Scene.27 語られる真実
モナリ座はもう、閉館している?
整いかけていた息が、また止まりそうになる。
今、なんて?
「何の冗談を――」
「俺もまさかと思ったんだ。初めて会ったときから、細かい死霊だとかが君に吸い寄せられていくから。君はモナリ座が存在する前提で話していたし、きっとそこらの亡霊より強力な、映画館に巣食う何かに憑かれているのかもしれないと思ってね」
なんだって? モナリ座は……あの映画館はもう存在しない?
「そんな……そんな、僕が見ていたのは……琳太郎だって、いつも受付に」
「……残念ながら、彼は数年前から行方不明になってる」
受付で怠そうに手を振る幼馴染の顔が脳裏を掠め、記憶の海に掻き消されていく。
「あの場所で何が起こったのか君は知らないだろうけれど、あそこで俺の母親は死んだ。そして今も映画館のふりをして、通りかかった人間や迷い込んだ人たちを無差別に取り込んでいる。死んでなお誰かに害をなそうとするのなら、さすがに見過ごせなくてね」
脳が理解を拒んでいる。が、円さんは一切目を逸らさずに語り続ける。
「だけど俺だけじゃモナリ座には干渉できなかった……どうにも母親は強すぎるようでね、巧妙に隠れて視えなかったんだ、俺でも。だから唯一干渉できる君を触媒にして、映画館の外へ引っ張り出させようとしたんだ」
「芦峯さんはお母さんと会うために、僕を……利用したんですか」
「そう取ってもらって構わないよ」
いや、今更何を言ってるんだ僕は。
この人は出会ってからここに至るまで僕を利用するためだけに隣にいたじゃないか。森岡邸に忍び込んだ時だって。
すべて……彼の目的を果たすための道具として、そこにいるのが都合が良かっただけで。
そして今、モナリ座なんてもう無いと――僕の大切な繋がりさえも「嘘」だったと決めつけようとしている?
「君が俺に何を隠そうとしているのかは知らないけれど、母に魅入られているのなら危険だ。俺は全力で止めるよ、何故なら君は」
円さんが全部言う前に、その胸倉を掴んで黙らせる。
鼻先に迫る彼の驚いた瞳いっぱいに映る僕は、怯えたような顔をしていた。
「そんな、こと」
「あるわけない、って? 俺の話が信じられないなら自分の目で確かめに行ってみるといい」
円さんはそう言い、襟を掴む僕の両手を引いて立ち上がらせる。久しぶりに地を踏み、街並みが眩んだような気がした。
辺りを見渡せば、そこは見慣れた商店街のすぐ近くだった。頭痛に苦しみながらも、いつの間にかモナリ座の近くまで来ていたらしい。
円さんの手を振り払い、一目散に駆け出した。
急げ。僕らの待ち合わせ場所――寂れた映画館の最奥で待つ、彼女の元へ。
脚がもつれそうになりながら、最後の角を曲がる。
古びた建物が迎えてくれるはずのそこには、ただの廃ビルが佇んでいた。今にも崩れ落ちそうながらんどうの建屋に、ぬるい夜風が吹き抜けていく。
錆び付いたドアノブがあった場所に手を伸ばしても、何も掴めなかった。
「ここに……あったのに」
「圭一くん、ここはモナリ座でも何でもない、ただの廃墟だよ」
円さんは目の前の風景に対し最も正しい表現をした。僕にもそう見える。そう見えてしまう。
「モナリ座という森岡正一が運営していた映画館はね、確かにあったよ。一度移転して、その後ひっそりと閉館した。ただここから二十キロ以上離れた土地にあったんだ。この場所に映画館が建っていたことはない。ここは数十年以上前からただの廃墟で……俺の母親の死に場所なんだ」
淡々した語りを受け止めきれずに、僕の胸をすり抜けていった。
この人は何を言ってるんだ。そんなはずはない、だってつい最近まで僕はここで映画を観ていたんだ。塩見さんの話にもあったじゃないか。
「ちょっと……待ってください。ここで芦峯さんのお母さんが亡くなった後に、映画館が建ったはずです。それが移転したモナリ座だって」
「……それは誰が言ってたの?」
「だって、塩見さんがそうだって……」
