第3話 婚活
ある日、登録していた結婚相談所から連絡があった。私にどうしても会いたいという男性がいるという。この相談所で婚活を始めて一年程になる。担当の言う「どうしても私に」というフレーズは、どうも嘘くさい。何かしら条件が悪い所があるのかもしれないが、私がその席で前向きであるように線路をひいているようにしか聞こえない。そうだとしても特に予定もなかった私はその男性に会うことを承諾した。
マリンは布製のかごを覗いていて、おもちゃを物色していた。彼女のベッドにと用意したそのかごは、すっかりおもちゃ箱となっていた。百均で買ってきたものはもちろん、バックチャームしていたぬいぐるみやら戸棚に飾っておいたぬいぐるみも今やマリンのおもちゃとして、そのかごに収まっている。かごの淵に手をかけて、そっとネズミ型のおもちゃに小さな手を伸ばして引っ張り出そうとしていた。マリンの手がかかっているかごの反対側は、ゆさゆさと小さく浮き上がっているのが見えた。
そんな様子を見て、素直にかごに入って取ればいいのにと思うのだが、マリンは何があってもかごの中に入りたくはないようだ。時折、かごがひっくり返って、中のおもちゃがまるごと散らかっているのは、こういう理由だ。
そのまま素通りしてトイレに入ると、音もなくそっと戸が動いた。しまった…… トイレの戸を最後まで閉め損ねていた。浮いた戸を引っかけてわずかな隙間を作ったマリンが入り込んでくる。私のいく先々についてくるようになったマリン。母はこれをみては、ひっつきもっつきといって笑うのだ。しかし、トイレまでついてこなくていいのにと呆れながら、便座の周りを一周しているマリンを目で追った。一周したマリンは私の足元に座って、逆に私の様子を観察している。
「マリンのおかげでトイレ掃除が日課になったよ。」と声をかけて立ち上がると、マリンは小首を傾げた後、トイレを出ていった。
やれやれとトイレを出ると、彼女は先ほど引っ張り出していたおもちゃを咥えていた。目が合ったその時、ポトンと口からネズミのおもちゃが落ちる。この遊べという圧よ。おもちゃを拾って猫の相手をする私にはその下僕感が湧いてくる。マリンはおもちゃに向かって両手を広げては立ち上がり、床の上に落ちた瞬間には周りを見ることなく突進している。
ブレーキの利かないマリンは、たまにそのまま壁に突撃してしまうのだ。
「頭、ぶつけたよね。いたくないでちか?」
子猫に話しかける時、どうしてこうも甘え声で言ってしまうのだろう。マリンは壁に突撃したにもかかわらず、捕まえたネズミを咥えて揚々としている。そしてまたポトリと落とすと、キラキラと期待した視線を真っ直ぐこちらに向けてくる。少々、壁にぶつかろうがおもちゃを追いかけることが楽しくて仕方ないようで、マリンは天真爛漫として無敵である。
見合いの約束の日、私は車で指定の場所へ車で出かけた。これから会う人はどんな人なのだろうか。猫が好きな人だと助かる。これは何があっても外せない条件だった。しかし、猫を飼うというのは、飼ったことのない人にはリスクが多いかもしれない。
例えば、猫の爪とぎ。我が家の襖は猫が爪を研いだ後だらけで、神経質な人だと難しいと思えてならない。それに猫は高い所によく上りたがるのだけど、ついでに置物を突っついては次々と落としてくれる。猫の足跡を追いかけて片づけしなくてはならないこともしばしばある。猫のこうした行動に寛容でいてくれる優しい人に出会いたいと期待してしまう。
お見合い会場について、相手のプロフィールを見て驚いた。あわよくば専業主婦になれそうな収入に上品そうな面立ち、何故こんな方が私とお見合いするのだろう。打算と不安が入り混じりながら、お相手の紹介を待った。
担当からお互いの簡単な紹介がされた後、
「本日のご縁が結ばれますように」という恒例の決めセリフが終わると見合い相手との二人だけの会話が始まる。お相手は不動産関係の仕事をしているらしく、これまで転勤も多かったそうだ。
