている感触が起こる。背中まで乗ってきて、恐らく少し覗いている私の頭の先を伺っているようだ。頭の上でグルグルと喉を鳴らしている音がする。マリンは目に見えて大きくなってきたのだけど、体にかかる重みはまだまだ軽い。ごめんね、まだ寝ていたいの。と寝たふりの私。


 体にかかるささやかな重みが消えた後、頭の天頂に棘が立つ感触がする。マリンが強硬手段に出てきよった。甘嚙み攻撃を仕掛けたマリンがすんっと鼻を鳴らしたのが聞こえて、たまらなく笑いがこみあげてきた。顔を上げると、後ずさりしながらこちらを伺っているマリンがいる。

「おはよう。マリン。」と人差し指を差し出すと、マリンは鼻先を近づけてきた。それからそわそわと体を揺らしながら、私に目線を向けてくる。マリンから目線を下げると、枕元にはちゃんとおもちゃが転がっていた。布団にもぐったまま、おもちゃを拾い上げると部屋の隅辺りをねらっておもちゃを放り投げた。


 マリン号、発射! 飛び出していくマリンの姿にナレーションをつけたくなる。それから枕元においていたスマホを手に取った。智代子からLINEが入っている。開けてみると、つまみ細工の簪が完成したと画像を送ってきていた。智代子は子供達が学校に通うようになった頃、時間潰しで始めたといっていた。それからもう随分経つ。紅白の花に藤飾りを添えた華やかな作りの簪はメルカリに出したら売れそうと素直に思った。


 マリンはおもちゃを咥えて戻ってきた。返信している私に近づいて、ちょんちょんとつついてくる。ちらっと見ると、何しているのだとばかりにマリンはこちらを覗いていて、もう起き上がるしかない。おもちゃを拾いあげると、マリンはうずうずと期待している。そしてまたおもちゃを放り投げると、LINEの着信音が鳴り出した。相手は想像するまでもなく智代子だ。


 智代子には大学生の娘がいる。成人式の着物に合わせてこしらえたのが、画像の簪だった。智代子に子供が生まれて実家帰りをした時に対面した赤ん坊がもう成人式とは、流れた時間の早さを痛感する。しかし、順調に成長してきたことを思えば喜ばしい事だ。祝いに何を贈ればいいかと尋ねたら、特に何かを欲しがる娘ではないからと辞退されてしまった。智代子は人から何かを受け取るのを嫌がる所がある。もの寂しさを感じながら、成人式で簪をつけた姿を想像するだけで楽しみだねと話を戻した。


智代子は一本だけでは物足りないから、小さめの髪飾りを何個か作りはじめる所だという。これから作るその小さめの髪飾りは、成人式が終われば根付に作り替える予定らしく先々の事まで考えていた。

「根付?」

そもそも根付とはなんぞや。私にはぴんとこなかった。こうして話している合間でも、マリンはおもちゃを咥えては戻ってくる。そして、私はそれを適当なポイントを見定めて放り出してはマリンを見送るループに入っていた。


「帯飾りのことよ。娘は茶道部に入っているから、時々着物を着る事があってね。そういう時に使うのよ。ほら、いつぞやバックチャームにって送ったじゃない。」

「おお! 通勤カバンに洒落っ気ないって愚痴った時に作ってくれた、あれ?」

通勤用にしているバックは、ポケットや仕切りの仕立具合は申し分ないのだが、いかにもビジネスバックという風合いだった。それゆえに洒落っ気は一つもない。それを嘆いた時に、梅の形をした飾りを送ってくれたのだった。元は帯飾りだったことを初めて知った。


 話ながらもマリンの遊び相手は続いていたが、どうやらマリンは疲れてきたらしい。近くに戻ってきたもののゴロリを横になって毛づくろいを始めた。今度は私がマリンの事を話し始める。遊び盛りのマリンはおもちゃを投げると、すかさず取りに向かっては人の傍に咥え戻ってくる。智代子の話を聞きながら、目の前で繰り返されたことをそのままに話した。

