第5話 神薙紬の秘密


 神薙かんなぎつむぎは、その身に霊力を宿した退魔師だ。


 神薙かんなぎは由緒ある退魔師の家系であり、紬はその分家に生まれた。


 彼女が自身の力と使命について両親から知らされたのは、六歳の時である。


 この世界には『怪異かいい』と呼ばれる人ならざる者たちが存在し、退魔師は人間に害をなすそれらを祓うことで世の平和を守るのだ。


 紬の持つ霊力は退魔師の中でも並外れているらしく、両親からは多大な期待を寄せられていた。「お前だけが頼りだ」と言われたことを、彼女は今でもはっきりと覚えている。


 双子の兄である遥人には霊力が一切なく、両親は口にこそ出さないが遥人のことを出来損ないとして扱っていた。


 いくら鈍感な遥人でも気付かないはずがない。あの頃の待遇の差をどう思っていたのかを聞く勇気は、昔の紬にも今の紬にもなかった。


 本当のことは何も教えられず、家族の中でいつも一人だけ蚊帳の外に居る遥人だったが、何故か怪異は人一倍寄せ付けた。


「お兄ちゃんっ! そっちはだめっ!」

「……ん? どうして?」

「わたしから離れないでっ!」

「なんだ、暗いのが怖いなら言ってくれればいいのに」

「…………むぅ!」


 小学校からの帰り道、暗い路地裏に潜む怪異に招かれそうになる兄の手を引っ張った回数は思い出せない。


 遥人は怪異に対して無防備である。だから紬が護ってあげなければいけない。


 彼女はその事に対して優越感を抱くのと同時に、少しだけ負い目を感じていた。


 ――もしかしたら、生まれる前に自分が霊力を全て持って行ってしまったせいで今の遥人の境遇があるのかもしれない。


 紬はそんな風に考え、家族全員が仲良く過ごせるようになることを願っていた。


 しかし、十三歳の時に両親が退魔師の任務で命を落とし、その願いは永遠に叶わぬものとなる。


 その後、本来であれば紬は本家に引き取られて退魔師になる為の教育を受けるところだったのだが、とある事情によりそうはならなかった。


 結果として、兄と同じく神薙かんなぎ家ではない父方の叔母――咲耶さくやに引き取られることとなったのである。


 といっても、咲耶が二人の面倒を見るため遺された家へ引っ越してきた形なので、紬と遥人は住む場所を変えずに済んだ。


 しかし、これを機に紬は退魔師を目指すことを辞め普通に生きていくことを決めたのだった。


 元々乗り気ではなかった上に、両親の死が重なったことで完全に怖気づいてしまったのだ。


 十三歳の少女には、命を賭けてまで恐ろしい怪異と戦う理由を見つけることが出来なかった。無理もない話である。


 そうして退魔師とは無縁の――普通の日々を過ごすようになり、段々と新しい生活に慣れてきた矢先、遥人が『神隠し』に遭って行方不明となった。中学三年生の夏のことである。


 神隠しとは、何らかの手違いか神の気まぐれによって向こうの領域に迷い込んでしまう事象のことを指し、これに遭遇した時点で生還は絶望的となる。退魔師が最も恐れる案件と言ってもいい。


 あの時、中学校に上がって以来何となく一緒に帰るのが気まずくて後ろの方を歩いていた紬と、夏休みを控えてやたらと上機嫌だった遥人の前には現れた。


「…………っ?!」


 それが発する得体の知れない霊力を浴びただけで全身の震えが止まらなくなり、激しい吐き気に襲われてその場から動けなくなってしまう紬。


「コワガラナイデ」


 頭の中をかき回されるような不快な声が響き、紬は呼吸すら忘れてしまうほどの底知れない恐怖に支配されていた。


「ヒトリデ、カマイマセン」


 それが何であるのかを視ることすら、紬には恐ろしくて出来ない。


「エランデ、クダサイ」


 そんな状況の中、霊力を感じることが出来ない遥人は一度だけ紬の方へ振り返り――


「つむぎー、先に行ってるよー」


 いつもの調子でそう言った。


「おにい……ちゃん……? まって――」

「アナタニ、スルノデスネ」

「靴紐ほどけてたわ」


 そして、遥人は正体の分からない神と一緒にこの世界から姿を消したのである。


 不気味な霊力から解放された紬が最初に感じたことは、助かったという安堵だ。


「ぁ……ああ……!」


 兄が身代わりになって消えたという事実を少し遅れて理解した瞬間、彼女は胃の中のものを全て吐き出していた。


 怪異は向こうからやって来る。退魔師の宿命から逃れることは出来ないのだと紬は悟った。


 もう二度と、大切な家族――遥人と咲ねえを失わないようにするために、紬は今日も退魔師として戦う。


 *


「つむぎちゃんやっほー!」

「……え」


 紬が教室の席で物思いに耽っていると、いきなり真正面から声をかけられた。


「やっほー!」


 彼女の前に立っていたのは三善みよし楓薫ふうかという名の少女である。


 髪型は茶髪のショートボブで、身長は小柄な紬よりも頭一つ分だけ高く、活発な印象を感じさせる。


 物静かで人を寄せ付けない雰囲気の紬とはまるで正反対だ。


「み、みよし…………ちゃん」

「まだ、下の名前では呼んでくれないんだねつむぎん……っ! 私とあなたの仲なのにっ!」

「………………」


 紬は彼女のことが少しだけ苦手である。特に言動とかが。


「ところで、ぼーっと黒板なんか見てどうしたの? なんも書いてないよ?」

「べ、別に……黒板を見てたわけじゃないし……」

「そういえばさ、お兄ちゃんに御守り渡せたの?」

「…………。さっき、渡した」


 楓薫の気分でいきなり変わる話題に、どうにかついていく紬。


 どこか噛み合わなさを感じさせる二人が一緒に居る理由。それは、楓薫が紬と同じ退魔師だからだ。


「あの御守り、どんくらい効果あるんだっけ?」

「三級相当の怪異までなら、悪意を持って近づこうとした瞬間に吸い取って浄化する……はずだったん」

「へぇー、さすが!」


 しかし、紬は浮かない顔で懐から何かを取り出す。


「……で、これが今まで遥人に待たせてたやつ」

「うわっ。何コレ呪われてんの……?」

「うん。寄ってきた低級の怪異を吸い取りすぎて呪いのお札になってた……」

「つむぎんのお兄ちゃん、霊力ないのにどうなってんの?」


 対して紬は、眉をひそめながら言った。


「そのつむぎんって呼び方……ちょっとやだ……」

「まさかの拒絶?! さり気なく呼んだのに!」

「せめて元の……つむぎちゃんにして」

「……。おっけー!」

「…………ありがとう」

「素直なところが私の美徳だからね!」

「うん……」


 ――退魔師には変な人間が多い。ここ最近で紬が学んだことである。

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