効率 vs 母性 〜明神山〜

早里 懐

第1話

ここ最近、ある時刻になると決まって妻は一点を見つめてしまう。


そして、何も手につかなくなるのだ。


このままでは貴重な時間を無駄に浪費することになってしまう。


そんなことを思った私は有意義な時間を過ごしてもらうために妻を山に誘うことにした。




本日登る山はうつくしま百名山の中の一座である明神山だ。


明神山とはいわき市田人町に鎮座する名峰であり、古くから地元の人たちに愛されている里山だ。


私たちは多祁神社里宮の駐車場に車を停めた。4、5台の車を止めることができる舗装された駐車場だ。


身支度を整えて出発した。


始めは多祁神社里宮までの階段を登る。


段数は多くないため、里宮にはすぐに辿り着く。


私たちは道中の無事を祈願した。


その後は樹林帯の中をひたすら進む。


日差しをシャットアウトしてくれるのは良いが、同時に風もシャットアウトしてしまう。


樹林帯のトンネルはまさしく自然のサウナのように熱がこもっていた。


そんな樹林帯の中を、私たちは水分を補給しながら進んだ。




暫く進むと目の前に巨大な杉の木が姿を現した。


夫婦杉だ。


あまりの巨大さに私たちは目を奪われた。


幹を囲むためには大人が3人は必要になる。


幹周り約5mといったところだ。

樹齢で言うと500年くらいだろうか。


私はその歴史に圧倒された。



その後も子宝杉をはじめとして、杉の巨木が所々で天を突き刺すかのように聳え立っている。


色々な里山を登ってきたが、このような光景は初めてと言っても良いだろう。




9合目以降は徐々に景色が開けてくる。


ここまで来れば山頂まではもう少しだ。


妻は相変わらず地面を見つめた前傾姿勢で必死に登っている。

妻曰く毎回何でこんなに辛い思いをしながら登っているのだろうと自問自答しているとのことだ。


今もその自問自答の真っ最中だろう。



山頂は360°までとはいかないがとても良い景色を望めた。


特に遠くに臨む太平洋の広大さには心を奪われる。


ベンチに座り暫くの間景色を眺めた。


山頂まではあっという間であったため、私は妻の前で「登り足りないね」と言った。


その瞬間妻からとてつもない殺気を感じた。


どうやら禁句だったらしい。



妻は私に対する殺意を抑えながら「疲れない山はない」といういつもの名言を発した。


実は、妻のこの言葉は、マクベスが残した「明けない夜はない」の元となる言葉であるが、その事実はあまり知られてはいない。




私は妻に謝罪をした上で、疲労を軽減させる山の歩き方を調べてはどうかと提案した。


早速妻はスマートフォンを片手に疲れない歩き方を検索した。

要するに体を効率的に使った歩き方のことだ。




効率という言葉で私はあることを思い出した。

ここで一度冒頭の話に戻したい。




山歩きにしても人生にしても効率を追求するということはとても重要なことだ。


何故なら人が一生の内に使える時間は有限だからだ。


その時間をいかに確保するか?


やはり効率化が必要であることに行き着くはずだ。


米を研ぐ時間を省きたければ無洗米を使用するし、買い物の時間を省きたければネットショップを利用する。


因みに私は洗車の時間を省くために山に行けない日は日課として雨乞いをしている。



そんな効率化をもたらす技術についてだが、私たちの身近なところで、その進歩が顕著に現れるのは家電ではないかと思う。


私たち夫婦も掃除の時間を効率化するためについ先日、お掃除ロボットを購入した。


起動すると家の間取りを覚えるために縦横無尽に動き出すのだ。


私はソファでテレビを見ながらくつろいでいた。


ふと妻に目をやると妻はお掃除ロボットを見つめていた。


珍しさからなのか、その性能を確かめるためなのかはわからないが、お掃除ロボットをずっと見つめていたのだ。


次の日も同じだ。


妻はお掃除ロボットの動きをずっと見つめている。


しまいには行手を阻む障害物を移動し、動きやすいようにしてあげている。


また、お掃除ロボットが壁ににぶつかるたびに悲鳴を上げている。


更には、そろそろお家に帰してあげようかと言いながら、お掃除ロボットを持ち上げて充電器にセットしている。


どうやら妻はお掃除ロボットに対して母性が目覚めてしまったようだ。


その結果、我が家のお掃除ロボットは、いまだに家の間取りを全くと言っていいほど記憶していない。



これではせっかく効率化を図るために費やしたコストが勿体無いし、何よりも効率化による恩恵を得られていない。


よって、私は妻を山に誘ったのだ。


効率化して得た時間を有意義に使うため、お掃除ロボットが心配で仕方がない妻を山に誘ったのだ。


今日は妻も良い気晴らしになったはずだ。




私たちは下山し、帰路についた。



本日も無事に家に着いた。


妻は真っ先にお掃除ロボットに駆け寄った。

そして私を見るなりこう言った。


「この子のお家をソファの下にしようかなと思うんだけどどうかな?」と。


私は思った。

(この子…だと)


どうやら、お掃除ロボットに対する妻の母性が止まることを知らないようだ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

効率 vs 母性 〜明神山〜 早里 懐 @hayasato

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ

参加中のコンテスト・自主企画