2話 メリーさんの同居宣言

 メリーの発言から要らぬ推察を思いついてしまった大路は、息を吐きながら顔をしかめる。確かめたくないが、確かめずにはいられない。

 「ちょっとまった、その口ぶりだと他にもいるのか?他の都市伝説が、日本に?」

 「その話はおいおい。ご紹介いたしたい方々もいらっしゃいますから」

 大路の確認をさらりと流し、しかししっかりと今後に含みを持たすメリーの言葉。

 鈴のような平然とした声にさしもの大路にも漠然とした不安がよぎる。怪異ばかりに知り合いを作っていって、最終的に祟り殺されたらあまりに無常だ。

 そんな大路の考えを知ってか知らずか、あるいは無視してか。メリーは紅茶を残したカップを手元で回しながら話を続ける。彼女の碧眼がきらりと、ガラス玉のように光った。

 「怪異としての名前は、大路さんが仰ってくださいました。では先程の名前の話とどのように関係いたしますのでしょう?」

 「……名前に、想いが宿るのなら。恐怖も宿るってことか」

 「ええ。もっと具体的に申しますと、与えられた名前で人は強くも弱くもなれます。私たち怪異にとって怪異としての名前……仲間内でふざけて怪名かいみょうと呼んでます。この名前はいわば、綽名です」

 怪名かいみょう、か。死者を弔い慰撫するための戒名かいみょうから拝借したならばなんとも不謹慎だ。

 もっとも、大路が宿した感情を不謹慎の極みである都市伝説に説いても詮無きことだろうが。

 「ふざけた略し方だし、俺たちが怖がっていた怪異の名前が綽名だと聞くと恐怖が薄れるな」

 「どちらにも注釈いただき光栄の極みですわ。もっとも略し方に関してはふざけておりますが、綽名という変換はあながちおかしくもありませんことよ」

 メリーの言葉に、大路もぼんやりとだが理解が及ぶ。

 人は弱きものにふざけた名前を付けて嘲笑し合い、強き者には偉業をたたえて相応しき渾名を喧伝する。

 そういった綽名を聞き人は強くも弱くも慣れるものだ。罵りが混ざる綽名を呼ばれ元気が出る人はいないし、尊敬が込められた綽名を叫ばれて奮起しない人もいない。

 「俺たち人間が恐怖を込めて『メリーさん』と呼んだからこそ、メリーは都市伝説として成り立っているというわけか」

 「そういうことです。最初に誰が流布したかも不明な都市伝説が面前で紅茶をんでいる理由、なんとなくは把握していただけました?」

 大路もようやく己が対面している怪異の存在条件を理解できた。

 重要なのは名前とその名前に刻まれた感情なのだろう。名前が符号であるという大路の考えは変わらないが、その考えに違和感なくメリーの状況は落とし込める。

 符号でしかなない名前は確かに親や学者、あるいは物品の所持者などから与えられるものだ。与えるに際し、上位存在が感情をこめないことはまずありえない。

 そういう情念がまず一体のビスクドールに感情や思考を与えた。それがオリジン、「メリー・アントワネット」なのだろう。

 メリー・アントワネットがいつ「誕生」したにせよ、目の前の怪異が無残に捨てられた際に復讐した。これはまず間違いない。

 そしてその状況が何らかの方法で口伝、流布され都市伝説になった。都市伝説となってからはさぞ大きな「恐怖」がメリーに流れ込んできたはず。

 そう謂う強い感情がいつの間にかメリーに「メリーさん」としての役割と肉体を与え、今日に至る。そしてこの先も、メリーさんの逸話が語られ恐怖する人間がいればメリー・アントワネットは「メリーさん」としてあり続けられる。

 我ながら非科学的かつ抽象的な論理だが、その論理を肯定している存在が非科学と抽象の極みなのだから致し方ない。

 「ともあれ、メリーが存在出来ている理由は分かった。だが肝心の事をまだ聞けてない」

 「あら、なんでしょうか」

 「なぜ俺に付きまとう?祟り殺すも刺し殺すも、メリーならば容易いだろうに」

 大路の疑問に、メリーは面白いものを見るように目を細めた。彼女がカップを置き、両手を顔の前で組んで呟く。邪悪なる美貌が緑の深淵に大路の姿を映し込む。


 「貴方、私のこと怖くないでしょう」


 確かに。なぜか大路はメリーのことを怖くない。今ならばいざ知らず、殺しの現場での登場から殺人の最中に至るまで、大路は彼女に恐怖を抱かなかった。

 「図星、といったご様子ですわね。私の推測は間違っていなかったということですわね」

 「推測?」

 大路の返答にメリーが微笑む。彼女の笑顔に凄味が出始め、同時にリビングの調度品がカタカタと揺れ始めた。

 大路は驚きの表情と共に、殺意がこもったメリーの顔を見る。メリーもまた、驚愕した大路の顔を期待した表情で見つめ返した。

 「驚いたな」

 「あら、なにに?」

 「ポルターガイストまで起こせるのか」

 大路が答えた言葉にメリーの顔から表情が脱落する。獲物をじっと値定めする雌豹のような顔をしているが、不思議と大路は彼女に恐怖を覚えない。

 そして平然としている大路が真に畏れていないことを理解したのだろう、呆れたような息を吐いてメリーは表情を戻した。

 柔らかい女性らしい笑顔が彼女の顔に戻ってくる。だがメリーは些か不本意な息をついて大路を睨んだ。

 「普通、こういう不穏な現象には恐れ戦くのが一般的な感情ですわよ?」

 「そう、なのか」

 「そうです。ましてや美人局に合って指まで切り落とされそうになっても貴方は恐れどころか不快感すら抱いていなかった。違いますか?」

 「……そう、だな」

 人間だれしもそういうものだと大路は思っていた。だがあの場面ですら大路には恐怖ではなく別の、定義しがたい何らかの代替感情が湧いていた。それが何かと言われても、大路には判然としなかったのだが。