「いぬ?」

猫なのにと智代子は笑う。

「健気でしょ。朝の出勤前でもおもちゃを出してきて、数回はこれよ。その合間をぬって支度しているような気にもなるわ。」とマリンを撫でながら私も笑って答える。智代子とはいつもこんな風にお互いの日常の出来事を話し合う。高校を卒業してから、進学先が分かれて、就職や結婚で住む場所がどんなに変わってきても、定期的にこうした長話が出来る事に安心する。


 そして話題は私の婚活になった。ついこの前の見合いの席での事を話した。父が病院でこけてしまった話をした時に言った相手の反応への不愉快さを吐露した。

「ふぅん。なんでもかんでもサービスを受けているのだからって丸投げ出来るって感覚はどうかなぁと思うなぁ」

智代子は言葉を選びながら私に同意してくれたようだ。

「でしょ?挙句に怪我の治療費だって病院の責任を問うだなんて、仕事やお金の方が家族より優先って聞こえてさ、そんなのやらしいじゃない?」

更に続けた私の意見に智代子が同意してくれると思っていた。


「うん。そうねぇ……裕子の気持ちも分かるんだけどさ。そこは病院側からの対応がどうだったのかでも、変わるよね。裕子の時はさ、すかさず連絡してきてくれてさ。状況の説明とかしてくれたから、トラブルにならなかっただけよね。」

そう、入院中の看護婦さんや担当医は誠実に治療をしてくれた事を思い出す。自宅でのリハビリについても色々と相談にのってくれた事などを棚に上げて病院を責める気など湧いてもこなかったからだ。

「裕子のお父さんがあっけらかんと細かい事は気にしないキャラだったから救われたんじゃない?」

にやけた口調の智代子だったが、高校時代はよく家まで遊びに来ていたから父の性格をよく覚えている。怪我した時も申し訳ないと謝る担当医に、騒ぎになって悪いことをしたと本当は気を遣う人だった。


「こういうのもなんだけど、裕子もその人とそれほど変わらないんじゃない?」

智代子の言葉に目が丸くなった。

「ほらさ、仕事中にお母さんが連絡してきても、どうせ出てないでしょ。」

「う、うん…… だって大抵、仕事帰りのお使いだよ? 」

母は勝手を知って留守番サービスに用事を残してくれているのだから特に問題にはなっていない。

「そうじゃなかったらどうするの?」と言った智代子は沈黙している私の出方を待っているようだった。しかし言葉が出ない。

「裕子もそういうとこでは仕事優先じゃん。お母さんも呑気な方だからさ、大して気にしてないってのも知ってるんだけどね。裕子が感じた印象って同族嫌悪っていうか、ちょっと自分の事を棚に上げているような気がするなぁ。」

智代子の言葉はごもっともだった。いつも通りの穏やかな口調で淡々と指摘されると怒鳴られるより怖い。滅多に怒ることもないから余計にどんぴしゃ胸にささる。


「バッサリとぶった切ってくるなぁ。でもね?仕事中に私用の電話ってさ、さぼってるみたいで肩身狭いのよ。その辺は見合いした人の気持ちも察しが付くよ。でさもイチイチって言い方も酷いなって……」

私の弁明をうんうんと頷きながら智代子は聞いてくれていた。

「そりゃ、仕事してたらそうだわね。裕子も真面目だからってわかってるよ。ごめんね。言い過ぎたかも」と彼女は声のトーンを落とした。

「そんなことないよ。付き合いが長い分、急所をわかってらっしゃる。こちらこそ、ごめん。」

智代子とはこの後も延々と世間話が続いて通話が終わったのは、すっかり昼時になっていた。マリンのご飯も準備しなくてはとダイニングへ向かう。すでに準備をしていた母が一緒においでなすったと笑っている。

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