第34話 全ては愛しい兄のために


「ユイ様。今日の夜ご飯は、シチューなんですかぁ?」


 ヘキナの質問に、ユイは鍋の前で頷いた。


 屋敷での生活にもなれたので、ロータスがいない今だけという条件付きでユイは厨房に立たせてもらっていた。


 ヘキナやイソ。ロータスの作った食事は美味しいが、今日は兄が帰ってくる日である。だから、とっておきのディナーでおもてなしをしたかった。


 屋敷での初めて夜にでたロータスのシチュー。あれは母の味に近いながら、何かが少し違っていた。その違いを探すために、ユイは試行錯誤していたのだ。


 母のシチューならば、何度も食べたことがある。けれども、あの味にはどうしても近づけない。こんなことならば、もっと母に料理を習っておけばよかった。


 兄のリリーシアは、あんなにも母の味を欲しているのに。


「失礼します」


 イソが、鍋の中のシチューを味見をする。そして、頬を緩ませた。


「とっても美味しいですよ。これは、ユイ様の味です。ユイ様がリリーシア様を想って、美味しくなるように頑張った味です」


 イソは、微笑んでみせた。


「これからは、リリーシア様はこちらのシチューの味を恋しく思うはずですわ。だって、お母様のシチューと同じぐらいの愛情が入っているのですから」


 故郷の味は、いつだって求められるものだ。けれども、記憶と愛情で更新されていくものでもある。愛しい世代交代を人も味も積み重ねていくのだ。目の前のシチューのように。


 ユイは、イソの両手を握って微笑む。


 ありがとう、と伝えたかったのだ。


「いいえ。それにシチューが美味しいのは本当にですし……」


 ユイ可愛らしい笑顔に、イソが照れて言い淀んでいるとヘキナが「私も味見。味見ぃ」と割り込んでくる。


「そんなに食べたら、夜の分がなくなるわよ!」


 イソがヘキナを叱るが、彼女は全く気にしていない。大きな口でシチュー味わって、幸せそうだ。


「さっすがユイ様。料理も美味いし、何でも出来ますねぇ」


 そんなふうにヘキナは褒めてくれるが、ユイは少しばかり心苦しい。


 声は未だに出ないので、魔法以外の道を今のユイは模索していた。メイドたちに手伝ってもらって体力を取り戻し、馬の世話を教わっている。将来、何にでもなれるように。


 料理もその一環だ。


 スーリラの部下に勉強を教わっているのだって、兄の隣でいつか仕事をしたいと思ったからである。けれども、どれもユイの心を埋めない。


 自分は魔法使いになりたかった。


 母と同じ、声を操る魔法使いに。


 その思いが日々募る。


 魔法以外ものに助けを求めれば求めるほどに、声という武器を失った身が切ない。


 けれども、時よりも思うのだ。


 自分が声を失ったからこそ、兄は帰ってきてくれたのではないだろうかと。


 出発の日に、ユイは兄の剣に口付けをした。それは、旅の安全を願う御呪い。


 あなたの困難がせめて私に降りかかりますように、という魔法とも呼べない切ない祈り。


 ユイは、兄に御呪いをかけるときに本気で願ったのだ。


『兄上が無事に帰るのならば、僕のいちばん大切なものを差し出します』


 邪竜退治という困難な旅をすることになった兄であるへのせめてもの花向けが、ユイにとっては祈りだった。そして、その祈りは叶ったのかもしれない。


 リリーシアは、無事に帰ってきた。


 そして、冒険にふさわしい対価も手に入れた。


 今の兄は幸せそうだ。


 ユイは、自分の喉をなでた。


 この声と引き換えに、兄は幸せを手に入れられたにちがいない。ならば、この程度の喪失の痛みなどはないに等しい。


 リリーシアの幸せこそが、ユイにとっての一番なのだから。


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可愛い弟が無理やり奴隷にされていたら、兄の行動なんて決まっているだろう?そう、復讐だ 落花生 @rakkasei

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