3話 メリーさんとお出かけ
翌朝。清々しいほど冷え込んだ冬の朝に、微かに温もりが残るリビング。大路はスマートフォンの画面を凝視していた。
大路の朝は保有している株式相場を漁るところから始まる。もっとも大路は短中期で株式を売買する方法で利益確定するトレーダーではない。
一週間の中で売買する株式は基本的に一種類だが、長期的に保有する株式に関しては安定的な変動なら売る選択肢から除外する。長期保有の株式を売却するときは金銭で困ったときだけ。
怠惰かつ利己的な大路が歩みだした、「働かないで最低限の生活を維持する方法」なのだが。
数少ない友人たちからは「狂気の沙汰」と呼ばれる極端な節約志向で、さらに流行などの最新最先端への情報感度がとにかく低い。本当ならばトレーダーとして大成しないだろうほど、新しい情報に疎い。
だがそんな大路の向かいの席に、同じ朝食を食む都市伝説の女がいる。人件費が倍増した今、現状の節制思考ではとても生活が成り立たない。
(仕方ないか。大手ゲーム会社の株式がさっき値上がりしていたな。一部を売却して当面の費用にするか)
大路の売却基準は「買値より高ければ売る」程度の緩いものだ。手数料と一時所得税でマイナスにならない、ぐらいの付帯条件しかない。
前日から新式のゲーム筐体発表でご祝儀高騰をしていたゲーム会社の株式を、スマートフォンで一部売却しておく。
時間外取引の手数料は取られるが、乏しい金額しかない口座に纏まった金額が入るのであれば問題ない。
そんな大路の思慮を知ってか知らずか無視してか、小さな口でパンをかじっているメリーは変わらず。そんな彼女の態度を見てしまい大路は耳聡い彼女に聞こえぬよう息を小さく。
「あら、口座の残金はそこまで乏しいのかしら?」
だがそも、目の間の存在は感情の機微を一瞬で読み解いて見せた。
「本当、よく人の悩みを読み取るな」
「つぶさに人の機微を読み取り、相手の恐怖を糧にし、最終的に相手を祟り殺す。これが私たち都市伝説の生き残り方ですから」
「じゃあ俺も最後は祟られるわけか」
「そういうことですわね。せいぜい私に襤褸を出さないよう精進なさいませ」
「緊張するな。一日でも髭を剃り忘れたら、メリーが不快だって祟ってきそうだ」
ジョークを口に出すがその実、緊張より今後の計画を見直さないといけなくなったことへの倦怠感しか存在しない。
金銭はまだ何とでもなる、だが問題は私生活の方だ。そも女性との同棲は物事の判別がつくころからあまり経験していない。
(都市伝説とはいえ相手は異性だ。それでも、脱衣中にメリーの部屋へ突入したら祟られそうだな)
どれだけメリーが大路を殺すことが無理だといっても、それは現段階での話。
メリーが本気を出して呪殺を目指すならば前提はひっくり返る。その前提を些末ながら覆しうる事故を、大路は減らしたかった。
「メリー、今後の生活の事なんだが」
「なんでしょうか」
「とりあえずの対策として、風呂場は一人しか入れないようにしたい。札とか買ってくるから、それがひっくり返っている時は──」
「あら、私は貴方と一緒に入浴してもよくってよ」
「……はぁ?」
「それぐらいの覚悟でここに来ております。お気になさらないでくださいな、私は人間ではありません、羞恥に囚われることはありませんわ」
さらりと大路にとって爆弾発言をするメリーだが、大路も納得するしかない。
そも相手は人間ではない、都市伝説で多くの人間を恐怖に捕えた女性型の怪異だ。羞恥がないのであれば、大路も気にすることはないのではないか?
そこまで考えて、しかし大路は緩く頭を振る。問題は彼女ではないかもしれない。大路が抵抗感があるのであれば、家主としてメリーに徹底させるべきか。
どちらにせよ短期的に決めることではない。大路はそう勘案して朝の会話を別の路線へと乗り換える。
大路の頭にあったもう一つの懸案、それは今後メリーが何をするかだ。
「メリー、君はこの先何をしていくんだ?」
「あら、私をプー太郎か何かだと思っております?」
「プ……、いやなんでもない。その口ぶりだと何か仕事があるみたいだな」
「ええ。そうそう、私からもそのことで提案が」
大路の疑問に疑問形で返すメリーは、次ぐ言葉で大路をさらに困惑に陥れた。
「大路、私たち都市伝説に既知の仲を増やしませんか?」
メリーに促されるままに外出の準備を終えた大路は、メリーに先導されるがまま都心に向かう電車へと乗り込んでいた。国内外の観光客と外勤の会社員で席が埋まった車内で、隣り合って吊革にぶら下がる大路とメリー。
これから向かうところにメリーの仲間、つまり都市伝説に関する存在がいる。
その存在と引き合わされる大路の心境は恐怖や不安ではなく倦怠感に支配されていた。そも大路は外出などを極力減らすためにトレーダーという博打を打っているわけで。
電車の中で密やかに騒ぐ一般人たちと混ざるのが、大路はとても苦手だ。
それは持って生まれた感性なのだと大路は思っているが、だからこそ家から出るのが億劫。実際、大路にとって観光や遊山は苦行に等しい。
「そんな顔しませんことよ。ほら、次で下車しますわ、準備してくださいまし」
大路の倦怠感を既に見抜いていたメリーが彼の脇腹を小突きつつ、ゆっくりと減速し始めた電車の入り口に向かう。彼女の小さな背中を気だるげに追う大路は、空気が漏れる音と共に開いたドアから、メリーが言う最寄り駅へと降り立った。
改札を出て、メリーの後を追う。静かに歩いていくメリーはやはり、普通の人と比べても小さい。
身長は一四五センチほど、流石に女の平均身長と比べても体躯は見劣りする。
だがそれでも、彼女から漏れでる邪気は周囲を歩く市井にもお見通しなのだろう、彼女を見かける人々はみな一様に少しずつ距離を取っていく。大路がすぐ後ろを着いていくことにすら、あるいは驚愕と恐怖の念すら持っている節が見える。
だがメリーは気にしない。気が付いていたとしても気にしたことがないのだろう。
(なるほど。日本を震撼させた都市伝説の人形、その本人だから為せる態度だな)
数週間前の不良殺戮の時に、メリーは「命乞いに同情するほど優しくない」と口走っていた。つまるところ彼女は人の恐怖心に人一倍敏感であるがゆえに、多少周囲が恐怖心を抱いていても歯牙にもかけない。一人ひとり市井を呪っていてはその先、メリーが求める「恐怖という名の崇拝」は途絶える。それは彼女も望んでいないのだろう。
「到着いたしましたわ。このビルの二階です」
大路の要らぬ思索を打ち切るようにメリーが声をかける。大路もはたと立ち止まると、目の前にはコンクリートを打ちっ放しにした新しいビルに到着していた。
躊躇なく階段を昇っていくメリーの背中を追って、二階のテナントに入る。
そこには長髪で身長の高い女性がカウンターに立つ小さなカフェ。カウンターしか存在しないその店に入った途端、大路は強烈な違和感を感じた。
視線が、存在が、全部で3つ。
そのどれもに只ならぬ圧を感じたのは、大路の気のせいではないだろう。
私メリーさん、いまもあなたの後ろにいるの @idkwir419202
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