 メリーさんは黙考する大路をおいて、己の考えを告げる。彼女の言葉は、大路に付きまとう理由の一端を示していた。

 

 「少なくとも私は、貴方を殺せない。私に対する恐怖心がない貴方を、殺す方法が私には分かりませんわ」


 「どういうことだ?それこそ、不良を刺し殺した銃剣で殺せばいいじゃないか」

 「あら、あれを銃剣と一目でわかりますのね?ではその型式は分かりますか?具体的なお名前でなくとも結構ですが」

 メリーの言葉で大路は記憶を解放する。あの時、メリーが持っていたのは。

 「右手に持っていたのが帝政ドイツ軍時代のバヨネット式銃剣、左手に持っていたのが旧日本軍の、長剣型の銃剣だ」

 「そうです。流石ですわね、あの場でただ一人怖がっていなかっただけはある」

 そういいながらメリーが組んでいた己の指をほどいて、両手を広げる。

 それだけで彼女の手に見覚えがある銃剣が握られていた。右手には既になき帝国の遺物が、左手には過去に滅んだ軍隊の忘れ形見が。

 「どういう原理だ?」

 「この光景を見て原理を尋ねる貴方は心底おかしいですわね。では、これでは?」

 二振りの銃剣を握り締めたメリーが立ち上がり、一回転。

 ──それだけでメリーの格好が、人形装束へと早変わりする。

 ポニーテールだった髪がツインテールに変わり。

 ニットセーターの服装がアンティーク調のゴシック衣装へと早変わりする。

 その不自然さは言わずもがなだし、おそらく普通は怖いのだろう。だが大路は不思議と怖さよりも服装の美麗さに目がいく。

 「これでも、貴方は恐怖を感じ……て、らっしゃいませんわね」

 「そうだな。どちらかというと、メリーの衣装がいつの年代か気になっている」

 大路の変わりない反応にメリーは苦笑いしつつもう一回転。先程のモダンな衣装に戻ったメリーは、その手を振って銃剣をどこかに消し飛ばし席に着いた。

 「私たち怪異は平易な姿を『憑代よりしろ』と呼んでいます。あくまで本来の姿は私たちが怪異として、都市伝説として顕現する時の姿ですわ」

 「憑代よりしろ……ということは、誰かにとりついているのか?」

 「いいえ?ただ語呂がよかったのでそう呼んでいるだけです。ですがいい得て妙でしょう?都市伝説が現世を渡るための仮の姿、現身でも生身でもなく、ただ憑代よりしろでしかない。言葉遊びではありますが、的は外しておりませんことよ」

 「言葉遊びが好きなんだな」

 「だれでもそうでしょう?それに何事にも名前は必要ですわよ、貴方が言うように名前が唯の識別符号だとしても、その名前がなければどのような現象も見分けることはできません」

 ともあれ。メリーが目を細めて大路の顔を見つめる。

 彼女の静かな美貌を他の人々は恐怖するのだろうか。大路にはあまり腑に落ちない感情で静なる美貌を見つめ返した。

 「私があなたに纏わりつく理由は貴方を殺したいからで相違ありません。が、それは怪異を見られたから殺す必要があるというわけでもありません」

 「……つまり、俺も呪われ祟られているということか」

 「そういうことですわ。もっとも残念ながら、貴方には根本的に恐怖という感情が欠如している。私を怖がっていない以上、私がどれだけ手練手管を繰り広げても貴方に私の呪詛は届きませんわ」

 ほうと息を尽きつつメリーは己のニットセーターの袖をまくる。

 そして右手にバヨネット銃剣を取り出し、おもむろに大路に振り下ろした。

 刃が大路の肌を切り裂くだろう結末は、大路の体を刃がすり抜けて未遂に終わる。

 「……なるほどな。都市伝説が恐怖で構成されている以上、恐怖心がない俺には恐怖でできた刃物は通用しないと」

 大路が納得した表情なのをメリーは不本意そうに見つめ、そして立ち上がった。


 「そういうことです、つまり私が殺すことはできません。私はこのような方に出会ったのは初めてですわ。私があなたに付きまとう理由は第一に殺すこと、ですがそれが敵わぬので第二の目標、貴方のことを知ること。ですから、しばらく貴方のおうちで生活させて戴きます」


 「……は?」

 一息で宣言されたメリーの同居宣告に大路は思わず間の抜けた声を出す。

 だがメリーは大路の意思表示などお構いなしに、リビングに転がっている大きなスーツケースを指さした。大路も気になっていたが、まさか。

 「そのまさかです。貴方、私のことは怖くないのによく私に心を読まれますわね」

 「……分かりやすくて悪かったな。それより、同居ってどういうことだ?」

 「言葉通りです、衣食住を共にしますわ。大丈夫です、貴方の御迷惑にはなりませんことよ」

 さらりと言ってのけるメリーが立ち上がって己の大きなスーツケースを軽々持ち上げる。


 「これからよろしく、大路」


 初めて名前を怪異に呼ばれた大路は、複雑な表情で二階へと上がっていくメリーを見送った。

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