「塩見が……!?」
円さんは驚いて目を見開いた。「もうそこまで来てるのか……」とぶつぶつ呟き、顎に手を遣って考え込んでしまった。
ややあって、彼は口を開く。
「……塩見が俺の母親の死に際に関わっていたことは、俺も薄々知ってた。だから尚更、彼がその現場を間違うはずがないんだ。ここが映画館なんて建ったことのない廃墟だってことくらいは」
「そんな……館主をやってた琳太郎だって、ここで……」
譫言のような僕の訴えは、しかし円さんの言葉に遮られた。
「ねえ圭一くん、塩見は琳太郎くんのことについて何か言ってた?」
「特には……何も」
「それもおかしいんだよ。琳太郎くんの行方が分からなくなったとき、親類縁者に声をかけて回っていたのは他でもない塩見だったんだ。もうほとんど森岡家と縁を切っていた俺を探し出して声をかけてきたくらいだから、覚えてるよ。琳太郎くんは未だ帰っていない。だから塩見が、琳太郎くんが普通に過ごしている前提で話していること自体がおかしいんだ」
そんな馬鹿な話があるのか。言い返そうにも、僕には打ち返せる根拠なんてひとつも持っていなかった。ただ目の前で、廃墟はがらんどうの骨組みを晒している。
琳太郎から森岡家に行くように言われ、円さんと出会った。
琳太郎から「映画館で人が死んでいたらしい」と教えられ、僕は塩見さんに会いに行き、彼の知る顛末を聞かされた。重要な分岐点ではいつでも琳太郎が情報をくれていた。それが間違っていたとでも言うのだろうか。
「じゃあ僕が琳太郎や塩見さんだと認識していたものは……一体何なんですか」
呆然とした僕の呟きを、ぬるい風が撫でていく。背筋を伝う汗は冷え切っていた。
円さんは問いに答えず、ゆっくりと言葉を選ぶように口を開いた。
「圭一くんの話を信じるのなら――モナリ座に巣食う亡者は関係した人々の認識を、事実を食らい、波及しながら生者を欺く。君を食らうため、じゃない。君を媒介して外の世界に広がり――誰かを探している。そしてそれは恐らく、俺だ」
低い声は上の空の意識を通過していく。
代わりにくじらちゃんの笑顔が脳裏に浮かんだ。あの子が……僕を利用して、外に出たがっていたのか? 我が子である円さんに会うために、沢山の人を巻き添えにして?
俄かには信じられない。信じたくなかっただけかもしれない。
確かめようにも、目の前の映画館は掻き消えてしまっている。
なんで……ここにあった映画館は……ここには確かにあの子がいたのに。
映画を見終わったあとの満足気な顔。溢れんばかりの作品愛を語る煌めく眼差し。重力に逆らい靡く、艶のある長い髪。誰も客が来なくて退屈そうに観客席に浮く姿。
二ヶ月もの間一緒に過ごしたくじらちゃんの姿は、あの悪戯っぽく笑う面影は、今も全部覚えてるのに。
どんな悪霊だろうと、いつか憑り殺されようと隣にいるつもりでいたのに。円さんに頭痛を消されたことすら恨めしく思ってしまう。
胸の内にすっと冷たい水が差す。膝は今にも崩れ落ちそうに震えた。
「貴方が……消したんですか」
「消すって、何を」
「何もかもです! 映画館も……あの子も」
「落ち着いて圭一くん、ここには初めから何も無かったんだ。消えるも何も」
「嘘だ!! だって僕はずっと……二ヶ月間ずっと! ここに通って映画を観ていたんです! 目録だってここに――」
そう叫んでポケットを漁ったが、手のひらは空を掴む。琳太郎からもらった過去の映画目録は煙のように消えてしまっていた。
そんなことある訳が、だってここにはあの子がいて……。
「……俺に消せるものがあったとしたら」
慌てふためく僕を嘲笑うでもなく、怒り諭すでもなく、円さんはただ静かに言葉を吐いた。
「それはここにいたっていうあの子と君との繋がりかもしれないね」
そう伏せた目は、訪れた夜闇より暗かった。
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