第4話 異世界にも色々あるらしい


 あれは中学三年の夏、軽やかな足取りで学校から帰っていた時のことだ。


 明日から夏休みということもあり、少しだけ浮かれていた帰宅部の僕は、あまりにも唐突に家へ帰る道が分からなくなった。


 つい先ほどまで信号のない横断歩道を渡っていたはずなのに、気付けばレンガ造りの建物が立ち並んだ見知らぬ大通りの脇に立っていたのだ。


 後ろからトボトボと付いてきていた帰宅部の紬の姿も、いつの間にか見当たらなくなっている。


「……は?」


 初めは自分の目を疑った。


 確かに僕は方向音痴で道に迷いがちな人間だが、ちょっと解けている靴紐の方に意識を取られただけでこんなことになるだろうか。


 ならないでしょ普通。


 おまけに、大通りには金髪やら銀髪――果ては赤やら緑やら青やらのカラフルな髪色をした人々が行き交っている。


 僕は靴紐を結び直しながら思った。近頃は髪をカラフルに染めるのが流行っていたのかと。ざっと見たところ、白髪混じりの老人や幼い子供の髪までカラフルである。


 僕も一応は最近の若者であるが、世間の流行といったものには疎かった。友達が少ないから。


 まさか、学校と家を往復するだけの日々を送っている間に、日本がこんな異世界になっているとは思ってもみなかったのである。


「……ん? 待てよ……異世界?」


 そこまで考えて、僕は頭に思い浮かんだ『異世界』という言葉に妙な引っかかりを覚えた。


 とりあえずは一通り履修していたアニメやゲーム等の知識の中に、現状を説明するのにぴったりな言葉があることを思い出したのである。


「もしかしてこれ……異世界転生ってやつ……?」


 厳密には死んでいないので異世界だとか異世界だとかの方が正しいと思うが、この際どうでもよかった。


「どうやら、王が魔導師を集めて勇者召喚の儀を行うらしいぞ」

「近頃は魔物が多くて困ったもんだねぇ……」

「今日は近海で獲れたシードラゴンの切り身が安いぜ!」


 自身の置かれた状況が分かり始めると、途端に周囲の声が鮮明に聞こえるようになる。


「これ……絶対に異世界だ……! 聞こえるの日本語だけど……そういうものだし……!」


 かくして僕は、自分が異世界に迷い込んでしまったことを確信したのだった。


 *


 ――何か現実離れした事件に巻き込まれる時、僕は決まって最初に自分の現在地を見失う。


 異世界転移の時も、巨大コオロギの時もそうだった。


 そしておそらく、今日もらしい。


「ここ……どこ……?」


 気付くと僕は、見知らぬ住宅街に迷い込んでいた。建物は全体的に古い感じで、人の気配は一切なく、時々聞こえてくるカラスの鳴き声だけが不気味に響いている。


 夕方であるというのにどこの家も明かりをつけていないのが尚のこと不自然だ。


「どこなの……」


 学校から帰るだけだというのに、どうしてこうも上手くいかないのだろうか。


 もはやただの方向音痴では済まされないぞ。それに、せっかく紬が作ってくれた御守りもまるで効果を発揮していない。踏んだり蹴ったりだ。


 僕はひとまず制服のポケットに入れていたスマホを取り出し、地図アプリで現在地を確認する。


 連絡する相手は家族くらいしかいないが、異世界に転移させられてからはなるべくスマホを持ち歩くようにしているのだ。


「あ、あれ……?」


 しかし、いつまで経っても地図が読み込まれることはなかった。僕の現在地を示す丸い点だけがずっと表示されている。


 つまりここは住宅街なのに圏外だということだ。有り得ないだろそんなこと。


「詰んだ」


 完全に打つ手がなくなり絶望する僕。


 どうしたものかと頭を悩ませていたその時――突如として地面が揺れた。


「こ、今度はなんだ……?」


 それは地震の揺れではない。何か大きなものが、ドシンドシンと地響きを発生させながら移動しているような音である。


「ドラゴンでも徘徊してるのか……? 勘弁してくれよ……」


 ドラゴンはブレスによる攻撃が強力で、しっかりと対策をしていないと熟練の冒険者でも命を落とすような相手なんだぞ……。


 僕が頭を抱えている間にも地響きは大きくなっていき、やがて背後でぐちゃりという音が鳴った。


「ミィつケた」


 振り返るとそこに居たのは、周囲の家よりも遥かに大きな黒いぶよぶよの塊だった。


 一瞬、スライムの変異種かとも思ったが様子がおかしい。奴ら――スライムの変異種には人間のような口も手足も付いてなかったからな。


「だ、誰だお前……!」

「あ……ぁ……ああァぁあア!」


 まるでお話にならない。誰か通訳を呼んできてくれ。


「あ……ぁ……!」


 お腹と思しき場所に開いた、人を丸呑みできそうな程に大きな口がこちらを見て笑い、ぶよぶよの肉塊から突き出した無数の腕がドンドンと地面を叩く。


 それは人間の体の様々な部位を無作為に繋げて作られたかのような化け物だった。


 その姿を見た僕は心の中で思う。


 ――これ暴走した時のカオナシじゃん。


「ああああああああああ」

「神隠しじゃん」


 つまり、僕の現在の状況は八百万の神々が住む異世界へと迷い込んでしまったあの女の子と似たような感じなのかもしれない。


「またもや異世界転移か……」

「いタダきマぁス」


 苦悩する僕に対しうめくような声でそう宣言し、もの凄い勢いでこちらへ突進してくる黒い肉塊の化け物――偽カオナシもどき。


 個人的にな話だが、カオナシに追いかけられるシーンは両親が豚になるシーンと並んで僕のトラウマだ。


 幼少期にあの映画を見て心の傷を負った僕は、いまだに例の長編アニメーション映画のジャンルをホラーだと認識している。


 つまり何が言いたいかというと、偽カオナシもどきと対峙しているこの状況はホラーでしかなかった。

 

「あァああぁア……」

「それ、やめてくれ。怖いから」


 僕は両手を正面に突き出し、全身の魔力を集中させる。


魔力解放マナバースト!」


 そして、自身の持つ魔力のほとんど全てを相手にぶつける最上級魔法を放った。


「ああアああアアぁあアァッ!」


 思わず耳を塞ぎたくなるような絶叫が響き渡り、突進中だったカオナシもどきが跡形もなく消し飛ぶ。


「はぁ、はぁ……」


 久しぶりに魔力を使い果たした僕は、その場で膝をついた。魔力の欠乏による目眩と吐き気に襲われたのだ。


 今の相手――偽カオナシもどきは、たぶんAランクくらいの危険度があった。元勇者としての直感が僕にそう告げていたのである。


 エルダードラゴンやヴァンパイアロードに匹敵する危険な相手だ。勝てて良かった。


「うぐ……」


 しばらくして体が楽になってきたので再び顔を上げると、そこは見覚えのある通学路だった。


 どうやら、僕は無事に戻って来れたようである。


 今回の異世界転移は短くて良かったー。紬がくれた御守りのおかげだな!

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