「今はお母様と同居なさってらっしゃるとか、いずれまた転勤とかあったらお寂しいでしょうね。」
「もう歳が歳なので、多分にこのままでいけば退職まで地元での勤務になると思います。異動があったとしても、県内くらいかな。その時は電車通勤すればいいと考えているんです。」
お互いに晩婚もすっかり超えた年齢で、親の老後を心配しての同居はよくわかる。一時は実家から離れたこともあったが、父を亡くし母だけになった事が切欠で私も同居するようになった。
「ただね……仕事中に電話してこられても、イチイチ帰ることなんて出来ないからねぇ。」
確かに仕事中に家族から連絡があったら、その応答に悩むのはこちらも分かる。でも彼の「イチイチ」という言葉が妙にひっかかった。
先々、介護になったとして度々にわたって会社を早退するのも、なかなかやりづらいものと半分同意しながら、私は父の入院中での思い出話を始めた。
「私の亡くなった父は脳梗塞で倒れましてね。入院中の事だったのだけど、院内をリハビリがてら歩いていた時に転んでしまって、ちょっとばかし頭に怪我をしてしまったんですよ。それで、病院から電話がかかってきた時は少し焦ったものです。」
相手は「そりゃ、大変でしたなぁ……」と相槌をうっていた。
「慌てて病院に駆けつけてみると、父の頭に大きな絆創膏が貼ってあったんですけど、本人はケロリとしてて。」
父の病室に駆け込んだ時、のんびりとテレビを眺めていた父は私に照れ笑いをしながら
「歩いていたらね? なんと床が足にくっついちゃったんだよ。裕子、もうびっくりさ。」と言って舌を出したのだった。
今では笑い話である。
「その程度で済んでよかったですね。」と相手は笑った。
「しかし、その程度の事なら、病院で片づけておいてくれてもいいと思ったりしますね。休みならまだいいですが、仕事中なら中途半端な状態にして会社を出なくちゃいけないって、迷惑な話だ。……いや、そもそも、病院で怪我をするなんてありえないでしょ。その治療費ってもちろん病院持ちですよね。」
そう話す相手の目に感情があるように見えなかった。胸の内でひっかかっていたものが、苛立ちに変身していた。
この人、無理だ。話していても目が合うことも少ない相手が私に興味を持っているようにも感じない。さっさと帰りたい気分になりながらも、親の介護話からそらして、趣味の話に切り替えた。相手はアニメが特に好きなようだ。その後延々とアニメ談義が続き、乏しいアニメ知識をフル回転させながら相槌を繰り返しているうちに、ようやく見合い時間が終わった。
見合い時間の後、担当は相手との印象を聞いてきた。まさかで先方は楽しかったと言っていたらしい。興味を持っているように感じられなかったことを話すと、男性はシャイだからそんなもんだと返ってくる。条件もいい相手だからと担当は話を進めてみないかと言われたものの、煮え切らない態度でやんわりと断った。
見合い会場を後にして、立ち寄ったコンビニでコーヒーを買う。コーヒー豆の香りがふわりと漂って、トゲトゲとした胸のざわつきが少し和らいだ。ドリップマシンの横に備え付けられているミルクやマドラーをつまみとりながら、砂糖は二本使うことにした。
車に戻って、普段より甘いコーヒーを一口飲む。そしてエンジンを回そうとスタートボタンに指をあてた時、「疲れたなぁ…… 」と無意識に独り言が出てしまった。
「いい条件のお相手はそうそうないのだから、打算も大事よ。」
断っている間に言われた言葉を思い出す。歳が歳だもの、打算がないわけじゃない。けど、拒否感が打算を上回っていたんだもの。私の婚活は未だに全敗だわ。
私はハンドルを握り直しながら一息吐き出した後、家に向かう道を走り出した。
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